将来の年金減額がほぼ確実であることに加え、日本でも インフレが本格化していることから、高齢者の住宅難民リスクが高まっている。この問題は社会システム全体と密接に関わっており、解決は容易ではない。できるだけ早い対応が必要である。
物件の「貸し渋り」
政府は高齢者や障害者、ひとり親など、住宅を借りるのが難しい国民が安心して生活できるよう、支援策を拡充する検討に入った。日本の住宅政策は、景気対策を最優先するという観点から、国民に持ち家を推奨し、新築住宅の建設を推進することが基本となっていた。
このため賃貸住宅は単身者や結婚して間もないカップルが居住する住宅というニュアンスが強くなり、広範囲な賃貸住宅の整備には至っていなかった。
一方、日本の賃貸住宅に関する法律(借地借家法)は、戦前に出来たものであり、出征する兵士の家族や復員兵らの住居を確保するため、圧倒的に借主に有利な内容となっていた。
このため、住宅の所有者は特別な理由がない限り、賃借人を追い出すことができない仕組みになっている。戦中あるいは戦後の混乱期にはこの規定もそれなりに効果を発揮したが、高度成長を経て、今の時代になっても同じ法的枠組みが続く。
所有者からすると、ひとたび家を借りた人はよほどのことがない限り退去させられないため、家賃滞納などのトラブルが少ない賃借人(具体的には大企業の正社員など)ばかり入居させようとする。結果として高齢者やひとり親、フリーランスなど、社会的弱者あるいは収入が不安定な人が家を借りにくいという社会が出来上がってしまった。
ちなみに米国では社会的属性で所有者が賃貸を拒むことは禁止されている。一方でリスクの高い借り主から所有者を守るため、滞納があった場合、すぐに退去を執行できたり、割増し賃料を要求できるなど法的な枠組みが整っている。
このため所有者が過度に賃借人を選別する必要はない(米国では滞納が発生し、すぐに弁済されない場合、あっという間に強制退去が行われる)。
'00年に改正借地借家法が施行され、一定期間内に限定して住宅を賃貸できる定期借家契約(いわゆる定借)が使えるようになったが、広く一般住宅に普及しているとは言い難い。住宅の所有者としては、連帯保証人を立てられない高齢者やひとり親などについては、引き続き賃貸を渋るケースが多いというのが現実だ。
住宅問題が顕在化した原因
昭和の時代までは、諸問題が指摘されつつも、基本的には経済が右肩上がりで成長し、多くの国民が住宅を所有できたことから、この問題はあまり顕在化しなかった。
だが日本経済を取り巻く状況が大きく変わったことで、この問題が社会的弱者だけでなく、一般的な中間層にまで及ぶ可能性が高まっている。
住宅問題が中間層に及ぶ最大の要因は、インフレと年金の減額である。
日本の公的年金は財政状況が極めて厳しくなっており、現役世代の負担を軽減するため、高齢者の給付額を減らす措置(マクロ経済スライド)が導入された。近い将来、日本の公的年金は、現在の水準から2~3割の減額がほぼ確実な状況となっている。
現時点において年収400万円程度の収入を得ているサラリーマンは、今の制度であれば、月額15万円程度の年金を受け取れる可能性が高い(年収が変わらないことが前提)。 だが、ここから3割減額になると月額は10万円程度まで下がってしまう。
月額15万円でもギリギリの生活だが、月額10万円になると、年金だけで賃貸住宅を借りて生活を成り立たせるのは不可能である。年収400万円台というのは平均的なサラリーマンの所得水準であり、言い換えれば、ほとんどの国民が老後、家を借りられなくなることを意味している。
仮に年金収入が月額10万円になっても、持ち家があれば何とか生活できるかもしれないが、この状況に追い打ちをかけるのが、インフレによる住宅価格の高騰である。
首都圏の新築マンションの平均販売価格は既に6000万円を突破しており、中間層ではもはや手の届かない水準まで上がってしまった。
マンション価格の上昇は、バブルのような一時的なものではなく、全世界的な資材価格の高騰やインフレの影響を受けた継続的なものであり、今後もさらに価格が上がると予想する専門家が多い。
大量の高齢者住宅難民が発生
大都市圏の中間層が、持ち家を持てないということになると、一生賃貸という国民は増えてくるだろう。だが先ほど説明したように、平均的な年収のサラリーマンでは月額10万円程度しか年金をもらえないので、家を借りたくても借りられない状況に陥る。
仮に高齢になっても就労を続け、何らかの収入を得たとしても、もともと高齢者が住宅を借りにくい市場であることは変わらず、大量の高齢者住宅難民が発生することは想像に難くない。
もっとも日本は急ピッチで人口が減っており、それに伴って空き家の数も増えている。数字の上だけで考えれば、賃貸住宅は供給過剰の状態となり、住宅所有者は「高齢者には貸したくない」といった贅沢は言えなくなるように思える。
確かにそのような面があるのは事実だが、市場の需給関係に任せていれば大丈夫なのかというとそうはいかない。なぜなら賃貸住宅の提供者のすべてが、部屋を満室にしないと経済的に立ち行かない状況にはなっていないからである。
ひとくちに賃貸住宅の所有者といっても属性は様々である。銀行から多額の借金をし、投資目的で物件を取得している、いわゆる「大家さん業」に従事している人は、満室稼働にしなければ銀行の返済もままならない。こうした所有者は工夫を重ね、生活弱者に対する賃貸にも前向きになるだろう。
だが、賃貸住宅の提供者の結構な割合が、先祖から土地を引き継いだ土地所有者であり、彼らは土地代を気にする必要がない。業界では「上もの」と呼ばれる建物だけを作ればそれで賃貸経営ができるので、損益分岐点が圧倒的に低い。
こうした所有者の場合、孤独死などのトラブルを回避した方が、結果的に採算が良くなるため、引き続き、高齢者に対する貸し渋りを行う可能性が高いのだ。
加えて、空き家が増えていると言っても、それは地方や郊外も含めた日本全体の話である。今後、人口が減ってくると都市部への人口集中が進むのは確実であり、利便性の高い地域でも空き家が増えるとは限らない。
加えて年金だけでは暮らせないとなると、遠隔地の居住は老後の仕事に差し障るため(高齢になってからの再雇用の場合、現場への出勤を命じられる可能性が高くなる。リモートワークでも仕事ができるというのは一部のエリート層に限定された話に過ぎない)年齢を重ねるにつれて、人々は都市部など利便性の高いところに住居を構えようとする。
住宅政策を抜本的に変える必要がある
一連の状況を総合的に考えると、現状を放置したままではやはり大量の住宅難民が発生する可能性が高い。政府や自治体は、公営住宅の整備を進めるとともに、高齢者が住宅を借りやすくなるよう、不動産所有者に何らかの支援を行うなど、支援制度の構築を進めていく必要があるだろう。
具体的には一定の条件を満たした高齢者には家賃の補助を行い、収入や年齢にかかわらず家を借りられるようにするといった仕組みである。
また、家賃の滞納や病死といったトラブルが発生した時には公的機関がサポートし、住宅所有者が大きな損失を抱えないようにする制度も必要となるだろう。
これは社会全体の制度設計に関わる問題であり、単純に高齢者の入居をサポートすれば良いという話ではない。人口減少と高齢化、そしてインフレが進む社会は、従来とは住宅環境が180度変わることを念頭に、住宅政策をゼロから設計しなおすぐらいの覚悟が必要だろう。