如在(にょざい)の心とは
「在(あ)るが、如(ごと)く」または、
「そこにいるが如く」
という意味です。
常に誰かがそこにいるが如くに、行動をしなさいということです。
これは西郷隆盛が座右の銘として
『人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし、人をとがめず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし』
意味は、人を相手に仕事をするから、その人が見ていなければいいやとか、バレなければいいだろうとか、そういう気持ちが出てくるんだ。
ゆえに
「天を相手に仕事をしろ」と。
天は常に見ているから、常に正しいことができると。
それが、
「如在の心」です。
周りの人を責めるな、
周りの人のせいにしたくなったら、自分の誠意が足りなかったと考えなさい。
と述べています。
どの仕事もそうです。
見ていないからいいやではなく、天が見ているから、手を抜くなと教えていると思います。
私は皆によくいうのは、ご先祖様が見ているからと言っています。
仕事の心構えが違ってくるものです。
中国の後漢書に、
楊震(ようしん)という英才が、長官に任命されて赴任する時に、
昔世話をした王密という者が、金十斤の賄賂をもってやって来た。
楊震は、
「わしはお前をよく知っている。
なのに、お前はわしをよく知らないで、
賄賂をもって来るとはどういうことだ」
と受け取らなかった。
すると王密は、
「もう夜になって誰もいませんから知られることはありません。
どうかお納め下さい!」
とすすめた。
それを聞いた楊震は、
「君は誰も知る者がないと言うが、天が知っている。
神も知っている。
わしも知っている。
君も知っているではないか。
どうして知る者がないと言えるのだ!」
王密はすっかり恥じ入ってすごすごと去っていったという。
賄賂も仕事も同じ、
「如在の心」
天が見ていることを
肝に銘じていきたいものです。
「在(あ)るが、如(ごと)く」または、
「そこにいるが如く」
という意味です。
常に誰かがそこにいるが如くに、行動をしなさいということです。
これは西郷隆盛が座右の銘として
『人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし、人をとがめず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし』
意味は、人を相手に仕事をするから、その人が見ていなければいいやとか、バレなければいいだろうとか、そういう気持ちが出てくるんだ。
ゆえに
「天を相手に仕事をしろ」と。
天は常に見ているから、常に正しいことができると。
それが、
「如在の心」です。
周りの人を責めるな、
周りの人のせいにしたくなったら、自分の誠意が足りなかったと考えなさい。
と述べています。
どの仕事もそうです。
見ていないからいいやではなく、天が見ているから、手を抜くなと教えていると思います。
私は皆によくいうのは、ご先祖様が見ているからと言っています。
仕事の心構えが違ってくるものです。
中国の後漢書に、
楊震(ようしん)という英才が、長官に任命されて赴任する時に、
昔世話をした王密という者が、金十斤の賄賂をもってやって来た。
楊震は、
「わしはお前をよく知っている。
なのに、お前はわしをよく知らないで、
賄賂をもって来るとはどういうことだ」
と受け取らなかった。
すると王密は、
「もう夜になって誰もいませんから知られることはありません。
どうかお納め下さい!」
とすすめた。
それを聞いた楊震は、
「君は誰も知る者がないと言うが、天が知っている。
神も知っている。
わしも知っている。
君も知っているではないか。
どうして知る者がないと言えるのだ!」
王密はすっかり恥じ入ってすごすごと去っていったという。
賄賂も仕事も同じ、
「如在の心」
天が見ていることを
肝に銘じていきたいものです。