くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

オバちゃんからの暑中見舞い

2022-08-17 21:10:30 | 日記

毎年、

夏になると、この1枚の絵葉書を見て、オバちゃんの事を思い出します。

 

 

これは2004年(平成16年)にオバちゃんから貰った暑中見舞いです。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

平成16年。

今からおよそ18年前。

 

私は夜勤をしておりました。

夕方の6時頃に出勤し、夜中トラックを走らせる。

仕事が終わるのは朝方の7時頃。

 

会社近くのアパートに帰る。

約2時間の睡眠。

そして、10時開店のパチンコ屋へ………

 

そんな毎日だった私。

 

 

夕方からの仕事までに、パチスロで10万勝つときもあれば、10万負ける時もある。

勝っても負けても、夜勤の仕事だけはサボらす勤務を続けていた。

 

しかし、

毎日の睡眠が約2時間………

そんな生活が長く続くはずがない。

 

 

私は身内(母や弟)には内緒で仕事を辞め、1人、毎日パチスロに明け暮れる日々を送っていた。

私が思い描いていた思惑とは真逆に、サラ金からの借金だけがどんどんと増えてゆく。

いつしか私はパチンコにも行けなくなり、一人アパートで酒を飲み続けているような生活を送っていた。

 

 

 

「このまま、死んでしまおうか………」

 

 

そう思った事もあった。

 

 

 

丁度そんな頃に、ポストに入っていた一通のこの絵葉書。

 

 

 

 

涙が止まらなかった。。。

 

 

私は一念発起し、産業廃棄物収集運搬業に就職し、汗を流し働く喜びを覚えた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

仕事をしながら、出会った彼女と私は結婚した。

その彼女との間に子供も産まれ、このまま幸せな日々がいつまでも続くと信じていた。

 

しかし、

私も、妻であった彼女も、互いにスロット中毒、ギャンブル依存症である二人の夫婦が、いつまでも幸せな暮らしを続ける事など出来るわけがない。

 

 

 

結婚してから一年、

離婚。

 

 

 

彼女との慰謝料、養育費などを巡る調停。

ボロボロになった私は実家に帰るしか他なかった。

一銭もなかった私。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

その頃……

オバちゃんは末期の癌に侵されて病院に入院していた。

私はある日、オバちゃんが入院していた病院に出向いた。

 

 

 

 

オバちゃん:

「おう!よく来てくれたな。オマエさん。

 

ま、聞かなくても

オマエさんの事はオフクロさんからイロイロ聞いとるからな。知ってるぞ。」

 

 

笑いながら、そう言うオバちゃん。

オバちゃんは私の母の姉。

 

 

オバちゃん:

「ほれ、コレ見てみ、オバちゃんのこの足。

こうなっちゃうと、流石にオバちゃんでも歩けなくなっちゃうわ(笑)」

 

 

ベッドの傍ら、私の方に脚を差し出したオバちゃん。

その脚は、浮腫んで象のような脚になり、カチカチだった。

 

 

オバちゃん:

「お前さんも、イロイロと今は大変だろうけど、頑張ってな。

コレ、今はこんなだからオバちゃん貧乏でな、コレしかあげること出来ないけど。ほれ、小遣い。オマエさんに。」

 

 

 

不自由な身体をなんとか動かし、巾着袋の財布から5000円札を、こんな時なのに、私に差し出したオバちゃん。

 

 

 

 

私は、そんなオバちゃんの姿を見ながら、ベッドに顔を埋め、ボロボロに泣いてしまった。。。

 

 

 

 

 

数日後………

 

 

オバちゃんは静かに息をひきとった。

 

 

 

平成21年。今からおよそ13年前のこと。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「オバちゃん。

オレ、まだなんとか働いてるよ。

相変わらず、ダメダメだけどね。」

 

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。