生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

極楽と地獄

2023-07-26 01:00:26 | 日々の暮らし
京都府舞鶴市の西国
第29番、青葉山 
松尾寺にある人生訓を紹介します。

『幸福への道』
早起きする人、熟睡できる人
感謝して真剣に努力する人
仕事を趣味に能率を計る人
義務も責任も進んで果す人
時間を守る人、礼儀正しい人
頼もしい人、融和を計る人
人も自分をも尊敬できる人
常に反省し素直に改める人
何事も善意に解釈する人
注意深い人、決断の早い人
身心の健康を心掛ける人
質素で金を活かして使う人
孝心深い人、恩に報いる人
親切で人の為によく尽くす人
良心と優しい愛情に満ちた人
恥を知る人、偽りのない人
信念に撤した人、辛抱強い人
どんな苦難も悠々と耐える人
生き甲斐を求め精進する人
夢と希望に笑顔で生きる人

『不幸を自分で造る人』
心の暗い人、不愉快に暮らす人
絶えず不満や愚痴の多い人
やる気がなくよくサボル人
無責任な人、法規を守らぬ人
時間も「物」も無駄にする人
陰口が多く人の和を乱す人
卑下する人、自信なく焦る人
信仰心がなく自我の強い人
神仏に無理な願いをする人
心が狭くすぐ腹を立てる人
暴飲暴食自分を粗末にする人
お金を浪費し賭事をする人
悪友も道楽暇も多すぎる人
公徳心なく迷惑を掛ける人
利己的で自分本位の人
迷いも取り越し苦労も多い人
欲の深い人、自惚れの強い人
依頼心の強い人、苦労に負ける人
義理より権利を主張する人
貴重な一生を無為に過ごす人

以上のように、考え方や取り組み方で、幸、不幸、極楽と地獄にわかれると述べています。
人間は極楽と地獄を行ったり来たりして毎日を過ごしている。
それに気づいて明日を生きれば、極楽の世界が待っています。
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チャンスは失敗から

2023-07-25 02:22:28 | 日々の暮らし
「チャンスは何度かあるもの。
それを生かしたから成功したとは限らない。
チャンスに失敗してどん底を知って何かを得た者、それがチャンスを生かした者と神は教えているのだ。」
     (私) 

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通り過ぎる風

2023-07-24 01:45:07 | 日々の暮らし
「愚かな者と賢い人」
THE FOOLISH AND THE WISE
友よ、こんにちは。
お変わりなくお過ごしのことと思います。
この世がすべてであるかのように生きる人が多いかもしれませんが、私から見ればちょっと可哀想ではないかと思います。
心理学者ユング(1875-1961)という人がいましたね。
彼は、死後の存在を信じることは精神衛生上では非常に重要な役割を果たしていると言いました。(もちろん、健康的だから信じるのではなく、信じるから健康的だということです。
キリスト様が言われた愚かな者は「アホー」とか「馬鹿」という意味ではありません。
場合によっては、この「愚か者」は万事に抜け目なく、世の功名を成し遂げた人たちであるかもしれません。
ただただ、この世だけに没頭して、死とか死後のことについては問うことも、考えることもあまりしない。
「知らぬが仏」になるでしょうか。
聖パウロは、「もし、私たちは、この人生においてキリストに望みをかけて生きているだけのことだとすれば、すべての人の中で最も哀れなものです」と言います。
彼はクリスチャンたちにそう言っているのですが、しかしこの言葉は何もクリスチャンたちだけに限りられていません。
人はこの世だけに望みをかけて生きるなら決して利口とは言えません。
気の毒です。
現世はあくまでも
仮住まいですから・・・。
「人はみな、立ってはいるが、通り過ぎる風。人は影のように動き、むなしく騒ぎまわる。
貯えたものも、だれのものになるか分からない」
(旧約聖書)

よい日を迎えて下さい。
祈りをこめて・・・
ペトロ神父。

ペトロ神父様ありがとうございます。
いつもお導きに感謝しています。
「この世は通りすぎる風」
ありがとうございます。
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如在の心

2023-07-22 23:06:39 | 日々の暮らし
如在(にょざい)の心とは
「在(あ)るが、如(ごと)く」または、
「そこにいるが如く」
という意味です。

常に誰かがそこにいるが如くに、行動をしなさいということです。

これは西郷隆盛が座右の銘として
『人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし、人をとがめず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし』

意味は、人を相手に仕事をするから、その人が見ていなければいいやとか、バレなければいいだろうとか、そういう気持ちが出てくるんだ。

ゆえに
「天を相手に仕事をしろ」と。
天は常に見ているから、常に正しいことができると。
それが、
「如在の心」です。
周りの人を責めるな、
周りの人のせいにしたくなったら、自分の誠意が足りなかったと考えなさい。
と述べています。
どの仕事もそうです。
見ていないからいいやではなく、天が見ているから、手を抜くなと教えていると思います。
私は皆によくいうのは、ご先祖様が見ているからと言っています。
仕事の心構えが違ってくるものです。
中国の後漢書に、
楊震(ようしん)という英才が、長官に任命されて赴任する時に、
昔世話をした王密という者が、金十斤の賄賂をもってやって来た。
楊震は、
「わしはお前をよく知っている。
なのに、お前はわしをよく知らないで、
賄賂をもって来るとはどういうことだ」
と受け取らなかった。
すると王密は、
「もう夜になって誰もいませんから知られることはありません。
どうかお納め下さい!」
とすすめた。
それを聞いた楊震は、
「君は誰も知る者がないと言うが、天が知っている。
神も知っている。
わしも知っている。
君も知っているではないか。
どうして知る者がないと言えるのだ!」
王密はすっかり恥じ入ってすごすごと去っていったという。
賄賂も仕事も同じ、
「如在の心」
天が見ていることを
肝に銘じていきたいものです。
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奇跡の言葉

2023-07-22 02:33:27 | 日々の暮らし
仏教語に、「不可思議」という言葉があります。
サンスクリット語のアチントヤ(考えられない)を訳したものです。

キリスト教を「奇蹟の宗教」と呼ぶとすれば、仏教は「不可思議の宗教」あるいは「不思議な宗教」と呼ぶそうです。
良寛の詩に
『花は無心にして蝶を招き蝶は無心にして花を尋ぬ。花開く時蝶来たり蝶来る時花開く。われもまた人を知らず人もまたわれを知らず。知らずとも帝則(大自然の法)に従う。』
知らず知らずのうちに、われわれは自然の大道に従って生きているという意味です。
ごくありきたりの光景が美しくもあり不可思議なことである。
この不可思議なことを仏教では奇蹟として表現しているのです。
仏教語で不可思議という言葉は奇蹟という意味で大自然をさしており、良寛さんの詩がそれを説いています。
自然を愛し、死ぬ時はこの自然を形見に残しますという良寛辞世の句を思い出します。
ありのままに生きる
ありのままの自然を
伝え残すことが仏教やキリスト教の本質だと思います。
あなたの神を信じなさい。それが奇跡ですと聖書にあります。
奇跡の言葉が頭に浮かぶので書きました。
  
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