平安時代の作者不詳の歌謡集に 「遊びをせんとや 生まれけむ。 戯れせんとや 生まれけむ。 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ ゆるがれる」 という歌があります。 (現代訳) うらやましいなあ、あの子達は。 遊びをしようとして、生まれてきたのであろう。 戯れしようとして、生まれてきてたのだろう。 あの声を聞いていると、わたしも身がうきうきとしてくるのだ。 この歌謡集を編纂した、後白河法皇はこの歌には生きることの本質が表現されている。 子達は悩みなんか忘れて、遊んでいることに熱中している。 生きることへの疑問など見られない。 夢中になれる人生が、最高の生き方であり、 人生を子どもに学べばよいと考えていたようです。 私も託児所を経営して園長をしていましたから、この歌はよく分かります。 子どもと水遊びしたり、公園でどんぐり拾いをしたり一緒に夢中になって遊んでいました。 良寛さんも、子どもと遊ぶのが大好きでした。 おはじきしたり、かくれんぼしたり、自作の手まりで遊んでいました。 「ときどき子どもたちと草引き相撲の遊びをする。 勝った負けたと競い合ってますます風流だ。日が暮れて町へ子どもたちが帰った後は、一輪の明月が秋空高く昇ってくる」 また、弥彦山(やひこやま)の麓に咲くスミレの花を見に行こうよと誘う歌もあります。 「子どもらよ いざ出(い)でいなむ 弥彦の岡の すみれの花にほひ見に」 子どもと同じ目線で、遊んでいる良寛さまが目に浮かんできます。 夢中に遊ぶ子どもたちには人生の悩みなどありません。 人生の生き方を子どもに学べという古人の教えは尊いと思います。 聖書からもいい言葉を紹介したいと思います。 弟子たちがイエスのところに来て言った。 「それでは、天の国では、だれが一番偉いのでしょうか。」 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、 彼らの真ん中に立たせて、言われた。 「まことに、あなたがたに告げます。 あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、天の国には入れません。 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の国で一番偉い人です。」 (マタイ18-3) 大勢の大人に囲まれて、自分は何も知らないし、何もできない。 しかし、それでいいのです。 何もわからず、無力な自分を受けいれること、それが天国へのパスポート。 大人になって「自分はほかの人よりも優れている」などと思い始める時に、天の国はだんだん遠くに行ってしまうということです。 『子どものようになれとの教え』 子どもを愛し、同じ目線で過ごした良寛さん。 自分を低くする者になれ。 導きの言葉になりますように。 合掌
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