にわかに「健康不安説」がささやかれ出した安倍晋三首相。体調が心配だ。写真は8月15日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝した際のもの(写真:つのだよしお/アフロ)

 安倍晋三首相は8月24日、大叔父の佐藤栄作元首相(在任1964~72年)を超える。首相連続在職日数2799日を達成し、歴代単独1位となる。第1次政権時代を合わせた通算在職日数では、すでに桂太郎を超えて憲政史上最長記録を更新している。安倍首相としては、8月24日が大きな節目となるのは当然で、本来であれば高揚感や祝賀ムードがあってもおかしくない。

 

 しかし、残念ながら現在の永田町にはそういう空気はない。安倍首相の“体調不安説”を軸とした一大政局が展開されているのが現実だ。メディアの中には早期の「辞意表明」や「内閣総辞職」があるとみて臨戦態勢に入っている社もある。

およそ2時間20分、徹底管理された首相の「労働時間」

“体調不安説”が一気に広まったのは、8月4日発売の週刊誌「FLASH」が原因である。同誌は「安倍首相が7月6日に吐血した」とする記事を掲載し、体調の悪さをことさら強調した。従来であれば「信ぴょう性に欠ける」と無視されがちだが、今回はそうはならなかった。火のないところに煙は立たない――。各種マスコミも同様の感触を得ていたのか、永田町の住人もマスコミにつられるような形で急にソワソワし始めた。

 8月16日夜には「首相が緊急入院する」との噂が永田町を駆け巡った。実際、翌17日には主治医のいる慶応大学病院に向かい、検査を受けた。病院滞在時間は約7時間半。18日は都内の自宅で静養、19日から公務に復帰した。同日発売の「週刊新潮」が安倍首相の病状に関して詳細な記事を掲載したのもタイミングが悪く、“体調不安説”はもはや既成事実であるかのように喧伝されている。

 

 実際はどうか。

 安倍首相の体調に何らかの異変が生じているのは事実だろう。例えば、安倍首相が官邸で閣僚や側近、省庁幹部らと面会していた時間をみると、違和感を覚えざるを得ない。時事通信社の「首相動静」を基に8月19日~21日の面会時間を計算してみる。

 19日は約2時間18分。

 20日は約2時間21分。

 21日は約2時間19分。

 寸分違わないレベルで厳密に時間管理がなされている。午後1時過ぎに私邸を出発し、午後6時前に官邸を出て、そのまま私邸に戻るというパターンも3日間全く同じだ。「労働時間」を徹底管理することで体調へのダメージを極力を避け、疲労がたまらないようにしていると読めなくもない。

総裁選に向けた準備運動は2カ月前から

 国会閉幕直後の6月19日、安倍首相、麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官、甘利明自民党税制調査会長の4者会談が行われた。政権の屋台骨を支えてきた面々である。4者会談は実に3年ぶり。前回の会談後には衆院解散があったことは記憶に新しく、永田町とメディアの政局モードを煽るにはもってこいのイベントだった。出席者の1人によると、一番盛り上がった話題は「コロナ下で視聴している動画配信番組は何か」だった。ネットフリックス、アマゾン・プライムビデオなどの人気番組、さらには「任侠・Vシネマ」の話題も出たという。

「政権の最高幹部が集まってそんな話をしているのか?」と思ってしまうが、政治家はあえて雑談に終始し、本論に入らなかったりする。この夜、安倍首相以外の3人は何かしらのメッセージを受け取った可能性がある。それは「ポスト安倍」政局をスタートさせてもよい、という安倍首相からの合図だったと筆者はみる。後継総裁レースに関与したいという最高権力者の欲望がちらつく。体調に関してはこの時点では、まだ深刻ではなかったはずだ。

 与党内政局を主導するのは、二階俊博自民党幹事長である。二階氏と安倍首相は6月24日と7月22日に会食している。7月22日はソフトバンクホークスの王貞治会長や俳優の杉良太郎氏も同席しているので、きな臭い話はなかったかもしれない。

 二階氏は「安倍首相に呼ばれて面会すること」がほとんどない。安倍首相と会うタイミングは二階氏が決めている、というのだ。二階氏ならではの「間合い」の取り方で、その権勢ぶりがうかがえる。9月8日になれば、二階氏は政治の師にあたる田中角栄元首相を抜き、幹事長の在任日数が歴代1位となる。安倍首相との2回の会食を通じ、二階氏も当然ながら何かしらのシグナルをキャッチしただろう。

 安倍首相が岸田文雄政調会長と会談したのは7月30日である。憶測でしかないが、体調に不安が生じ始めていた時期かもしれない。岸田氏は、安倍首相の意中の後継者といわれている。この夜以降、岸田氏の発信や露出の回数が多くなったことは見逃せない。

 6月19日以降、自民党内では有力者たちが会合、会談、会食を繰り返し、総裁選に向けた準備運動をあからさまに行っていた。まさに政局号砲といえる。

「麻生臨時代理」説の怪

“体調不安説”を震源とする騒動は、この2カ月間の蓄積があったからこそ、拡散・拡大している。「ポスト安倍」レースで主導権を握るつもりだった安倍首相にとっても、計算違いの現実が待っていたといえなくもない。

 8月20日夜、首相官邸裏のホテル内にある日本料理店に二階氏と菅氏が顔をそろえた。マスコミの取材で明らかになっているだけで、6月17日の国会閉会後、両氏が会食するのは3回目である。党の最高実力者と、政権を実質的に取り仕切るナンバー2の接触はやはり不気味に映る。

 今週に入り、「麻生首相臨時代理で当面をしのぎ、来年本格的な総裁選を実施する」という噂が流れ始めた。これは「二階―菅」ラインに対抗した情報とみられる。そもそも、安倍首相に万が一のことがあっても、総裁選は必ず行われる。新総裁選出までの間、麻生氏が首相臨時代理になることは想定されるが、麻生氏が再び首相になるためには総裁選で勝利しなければならない。党員投票なし、いわゆる両院議員総会で議員票中心に総裁を決めるにしても、総裁選に出馬しなければ次期首相にはなれない。総裁選はただでさえ乱立が予想されている。「麻生臨時代理」説は、熾烈な情報戦に入った証拠だ。

無視できない安保・外交情勢

 安倍首相が強い使命感、責任感を持っている政治家であることを改めて強調したい。米中関係は悪化の一途をたどっており、軍事的にも一触即発の危機にある。日本は中国に弱みを見せるわけにはいかない。安倍首相は外交・安全保障政策の観点から、自身の体調をめぐる報道に神経をとがらせているだろう。

 来月、日印の安保関係を深化させる日印のオンライン首脳会談が予定されている。インドのモディ首相と安倍首相の固い絆は特筆に値する。トランプ米大統領が再選する公算も大きくなってきた。トランプ氏と円滑にコミュニケーションを図れる安倍首相は、国際社会で指導力を発揮できる。

 安倍首相は2015年9月14日、安保法制を審議していた参院の特別委員会で、北澤俊美元防衛相(当時民主党)から「名立たる政治家の中に生をうけて、何を原点として、誰を目標として政治の道に入られたのか」との質問を受けた。

 安倍首相はこう答えている。

「政治家になろう、職業として政治家を選ぼうということについては、言わば私においては、父親(安倍晋太郎元外相)も、祖父も現職の総理大臣、幼少の頃からそうであったということでありまして、子供は親の背を見て育つということもあるわけでございますが、父のようになりたいと考えるものでございます」

「そこで、しかし、父ががんの手術をした後、余命もう2年であったのでございますが、命を削る思いをしてロシアに赴き、当時のゴルバチョフ大統領と会談を行い、英知をもって平和条約の締結に向けて四島の問題を解決していくという言質を引き出したのでございまして、まさに命を削りながらもしっかりと国民のために奉仕をする仕事であると、こう認識を持ちながら、私も国民のためにそうした仕事を全うしたいと、こう思いを致したところでございます」

 空前絶後の超長期政権を樹立した政治家ならではの気迫を感じる。

 だが、政界一寸先は闇。安倍政権が重大局面を迎えている。