兄夫婦が住む葛飾柴又でお蕎麦をごちそうになりました。 帝釈天のことをいろいろ教えて頂きました。 柴又帝釈天の成り立ち 「~帝釈天で産湯を使い、 姓は車、名は 寅次郎~」映画『男はつらいよ』の有名なセリフの一節です。 帝釈天とは、東京都葛飾柴又にある「柴又帝釈天」のこと。下町情緒あふれる東京の観光スポットでもあります。寅さんファンなら誰でも知っている場所ではありますが、果たして帝釈天とはどんなところなんでしょうか? 東京都葛飾区・柴又帝釈天は日蓮宗の寺院 映画『男はつらいよ』の舞台でもあり、利根川水系の江戸川の西側に位置する柴又。 対岸の千葉県松戸市・矢切地区とを結ぶ渡し船「矢切の渡し」の渡し場があることでも知られています。 風情溢れる下町風景が広がる中、京成線柴又駅前から続く200mほどの門前町を歩くと、映画でも御馴染みの、大きな屋根と木彫が印象的な門が見えてきます。 日光東照宮の陽明門を模して造られたといわれる二天門。 いつも多くの人で賑わっています。 柴又帝釈天の正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)といい、日蓮宗の寺院。 地元の人たちには題経寺の名前でも親しまれている名刹です。 柴又帝釈天はお寺なんです。 ところで、寅さんの口上の「帝釈天で産湯をつかり~」の産湯とは?境内に、「御神水(ごしんすい)」と呼ばれる湧き水があって、ペットボトルに汲んで持ち帰る人の姿も。 昔の人々はこの水を飲んで健康を祈願したのだそうで、きっと寅さんもここで汲んだ水を沸かした産湯に浸かったのでしょう。 江戸初期、1629年(寛永6年)のこと。 下総中山(千葉県市川市)法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)が、この地に立ち寄った際に、立派な松の木の下に泉が湧いているのを発見。日蓮聖人が刻んだと伝わる帝釈天の板本尊(黒塗りや白木の板に刻んだ本尊)です。 そんな日蓮が自ら刻んだと伝わる「帝釈天の板本尊」が寺に安置されていたはずでしたが、長い間所在がわからなくなっていました。 ところが1779年(安永8年)の春、庚申(かのえさる)の日、本道の修理をしていたとき、梁の上からこのご本尊が見つかったのだそうです。 日本には古くから庚申信仰(こうしんしんこう)という暦や季節と結びついた信仰があり、このころ江戸の町で庚申信仰が庶民の間に広まっていました。 そんな流行も相まって「庚申の日に柴又に帝釈天が現れた!」との噂が広まり、題経寺は大変有名なお寺になったのだそうです。 日蓮の板本尊が見つかって間もなくの頃、江戸の町では疫病が蔓延し、飢饉が続いて、人々は日々不安な毎日を送っていました。 いわゆる「天明の大飢饉(1782年~1788年)」の時代です。 第九代住職の日敬上人は板本尊を背負って江戸の町を歩き、飢えや病に苦しむ人たちに拝ませ救済したという話が伝わっています。 これにより、題経寺は庶民の寺としてさらに知られるようになり、人が集まるようになります。 庚申の日には縁日が催されていたそうです。 江戸時代、柴又のあたりは、江戸の町からちょっと遠出して遊びに行くような、小旅行エリアでした。 そのため、評判の帝釈天を拝もうと集まる人々向けの料理屋や土産物屋が出来るようになり、門前町が形成されていったものと思われます。 帝釈天とは仏教の守護神。 なぜ日蓮聖人は帝釈天の本尊を彫ったのでしょうか。 帝釈天とは、仏教の守護神である天部のひとつ。 古くはインドの神話にも登場し、ヒンドゥー教やバラモン教にも存在する、多くの人々に指示される守り神です。 帝釈天はもとはインドの神話に登場する英雄神、インドラであると考えられています。 インドラは天空や雷を司る神様です。 天部とは、仏教で「天界に住む者」のこと。 インドの神話の神様が仏教に取り入れられて生み出された神様が多いようで、帝釈天の他に梵天、弁才天、大黒天、吉祥天、韋駄天、兜跋毘沙門天、聖天、四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天)も天部に分類されます。 また、”天”の字は付きませんが、鬼子母神や阿修羅、金剛力士・仁王、夜叉なども天部です。 仏像にはランクがあって、一番高いのが如来、次が菩薩、その次が明王で、天部は4番目。 天部はランクこそ4番目ですが、天界に住み、人と近い位置にあり、仏教を信じる心を妨げるものから人々を守護。 すなわち、仏教を護るという重要なポジションを担っているのです。奈良の東大寺にある法華堂には、高さ4mもの帝釈天像が、梵天像と共に安置されていて、国宝に指定されています。 お顔は険しい表情で迫力あり。 でも鎧兜や甲冑などは身につけておらず、人々に教えを説いているようなお姿をしています。 京都の丹波地方にある福寿寺には「京都帝釋天」と呼ばれる帝釈天堂があり、近畿地方の庚申信仰の拠点ともなっています。 江戸時代には「庚申さん」と呼ばれて人々に親しまれていたのだそうです。 大阪の寝屋川市の静照寺というお寺には、柴又帝釈天の分霊像と言われる帝釈天像が安置されています。 京都三十三間堂には、千手観音の従者(眷属:けんぞく)である二十八部衆の像があり、千手観音を信仰する人々を護っているのだそうです。 帝釈天は二十八部衆に属しているので、金剛力士や毘沙門天と共に安置されています。 日蓮宗では、帝釈天が法華経行者を護る守護神であると考えられているそうで、日蓮宗では帝釈天を大切にするお寺が多いと思われます。 見ごたえ満点!彫刻ギャラリーと邃渓園 帝釈堂の先に、柴又帝釈天のもうひとつの見どころがあります。 「彫刻ギャラリー」という施設で、見事な木彫刻を間近で見ることができるんです。 外壁に施された彫刻は、主に法華経の世界観をモチーフにしたもの。 1922年(大正11年)から12年もの歳月をかけて、10人の彫刻師が1面ずつ担当。 透かしや浮彫の技術がこれでもかと使われていて、思わず見入ってしまうほど秀麗で精巧。 今にも動き出しそうなほど生き生きとしています。 細かい装飾を保護するため、彫刻はガラス張りになっていますので、見入るあまりうっかり触れたり汚したり、といった心配もなし。 じっくり観察することができます。 境内の奥には、邃渓園(すいけいえん)という庭園があり、こちらも見どころのひとつ。 美しく手入れされた日本庭園です。 庭に降りて自由に散策できるわけではないのですが、回廊を歩いて庭を一周することができるようになっています。 このあと亀有の香取神社で足腰のお守り(利用者さんに頼まれた)を買ってから巣鴨に行きました。 皆様の生きる力になれますようにと祈願して参りました。 合掌
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます