児童文学 じどうぶんがく
ここにいう児童文学とは,子どもたちのための文学作品を意味するが,それはもとより文学の一分野であって,文学の本筋からはなれた別のものではない。しかし,児童文学は,そうした文学性をそなえつつ,子どもたちに楽しみをあたえうるものでなければならず,生涯を通じて生きつづける経験ともいうべき深い意味の教育性をそなえていなければならない。そして楽しみと教化という児童文学の 2 要素から,児童文学における訓育主義と芸術主義という二つのモットーがくりかえされてきた。
児童文学の歴史は,子どもたちに対する社会の態度,つまり児童観の変遷ともみられる。 子どもが,単に生物的な庇護を必要とする年少の人間であるばかりでなく,実質をそなえた社会的存在として認識されるようになったのは,日本でも西欧でも中世にまでさかのぼる。子どもという範疇 (はんちゆう) の成立は児童文学の成立の第 1 の前提である。しかし,こうして見いだされた子どもは,まずは未開野蛮の蒙昧 (もうまい) 状態から一刻も早くおとなになるべき存在とされた。それより先,子どもたちは,その本来の新鮮な好奇心から,おとなにたちまじって,おとなたちが語り聞きして楽しんでいた昔話や伝説,神々や世界の始まりについての物語を,乏しい経験の許すかぎりで楽しんだものと思われる。やがておとなが絵入りの本を所有すればそれをのぞき,印刷術の発明普及によっておとなたちが本を所有するようになれば,おとなたちの本棚からこっそりと,みずから本を選びとって自分の本棚にうつしてきた。 《ガリバー旅行記》や《ロビンソン・クルーソー》はその典型的な例である。
したがって児童文学の領域も,広くは,子どもたちが言語を媒介とし耳で聞いた口承の民話,神話,伝説,寓話などからの簡単なお話,民謡,童謡,絵の助けを借りる絵本,絵物語,漫画,そして文字を媒介とする童話,物語,小説,事実の本,知識の本までを含む。この領域の順は児童文学の生長過程でもある。しかし狭義には,これらのもののうち,子どもたちに共感を寄せる文学者たちが意識的に書き,本の形をとったものをいう。狭義の児童文学の成立は,教育の普及による子どもたちの読み書き能力の獲得,中産階級の成立による公教育の場とは異なる享受層と享受の場の成立,子どもの本のマーケットの成立と対応する。狭義の児童文学は,近代の中産階級の広範な出現をまって初めて安定した一つの制度となり,公教育と並存し,基本的には対峙する形でその領域を広げてきたのである。以下,〈絵本〉や〈口承文芸〉については別項にゆずり,狭義の児童文学の歴史をたどってみよう。
【西洋】
世界の児童文学の源流に立つのはC.ペローである。ペローの《ガチョウ小母さんのお話》 (1697) は,昔話に初めて文字をあたえ,〈赤ずきん〉や〈長靴をはいた猫〉〈親指小僧〉を子どもたちの永遠の財産にした。しかし,それにつづく啓蒙主義の普遍理性の時代は,昔話を卑俗で子どもの健全な成長に有害なものとし,子どもの本は教訓としつけの目的に奉仕させられることになった。ほぼ 1 世紀にわたる訓育主義の跋禦(ばつこ) の後に様相は一変する。フランスの文化的優位に対する反発から始まるドイツ・ロマン主義の動きは,自国の土と血に根ざしたものの探求に向かい,そこからC.ブレンターノらの童歌 (わらべうた) の収集と, グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集 (グリム童話) 》 (第 1 巻 1812) が生まれ,つづいて,デンマークでは昔話に美しい空想の翼をあたえたH.C.アンデルセンの《童話集 (アンデルセン童話) 》,さらにはノルウェーのアスビョルンセンP.C.AsbjがrnsenとムーJ.Moeによる民話の収集 (1837 ~ 44) が現れるのである。以下,各国の歴史をたどる。
[イギリス]
16 ~ 17 世紀は手鏡のようなホーンブックhornbook, 17 ~ 18 世紀は江戸時代の赤本のような行商人によるチャップブックchapbookが,子どもたちの唯一の本だった。しかし 1744 年にニューベリーJ.Newberyがロンドンのセント・ポール大聖堂前に,世界で初めての子どものための本屋をひらいて,小型の美しい本を発行し,伝承歌謡を集めた《マザーグースの歌 (マザーグース) 》や O.ゴールドスミスに書かせたと思われる初の創作《靴ふたつさん》を送り出した。しかし 18 世紀を支配したJ.J.ルソーの教育説はたくさんの心酔者を出して,児童文学は型にはまり,C.ラムは姉メアリーとともにこの風潮に反抗して, 《シェークスピア物語》 (1807) などを書いたが,児童文学が自由な固有の世界となるには,ペローやグリム,アンデルセンの翻訳をまたなければならなかった。しばしば子どもたちの実態を小説に描いたC.ディケンズは《クリスマス・キャロル》を 1843 年にあらわし, E.リアは滑稽な 5 行詩による感覚的なノンセンスの楽しみを《ノンセンスの本》 (1846) にまとめた。
空想の国へ子どもをさそうファンタジーは, C.キングズリーの《水の子》 (1863) を経て, L.キャロルの《不思議の国のアリス (アリス物語) 》 (1865) でみごとな花をさかせた。少年小説もまたT.ヒューズの《トム・ブラウンの学校生活》 (1857), R.バランタインの《サンゴ島》 (1857), ウィーダOuidaの《フランダースの犬》 (1872), シューエルA.Sewellの《黒馬物語》 (1877) のあとをうけて, R.L.スティーブンソンの《宝島》 (1883) で完成した。架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》 (1869), G.マクドナルドの《北風のうしろの国》 (1871), R.キップリングの《ジャングル・ブック》 (1894), E.ネズビットの《砂の妖精》 (1902), K.グレアムの《たのしい川べ》 (1908), J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ (ピーター・パン) 》 (1911), W.デ・ラ・メアの《 3 びきのサル王子たち》 (1910) にうけつがれ, ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》 (1921) は空想と現実の美しい織物を織り上げた。さらにA.A.ミルンの《クマのプーさん》 (1926) が新領域をひらき, J.R.R.トールキンの《ホビットの冒険》 (1937), 《指輪物語》 (1954‐55) は妖精物語を大成する。 C.S.ルイスが架空の国ナルニアの 7 部の物語 (《ナルニア国ものがたり》1950‐56) で善悪の問題を取り扱い, トラバーズP.L.Traversの〈メリー (メアリー)・ポピンズ〉5 部作 (1934‐82) はユーモアをこめて新しい魔女をつくり出し, ノートンM.Nortonも人間から物を借りてくらす小人たちのミニアチュア世界を 5 部作 (1952‐82) で描いてみせた。
ファンタジーはイギリス児童文学の真骨頂というべく,その後もピアスP.Pearce《トムは真夜中の庭で》 (1958) やボストンL.M.Bostonの〈グリーン・ノウ〉 (1954‐76) の連作, ホーバンR.Hobanの《親子ネズミの冒険》 (1967), ガーナーA.Garnerのウェールズ伝説に根ざした諸作 (1960‐), メーンW.Mayneの《地に消える少年鼓手》 (1966) などの秀作が生まれ, 1950 年代から 60 年代の隆盛期を現出させた。 72 年には動物ファンタジー《ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち》がアダムズR.Adamsによって書かれた。冒険小説もJ.メースフィールドを経て, ランサムA.Ransomeのたのしい休暇中のヨット旅行の数々の冒険 (1930‐47) に発展した。歴史小説ではサトクリフR.Sutcliffがぬきんでて,両トリーズG.Trease,H.TreaseやウェルチL.Welch, ハーネットC.Harnett,バートンH.Burtonらがつづく。実生活の問題を含んだ題材がガーネットE.Garnettの《袋小路 1 番地》 (1937) からしだいに多く扱われはじめ, 60 年代のメーンやタウンゼンドJ.R.Townsendにうけつがれ,さらに思春期の少年小説が,ウォルシュJ.P.WalshやペートンK.M.Peytonによって書かれている。
[アメリカ]
アンデルセンと同じ時代に,アメリカではW.アービングが《リップ・バン・ウィンクル》 (1802) を書き, J.F.クーパーがインディアンものを 1823‐41 年につづけて出し, N.ホーソーンがはっきり子どもをめざして昔の歴史や神話を書きなおしていた。 52 年のストー夫人の《アンクル・トムの小屋》はむしろ社会的な事件であったが,それよりも 65 年のドッジ夫人M.M.Dodgeの《ハンス・ブリンカー (銀のスケート靴) 》は,児童文学上の事件であった。彼女の写実的傾向はついに,L.M.オルコットの《リトル・ウィメン (若草物語) 》 (1868), 《リトル・メン》 (1871),クーリッジS.Coolidgeの〈ケーティもの〉のような,健全な家庭小説を新たに開拓し,ついにアメリカ的なマーク・トウェーンの《トム・ソーヤーの冒険》 (1876), 《ハックルベリー・フィンの冒険》 (1884) にいたった。 バーネットF.H.Burnettの《小公子》 (1886), ウィギンK.D.Wigginの《少女レベッカ》 (1903) はこの明るい精神の所産である。この国の昔話は黒人やインディアンの民話の粋をとりこんで, ハリスJ.C.Harrisの動物民話集《リーマス物語》 (1880) に結実した。
20 世紀にはいってアメリカの児童文学は,児童図書館の発達によって多彩となった。動物物語にはJ.ロンドンをはじめとして, ムカージD.G.MukerjiやターヒューンA.P.Terhune, ジェームズW.Jamesなどがおり,少年小説ではJ.ウェブスターの《あしながおじさん》 (1912) やバーネットの《秘密の花園》 (1910) がある。しかし,最も特色ある一分野は,アメリカ史上の栄光である開拓時代を題材とするもので, ワイルダーL.I.Wilderの 8 部に及ぶ開拓少女ローラに関する大河小説がその圧巻である。次に移民たちが故国の思い出をつづることで生じた諸国物語の系列がある。オランダを舞台とするデヨングD.DeJongの《あらしの前》 (1943) と《あらしの後》 (1944) は感動的だし, デヨングM.DeJongの《コウノトリと 6 人の子ども》 (1954) は心理を深めて個性的である。童話はイギリスから帰化したロフティングH.Loftingの〈ドリトル先生〉の数々の愉快な物語 (《ドリトル先生物語》1920‐53) によってこの国に定着し, J.G.サーバーやデュ・ボアW.P.Du Boisを経て, ホワイトE.B.White《シャーロットのおくりもの》 (1952) が生まれた。 1960 年代以降は本家イギリスのファンタジーを追う様々の試みがあるが, U.K.ル・グインが傑出し,ほかはアレゴリーの域を出ない。ほかに歴史小説のスピアE.G.Speareや冒険小説のオデルS.O ’ Dellがいるが,なんといっても近年のアメリカのリアリスティックな作品を特徴づけるのは,多民族国家アメリカの少数民族の経験を核にしたさまざまの作品である。ユダヤ人のカニグズバーグE.L.Konigsburg, I.B.シンガー,黒人のハミルトンH.Hamiltonがすぐれ,ほかにフォックスP.Fox,ボイチェホフスカM.Wojciechowskaらが問題作を書いている。
[旧ソ連邦]
かつてロシアでは,A.S.プーシキンが民話に取材して《金のニワトリ》 (1834) などを書き, エルショフP.P.Ershovが《せむしの小馬》 (1834) を作り, I.A.クルイロフはイソップ風の寓話を, V.M.ガルシンは童話的な寓話を書いたが,いずれも権力に刃向かう声であった。 F.K.ソログープは暗い影の多い不思議な小説を作り, L.N.トルストイはおおらかな民話と小品を発表した。革命後の新しい児童文学の父はM.ゴーリキーであったが,彼はとくに子どものものを書かずに, V.V.マヤコーフスキーやS.Ya.マルシャークやK.I.チュコフスキーにその実りをゆずった。そのうちでマルシャークは第一人者として, 《 12 の月 (森は生きている) 》 (1943) のような劇やたくさんの童謡を発表している。ソ連の写実的な児童向きの小説は,A.P.ガイダールの《革命軍事会議》 (1926) とパンテレーエフA.I.Panteleevの《金時計》 (1928) あたりで形づくられた。
スターリン体制下でも,ボロンコワL.F.Voronkova, ムサトフA.I.Musatov,ノソフN.N.Nosovらが子どもの生活を描いたが, 1966 年のフロロフV.Frolov《愛について》に至って少年の現実生活を描いて間断するところがなくなった。空想的な物語は不調のようだが,民話のエネルギーをくんで力強く美しい文学作品に結晶させたP.P.バジョーフの《孔雀石の函》 (1939) 所収の《石の花》は,プーシキン以来のロシア児童文学の伝統の力を垣間見せる。民話への指向はマブリナT.Mavrinaにもうけつがれている。自然を扱う作家にはM.M.プリーシビン, V.V.ビアンキがおり,幼年ものではミハルコフS.V.Mikhalkovがすぐれ,ノンフィクションのM.イリインは国際的に評価された。
[フランス]
ペローの古典を幕開けとして,歴史は長いが実質がふるわないのは,この国の教育が子ども時代の固有な点を受け入れないせいであろうか。作品は太い流れを形づくることはなく,おもしろい作品が多いが散発的である。 H.H.マロが《家なき子》 (1878) で遍歴する孤児のテーマを流布させたが,同じころJ.ベルヌが SF の先駆といわれる作品を精力的に書いて,夢想に現実性を与えた。少年小説の古典《二年間の休暇 (十五少年漂流記) 》 (1888) も彼の手になる。
20 世紀にはいるとベルギーの詩人M.メーテルリンクが童話劇《青い鳥》 (1908) を書き, 1932 年にはC.ビルドラックが《ライオンの眼鏡》を生んだ。同じころのショボーL.Chauveauは子どもの酷薄さと向きあった作家である。第 2 次大戦で死んだサンテグジュペリの《星の王子さま》 (1943) は詩のように美しい傑作であった。戦後ギヨーR.Guillotが出現して,はじめてフランスにおける子ども固有の文学が世界的にみとめられたといってよい。ギヨーの作品は,ことに動物もので名高い。 M.エーメの幼年物語は,奇想と機知にみちている。さらに,ボードゥイM.‐A.Baudouy,ビビエC. Vivier, ベルナP.Bernaなどもいる。 ドリュオンM.Druon《みどりのゆび》 (1957) はサンテグジュペリを継ぎ,空想的な物語にはグリパリP.Gripariの《木曜日はあそびの日》がある。南フランスの風土の精気を昇華させて独特のファンタジーを生んだボスコH.Boscoの諸作品も見逃すことはできない。
[ドイツ]
ドイツでは J.B.バゼドーの主唱に呼応してコンペJ.H.Compeが 1776 年に《小さな子ども文庫》を出したのがはじめで,ややおくれてG.A.ビュルガーが 1786 年にラスペR.E.Raspeの作に手を入れた《ミュンヒハウゼン男爵の冒険 (ミュンヒハウゼン物語) 》をあらわし,ゲーテにつづくロマン派の人々が,民話の収集にあたっている。その所産がブレンターノとA.von アルニムの《少年の魔笛》であり,グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集》であった。 ベヒシュタインL.Bechsteinの《ドイツ童話の本》 (1844) がそれにつづく。一方では,L.ティーク,ブレンターノ, F.de la M.フケー,E.T.A.ホフマンが不思議な物語を手がけ,その流れから創作としてぬきんでたW.ハウフの《隊商》 (1826) が生まれた。 T.シュトルムやA.シュティフターにも子どもに向く作品はあるが, レアンダーR.Leanderの《フランス風暖炉のそばの夢想》 (1871) とザッパーA.Sapperの《愛の一家》 (1906) が大きな収穫となった。前者は童話,後者は家庭小説である。そのあいだに,1896 年ウォルフガストH.Wolfgastが新しい児童文学を提唱して, ローゼッガーP.Roseggerなどを生み,やがて詩人W.ボンゼルスの《蜜蜂マーヤの冒険》 (1912) が出て,第 1 次世界大戦にはいる。オーストリアのザルテンF.Saltenの《バンビ》 (1923) とE.ケストナーの《エミールと探偵たち》 (1928) が出ると,新生面がひらけるかにみえたが,第 2 次大戦でとざされてしまった。しかし,わずかではあるが,ウォルフF.Wolf, ウィーヘルトE.Wiechertらのすぐれた作品がある。
現在ドイツは 2 分しているが,ケストナー以下ミューレンウェークF.M‰hlenwegやヘルトK.Held, シュポンゼルH.SponselやバウマンH.Baumannと歴史もの・冒険もののうまい作家がつづき, リュートゲンK.L‰tgenも前代の大衆作家K.マイを顔色なからしめている。動物物語ではクナークK.KnaakやシュトイベンF.Steubenが出てレーンスH.LÅnsを古くした。女流ではガストL.Gastやベナリー・イスベルトM.Benary‐Isbert, ミヒェルスT.Michels,ウェルフェルU.WÅlfelがいる。 プロイスラーO.Preussler,クリュスJ.Kr‰ssがさまざまの形式に挑み, エンデM.EndeやツィムニクR.Zimnikは現代の寓話を書き, ヘルトリングP.H∵rtlingが実験的な作品を書いている。
[イタリア]
イタリアはE.デ・アミーチスの《クオーレ》 (1886) とコロディC.Collodiの《ピノキオ》 (1880) によって新風をおくったが, ヌッチョE.Nuccioのするどい童話と,ロダーリ G.Rodari の《チポリノの冒険》 (1951) もめだっている。イタリアの民話を集大成して児童文学に接近したI.カルビーノの《マルコバルドさんの四季》 (1963) も見逃せない。 ゴッタS.Gottaの冒険小説は戦時中からつづき, マンツィA.Manziの動物物語は新しい収穫といわれる。ほかに新しいメディアを活用するアルジリ M.Argilliがいる。
ここにいう児童文学とは,子どもたちのための文学作品を意味するが,それはもとより文学の一分野であって,文学の本筋からはなれた別のものではない。しかし,児童文学は,そうした文学性をそなえつつ,子どもたちに楽しみをあたえうるものでなければならず,生涯を通じて生きつづける経験ともいうべき深い意味の教育性をそなえていなければならない。そして楽しみと教化という児童文学の 2 要素から,児童文学における訓育主義と芸術主義という二つのモットーがくりかえされてきた。
児童文学の歴史は,子どもたちに対する社会の態度,つまり児童観の変遷ともみられる。 子どもが,単に生物的な庇護を必要とする年少の人間であるばかりでなく,実質をそなえた社会的存在として認識されるようになったのは,日本でも西欧でも中世にまでさかのぼる。子どもという範疇 (はんちゆう) の成立は児童文学の成立の第 1 の前提である。しかし,こうして見いだされた子どもは,まずは未開野蛮の蒙昧 (もうまい) 状態から一刻も早くおとなになるべき存在とされた。それより先,子どもたちは,その本来の新鮮な好奇心から,おとなにたちまじって,おとなたちが語り聞きして楽しんでいた昔話や伝説,神々や世界の始まりについての物語を,乏しい経験の許すかぎりで楽しんだものと思われる。やがておとなが絵入りの本を所有すればそれをのぞき,印刷術の発明普及によっておとなたちが本を所有するようになれば,おとなたちの本棚からこっそりと,みずから本を選びとって自分の本棚にうつしてきた。 《ガリバー旅行記》や《ロビンソン・クルーソー》はその典型的な例である。
したがって児童文学の領域も,広くは,子どもたちが言語を媒介とし耳で聞いた口承の民話,神話,伝説,寓話などからの簡単なお話,民謡,童謡,絵の助けを借りる絵本,絵物語,漫画,そして文字を媒介とする童話,物語,小説,事実の本,知識の本までを含む。この領域の順は児童文学の生長過程でもある。しかし狭義には,これらのもののうち,子どもたちに共感を寄せる文学者たちが意識的に書き,本の形をとったものをいう。狭義の児童文学の成立は,教育の普及による子どもたちの読み書き能力の獲得,中産階級の成立による公教育の場とは異なる享受層と享受の場の成立,子どもの本のマーケットの成立と対応する。狭義の児童文学は,近代の中産階級の広範な出現をまって初めて安定した一つの制度となり,公教育と並存し,基本的には対峙する形でその領域を広げてきたのである。以下,〈絵本〉や〈口承文芸〉については別項にゆずり,狭義の児童文学の歴史をたどってみよう。
【西洋】
世界の児童文学の源流に立つのはC.ペローである。ペローの《ガチョウ小母さんのお話》 (1697) は,昔話に初めて文字をあたえ,〈赤ずきん〉や〈長靴をはいた猫〉〈親指小僧〉を子どもたちの永遠の財産にした。しかし,それにつづく啓蒙主義の普遍理性の時代は,昔話を卑俗で子どもの健全な成長に有害なものとし,子どもの本は教訓としつけの目的に奉仕させられることになった。ほぼ 1 世紀にわたる訓育主義の跋禦(ばつこ) の後に様相は一変する。フランスの文化的優位に対する反発から始まるドイツ・ロマン主義の動きは,自国の土と血に根ざしたものの探求に向かい,そこからC.ブレンターノらの童歌 (わらべうた) の収集と, グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集 (グリム童話) 》 (第 1 巻 1812) が生まれ,つづいて,デンマークでは昔話に美しい空想の翼をあたえたH.C.アンデルセンの《童話集 (アンデルセン童話) 》,さらにはノルウェーのアスビョルンセンP.C.AsbjがrnsenとムーJ.Moeによる民話の収集 (1837 ~ 44) が現れるのである。以下,各国の歴史をたどる。
[イギリス]
16 ~ 17 世紀は手鏡のようなホーンブックhornbook, 17 ~ 18 世紀は江戸時代の赤本のような行商人によるチャップブックchapbookが,子どもたちの唯一の本だった。しかし 1744 年にニューベリーJ.Newberyがロンドンのセント・ポール大聖堂前に,世界で初めての子どものための本屋をひらいて,小型の美しい本を発行し,伝承歌謡を集めた《マザーグースの歌 (マザーグース) 》や O.ゴールドスミスに書かせたと思われる初の創作《靴ふたつさん》を送り出した。しかし 18 世紀を支配したJ.J.ルソーの教育説はたくさんの心酔者を出して,児童文学は型にはまり,C.ラムは姉メアリーとともにこの風潮に反抗して, 《シェークスピア物語》 (1807) などを書いたが,児童文学が自由な固有の世界となるには,ペローやグリム,アンデルセンの翻訳をまたなければならなかった。しばしば子どもたちの実態を小説に描いたC.ディケンズは《クリスマス・キャロル》を 1843 年にあらわし, E.リアは滑稽な 5 行詩による感覚的なノンセンスの楽しみを《ノンセンスの本》 (1846) にまとめた。
空想の国へ子どもをさそうファンタジーは, C.キングズリーの《水の子》 (1863) を経て, L.キャロルの《不思議の国のアリス (アリス物語) 》 (1865) でみごとな花をさかせた。少年小説もまたT.ヒューズの《トム・ブラウンの学校生活》 (1857), R.バランタインの《サンゴ島》 (1857), ウィーダOuidaの《フランダースの犬》 (1872), シューエルA.Sewellの《黒馬物語》 (1877) のあとをうけて, R.L.スティーブンソンの《宝島》 (1883) で完成した。架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》 (1869), G.マクドナルドの《北風のうしろの国》 (1871), R.キップリングの《ジャングル・ブック》 (1894), E.ネズビットの《砂の妖精》 (1902), K.グレアムの《たのしい川べ》 (1908), J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ (ピーター・パン) 》 (1911), W.デ・ラ・メアの《 3 びきのサル王子たち》 (1910) にうけつがれ, ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》 (1921) は空想と現実の美しい織物を織り上げた。さらにA.A.ミルンの《クマのプーさん》 (1926) が新領域をひらき, J.R.R.トールキンの《ホビットの冒険》 (1937), 《指輪物語》 (1954‐55) は妖精物語を大成する。 C.S.ルイスが架空の国ナルニアの 7 部の物語 (《ナルニア国ものがたり》1950‐56) で善悪の問題を取り扱い, トラバーズP.L.Traversの〈メリー (メアリー)・ポピンズ〉5 部作 (1934‐82) はユーモアをこめて新しい魔女をつくり出し, ノートンM.Nortonも人間から物を借りてくらす小人たちのミニアチュア世界を 5 部作 (1952‐82) で描いてみせた。
ファンタジーはイギリス児童文学の真骨頂というべく,その後もピアスP.Pearce《トムは真夜中の庭で》 (1958) やボストンL.M.Bostonの〈グリーン・ノウ〉 (1954‐76) の連作, ホーバンR.Hobanの《親子ネズミの冒険》 (1967), ガーナーA.Garnerのウェールズ伝説に根ざした諸作 (1960‐), メーンW.Mayneの《地に消える少年鼓手》 (1966) などの秀作が生まれ, 1950 年代から 60 年代の隆盛期を現出させた。 72 年には動物ファンタジー《ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち》がアダムズR.Adamsによって書かれた。冒険小説もJ.メースフィールドを経て, ランサムA.Ransomeのたのしい休暇中のヨット旅行の数々の冒険 (1930‐47) に発展した。歴史小説ではサトクリフR.Sutcliffがぬきんでて,両トリーズG.Trease,H.TreaseやウェルチL.Welch, ハーネットC.Harnett,バートンH.Burtonらがつづく。実生活の問題を含んだ題材がガーネットE.Garnettの《袋小路 1 番地》 (1937) からしだいに多く扱われはじめ, 60 年代のメーンやタウンゼンドJ.R.Townsendにうけつがれ,さらに思春期の少年小説が,ウォルシュJ.P.WalshやペートンK.M.Peytonによって書かれている。
[アメリカ]
アンデルセンと同じ時代に,アメリカではW.アービングが《リップ・バン・ウィンクル》 (1802) を書き, J.F.クーパーがインディアンものを 1823‐41 年につづけて出し, N.ホーソーンがはっきり子どもをめざして昔の歴史や神話を書きなおしていた。 52 年のストー夫人の《アンクル・トムの小屋》はむしろ社会的な事件であったが,それよりも 65 年のドッジ夫人M.M.Dodgeの《ハンス・ブリンカー (銀のスケート靴) 》は,児童文学上の事件であった。彼女の写実的傾向はついに,L.M.オルコットの《リトル・ウィメン (若草物語) 》 (1868), 《リトル・メン》 (1871),クーリッジS.Coolidgeの〈ケーティもの〉のような,健全な家庭小説を新たに開拓し,ついにアメリカ的なマーク・トウェーンの《トム・ソーヤーの冒険》 (1876), 《ハックルベリー・フィンの冒険》 (1884) にいたった。 バーネットF.H.Burnettの《小公子》 (1886), ウィギンK.D.Wigginの《少女レベッカ》 (1903) はこの明るい精神の所産である。この国の昔話は黒人やインディアンの民話の粋をとりこんで, ハリスJ.C.Harrisの動物民話集《リーマス物語》 (1880) に結実した。
20 世紀にはいってアメリカの児童文学は,児童図書館の発達によって多彩となった。動物物語にはJ.ロンドンをはじめとして, ムカージD.G.MukerjiやターヒューンA.P.Terhune, ジェームズW.Jamesなどがおり,少年小説ではJ.ウェブスターの《あしながおじさん》 (1912) やバーネットの《秘密の花園》 (1910) がある。しかし,最も特色ある一分野は,アメリカ史上の栄光である開拓時代を題材とするもので, ワイルダーL.I.Wilderの 8 部に及ぶ開拓少女ローラに関する大河小説がその圧巻である。次に移民たちが故国の思い出をつづることで生じた諸国物語の系列がある。オランダを舞台とするデヨングD.DeJongの《あらしの前》 (1943) と《あらしの後》 (1944) は感動的だし, デヨングM.DeJongの《コウノトリと 6 人の子ども》 (1954) は心理を深めて個性的である。童話はイギリスから帰化したロフティングH.Loftingの〈ドリトル先生〉の数々の愉快な物語 (《ドリトル先生物語》1920‐53) によってこの国に定着し, J.G.サーバーやデュ・ボアW.P.Du Boisを経て, ホワイトE.B.White《シャーロットのおくりもの》 (1952) が生まれた。 1960 年代以降は本家イギリスのファンタジーを追う様々の試みがあるが, U.K.ル・グインが傑出し,ほかはアレゴリーの域を出ない。ほかに歴史小説のスピアE.G.Speareや冒険小説のオデルS.O ’ Dellがいるが,なんといっても近年のアメリカのリアリスティックな作品を特徴づけるのは,多民族国家アメリカの少数民族の経験を核にしたさまざまの作品である。ユダヤ人のカニグズバーグE.L.Konigsburg, I.B.シンガー,黒人のハミルトンH.Hamiltonがすぐれ,ほかにフォックスP.Fox,ボイチェホフスカM.Wojciechowskaらが問題作を書いている。
[旧ソ連邦]
かつてロシアでは,A.S.プーシキンが民話に取材して《金のニワトリ》 (1834) などを書き, エルショフP.P.Ershovが《せむしの小馬》 (1834) を作り, I.A.クルイロフはイソップ風の寓話を, V.M.ガルシンは童話的な寓話を書いたが,いずれも権力に刃向かう声であった。 F.K.ソログープは暗い影の多い不思議な小説を作り, L.N.トルストイはおおらかな民話と小品を発表した。革命後の新しい児童文学の父はM.ゴーリキーであったが,彼はとくに子どものものを書かずに, V.V.マヤコーフスキーやS.Ya.マルシャークやK.I.チュコフスキーにその実りをゆずった。そのうちでマルシャークは第一人者として, 《 12 の月 (森は生きている) 》 (1943) のような劇やたくさんの童謡を発表している。ソ連の写実的な児童向きの小説は,A.P.ガイダールの《革命軍事会議》 (1926) とパンテレーエフA.I.Panteleevの《金時計》 (1928) あたりで形づくられた。
スターリン体制下でも,ボロンコワL.F.Voronkova, ムサトフA.I.Musatov,ノソフN.N.Nosovらが子どもの生活を描いたが, 1966 年のフロロフV.Frolov《愛について》に至って少年の現実生活を描いて間断するところがなくなった。空想的な物語は不調のようだが,民話のエネルギーをくんで力強く美しい文学作品に結晶させたP.P.バジョーフの《孔雀石の函》 (1939) 所収の《石の花》は,プーシキン以来のロシア児童文学の伝統の力を垣間見せる。民話への指向はマブリナT.Mavrinaにもうけつがれている。自然を扱う作家にはM.M.プリーシビン, V.V.ビアンキがおり,幼年ものではミハルコフS.V.Mikhalkovがすぐれ,ノンフィクションのM.イリインは国際的に評価された。
[フランス]
ペローの古典を幕開けとして,歴史は長いが実質がふるわないのは,この国の教育が子ども時代の固有な点を受け入れないせいであろうか。作品は太い流れを形づくることはなく,おもしろい作品が多いが散発的である。 H.H.マロが《家なき子》 (1878) で遍歴する孤児のテーマを流布させたが,同じころJ.ベルヌが SF の先駆といわれる作品を精力的に書いて,夢想に現実性を与えた。少年小説の古典《二年間の休暇 (十五少年漂流記) 》 (1888) も彼の手になる。
20 世紀にはいるとベルギーの詩人M.メーテルリンクが童話劇《青い鳥》 (1908) を書き, 1932 年にはC.ビルドラックが《ライオンの眼鏡》を生んだ。同じころのショボーL.Chauveauは子どもの酷薄さと向きあった作家である。第 2 次大戦で死んだサンテグジュペリの《星の王子さま》 (1943) は詩のように美しい傑作であった。戦後ギヨーR.Guillotが出現して,はじめてフランスにおける子ども固有の文学が世界的にみとめられたといってよい。ギヨーの作品は,ことに動物もので名高い。 M.エーメの幼年物語は,奇想と機知にみちている。さらに,ボードゥイM.‐A.Baudouy,ビビエC. Vivier, ベルナP.Bernaなどもいる。 ドリュオンM.Druon《みどりのゆび》 (1957) はサンテグジュペリを継ぎ,空想的な物語にはグリパリP.Gripariの《木曜日はあそびの日》がある。南フランスの風土の精気を昇華させて独特のファンタジーを生んだボスコH.Boscoの諸作品も見逃すことはできない。
[ドイツ]
ドイツでは J.B.バゼドーの主唱に呼応してコンペJ.H.Compeが 1776 年に《小さな子ども文庫》を出したのがはじめで,ややおくれてG.A.ビュルガーが 1786 年にラスペR.E.Raspeの作に手を入れた《ミュンヒハウゼン男爵の冒険 (ミュンヒハウゼン物語) 》をあらわし,ゲーテにつづくロマン派の人々が,民話の収集にあたっている。その所産がブレンターノとA.von アルニムの《少年の魔笛》であり,グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集》であった。 ベヒシュタインL.Bechsteinの《ドイツ童話の本》 (1844) がそれにつづく。一方では,L.ティーク,ブレンターノ, F.de la M.フケー,E.T.A.ホフマンが不思議な物語を手がけ,その流れから創作としてぬきんでたW.ハウフの《隊商》 (1826) が生まれた。 T.シュトルムやA.シュティフターにも子どもに向く作品はあるが, レアンダーR.Leanderの《フランス風暖炉のそばの夢想》 (1871) とザッパーA.Sapperの《愛の一家》 (1906) が大きな収穫となった。前者は童話,後者は家庭小説である。そのあいだに,1896 年ウォルフガストH.Wolfgastが新しい児童文学を提唱して, ローゼッガーP.Roseggerなどを生み,やがて詩人W.ボンゼルスの《蜜蜂マーヤの冒険》 (1912) が出て,第 1 次世界大戦にはいる。オーストリアのザルテンF.Saltenの《バンビ》 (1923) とE.ケストナーの《エミールと探偵たち》 (1928) が出ると,新生面がひらけるかにみえたが,第 2 次大戦でとざされてしまった。しかし,わずかではあるが,ウォルフF.Wolf, ウィーヘルトE.Wiechertらのすぐれた作品がある。
現在ドイツは 2 分しているが,ケストナー以下ミューレンウェークF.M‰hlenwegやヘルトK.Held, シュポンゼルH.SponselやバウマンH.Baumannと歴史もの・冒険もののうまい作家がつづき, リュートゲンK.L‰tgenも前代の大衆作家K.マイを顔色なからしめている。動物物語ではクナークK.KnaakやシュトイベンF.Steubenが出てレーンスH.LÅnsを古くした。女流ではガストL.Gastやベナリー・イスベルトM.Benary‐Isbert, ミヒェルスT.Michels,ウェルフェルU.WÅlfelがいる。 プロイスラーO.Preussler,クリュスJ.Kr‰ssがさまざまの形式に挑み, エンデM.EndeやツィムニクR.Zimnikは現代の寓話を書き, ヘルトリングP.H∵rtlingが実験的な作品を書いている。
[イタリア]
イタリアはE.デ・アミーチスの《クオーレ》 (1886) とコロディC.Collodiの《ピノキオ》 (1880) によって新風をおくったが, ヌッチョE.Nuccioのするどい童話と,ロダーリ G.Rodari の《チポリノの冒険》 (1951) もめだっている。イタリアの民話を集大成して児童文学に接近したI.カルビーノの《マルコバルドさんの四季》 (1963) も見逃せない。 ゴッタS.Gottaの冒険小説は戦時中からつづき, マンツィA.Manziの動物物語は新しい収穫といわれる。ほかに新しいメディアを活用するアルジリ M.Argilliがいる。
気まぐれに立ち寄りました。前にも書いたかもしれないですが・・・。
わたしの後ろを歩く親子。子供が、点字ブロックについて「これ何?」と、親にたずねた。親は、「滑り止めだよ」と答えた。わたしは、”この親、本当にそう思ってるの?どうして、きちんと教えないの?前に、白い杖をついた視覚障害のわたしが歩いてるから答えづらいの?”と、怒りに近い思いをした。最近は、点字も生活になじんできたが、もっともっと身近に自然に点字があれば良いのに。「触る絵本」、点字のついている(色も絵もきれい)、下記。こういうポピュラーな所で扱うのは珍しい。点字本、本屋さんで売ってな
点字つき触る絵本(絵も色もきれい)
「てんてん」
http://www.bidders.co.jp/pitem/49543253
点字つき触る絵本(絵も色もきれい)
「ももたろう」
http://www.bidders.co.jp/pitem/78788147