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人種差別にどう対応するべきか - ガイ・カワサキ     2024/04/20

2024年11月10日 14時31分49秒 | 差別問題

人種差別にどう対応するべきか - ガイ・カワサキ

2024/04/20

 
いつも思うけどこれいい話だよね
引用
Brandon K. Hill | CEO of btrax x/2@BrandonKHill·1時間
僕が尊敬するガイ・カワサキが語る、日系アメリカ人として経験した差別について。彼の父親から受け取った教訓とは?こんな時だからこそ紹介したい動画。本当にこれこそが究極の強さだと思う。この2分で価値観が変わります
 
wikipedeia

ガイ・カワサキGuy Kawasaki1954年 - )は、シリコンバレー著述家演説家投資家、ビジネスアドバイザー。元Apple Computerテクノロジー・エバンジェリストとして知られている。

経歴

1954年、ハワイ日系移民の子供としてうまれる。父親は消防士不動産業などの職業につき、後にはハワイ州の州議会議員にもなった。1976年にスタンフォード大学を卒業。家族は、ガイに医師弁護士になることを望み、彼はカリフォルニア大学デービス校ロースクールに進学するが、すぐに学校をやめ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校ビジネススクールに進学し、MBAを取得した。

その後、ノバ・スタイリングという宝石メーカに勤務し、宝石の営業を経験する。次に、エデュウェアという教育ソフトのメーカに勤務するが、アトランタにあるソフト会社に買収されてしまう。買収元の会社は、ガイにアトランタ勤務を命じるが、これを断った。スタンフォード時代の同級生で、Apple Computerで働いていたマイク・ボイチに誘われて、1983年にApple Computerに入社する。

1984年の1月に登場したAppleのMacintoshであったが、対応するサードパーティーのソフトはほとんど無かった。そこで、Appleは外部のソフト会社にMacintosh用のソフト開発を説得する職種であるエバンジェリストを作り、そこにマイク・ボイチや、ガイらを任命した。またガイは、Appleの優れた技術者を認定するAppleフェローという制度を作った。

1987年にAppleを去り、4th Dimensionを販売していたACIUS社のCEOに就任。

1995年、経営の危機に瀕したAppleに再び呼び戻された。しかし1997年にスティーブ・ジョブズが復帰すると、再びAppleを離れた。

2008年現在、Garage Technology Ventures の設立者として、またベンチャーキャピタリストとして、投資の世界に身を置いている[1]

2013年3月1日、カワサキはGoogleに入社し、モトローラ・モビリティのアドバイザーに就任することを発表した [2]

2014年4月1日、オーストラリアのスタートアップ企業Canvaのチーフ・エバンジェリストに就任した[3]

(ガイカワサキ)

 
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