生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

在原業平との出会い

2024-02-19 04:56:03 | 日々の暮らし
「つひに行く
道とはかねて
聞きしかと
きのふけふとは
思はざりしを」
(伊勢物語・在原業平)
死というものは誰でも最後に行かねばならない道であるとは前から聞いていたが、昨日今日にさしせまっていたこととは思いもしなかったなあ。

私は駿河路にある高草山(1000m)の麓に住んでいた時に、雪が降る前にと登山道ではない道なき道を登ってしまった。
昼なお暗く完全に道に迷ってしまった。
その時、雅楽の笛の音が聞こえてきました。
その人に道を聞こうと歩きましたがいっこうに縮まらない。
美しい笛の音は急坂なのに乱れない?
すると山道に出たのでした。
そこにあった碑が在原業平の句でした。
江戸に赴任となり残した妻に京都に行く知り合いの僧に出会った場所。
僧に妻への手紙を託したのでした。
あの笛の人は在原業平に違いないと手を合わせてお礼しました。
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悲心抜苦

2024-02-19 03:49:52 | 日々の暮らし
「悲心(ひしん)」という言葉があります。
真心をもって一人の本当に苦しんでいる人を救うことは、大地のように大きい。
どんなに多くの星が輝いても、その光りは一個の明月の光りにおよばない。
「悲心」とは「深い思いやりの心」のことです。
自分で味わった苦しみ、悲しみの体験を、人には味わわせまいとする真実の思いやりの心のことをいいます。
自分が体験した悲しみを他人には味わわせたくないという心。
その温かい心で他人の苦しみを少しでも軽くしてあげることを「悲心抜苦(ひしんばっく)」といいます。
母親のような心。
お地蔵様、観音様、聖母マリア様を感じています。
悲心の心、大切にしたいと思います。

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