先日、仕事中に取引先である老人ホームにお邪魔していた時、こんなことがありました。
「あの、仕事とはまったく関係ありませんが、チョットお話しさせていただいてもよろしいですか?」
私にそう声をかけてきた女性がいました。
見たところ私よりも5~7歳ぐらい歳下に見えるけれど、名前すら知らないその女性。今までに何度か会ってはいるけれど、これまで挨拶程度の会話ぐらいしかしたことがありませんでした。
…………なんだ、なんだ?
もしかして、とうとう来ちゃった、これって?
あらぬ期待に胸を膨らませながら、
「はい、なんでしょうか?」
そう応えた私。
女性:
「実は私…………
○○教という集まりに参加していたりするのですが、もし宜しければこの近くで週に1度程度の集まりがあるので、良かったら参加してみませんか?」
……………おいおい、
な、なんだよ、
やっぱしそっち系なのね(;´д`)
私:
「あー、すみません。
私は無宗教なものですから、申し訳ありませんがそういった集まり等には参加するつもりはありません。
ご免なさい。」
そう私が答えると、その女性は、
女性:
「そうですか…………
ご、ごめんなさい、お仕事中に。
また、もし興味があればいつでも声をかけてください。」
そう言って、その女性は足早にその場を去っていった。
夕方、会社に戻り、その出来事を同僚や社長などに話してみたところ、
社長:
「仕事中にけしからん話ですね。災難でしたね。」、
同僚:
「うわ、マジで最悪ッスね、それ。」
…………というような返事が返ってきた。
確かに、仕事中にそういった勧誘じみたことをするのは私としても、いかがなものかと思う。
だが、
私自身も一応は無宗教ではあるけれど、"自分を超えた大きな力"であるAAやGAといったチョット宗教チックな集まり、自助グループに通ってきたからこそ、今こうして仕事も出来て、好きなこともしていられるのかもしれない。
そう思うとなんだか複雑な想いだった。。。
先日、久しぶりにAAミーティングに行ってきました。
約4ヶ月ぶりに。
会場のドアを久しぶりに開けた。
良いのか悪いのか分からないけれど、メンバーは減ってもいなければ、増えてもいませんでした。
前回私が出席した4ヶ月前と変わらない顔ぶれ。
仲間は普段通りに私に接してくれました。
「ミーティングにはちゃんと出席するように!」……などと強制する仲間は勿論居ません。
自分が行きたくなった時に、いつでも参加が可能。
それがAA(アルコホーリクス・アノニマス)、GA(ギャンブラーズ・アノニマス)という、チョット宗教チックな自助グループ。
私はこの4ヶ月の間、敢えてミーティングの場を離れた。
今までにもミーティングから離れることは度々あったけれど、4ヶ月もの間欠席することなど無かった。
敢えてミーティングの場を離れた理由、それは「酒とギャンブル」という囚われから、自らを開放したかった。
なぜミーティングに行くのか?
ミーティングに通うこと、それは「酒とギャンブルを絶って生きてゆくための手段」であり、私の中ではそれ以上のものでも、それ以下のものでもありません。
しかし、
いつの間にか、ミーティングに通い続けていることにより、いつまで経っても"酒とギャンブル"という囚われから開放されることなく、いつまで経っても酒とギャンブルという物に拘り(こだわり)続けている自分自身に違和感を感じていました。
現在、(一応)私のホームであるグループには約7~10名ほどの仲間がミーティングに参加しております。
面子はあまり変わっていませんでした。
私のスポンサーは、かつてこのグループに並々ならぬ情熱を注ぎ、このグループを作った人でした。
しかし、今から1年半前にスリップ、彼はこの1年半ミーティングに出席してきてはおりません。
どんなにグループに情熱を注ぎこんだとしても、誰にでもスリップの危険はあるということです。
ミーティング会場を去る間際、気の置けない仲間に言われました。
「来週も待ってるからね。」
…………と。
その仲間は笑いながら、冷やかし半分で言ったつもりだろうけれど、なんとなく私の心に"グサッ"と刺さりました。
これから先………
私はミーティングにいつまで通うのかは、自分でも分かりません。
どんなに、
「あれは無かったことにしよう」……と思ってみても、過去の出来事を無かったことにはできない。
でも、
愚かだった自分を振り返り、新たな自分を作っていくことなら誰にだってできる。
酒を断ち、一切のギャンブルから足を洗って3年。
この先………
いつまで続けられるのか分かりませんが、
"今日一日"
だけは"飲まない、賭けない"
それを積み重ねていくだけです。
そして、明日へと。