「ある時、山奥の湖に行ったら、一つの歌碑が建っていた。役場の人に聞くと、一人の歌人だという人から電話があって、自分の歌碑を建てると一方的に通告してきたとのこと。悲しい心だと思った。勲章を欲しがったり、名誉を欲しがったり、碑や銅像を建ててもらいたがったりするのは老いのあらわれと自戒する。静かに消えるのが私は好きである。民草の死はさりげないのがいい。初めて雑草のごとき死の栄誉が与えられるからだ。」
(戒老録 曽野綾子)
民草の言葉に惹かれました。公共の場に碑を建てようとする考えが
悲しく感じました。さりげなく咲いては散る民草の生き方を心に刻みたいと思いました。
「民草や
旅の終わりは
さりげなく」。
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