【原口一博】追悼森永卓郎さん。第五回日本の未来を創る勉強会で森永卓郎さんが遺した言葉。
森永卓郎さん 訃報から一夜 30年来親交の荻原博子さんとの対談で「生ゴミに出してくれたらいい」
ステージ4の原発不明がんを公表し、闘病を発信し続けた経済アナリストの森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが67歳で死去してから一夜明けた29日、親交のあった仕事仲間らから悲しみの声が上がった。
30年来の親交がある経済評論家の荻原博子さん(70)は「23日にリモートで対談をしたばかり。寂しいです」と悲しみに暮れた。共に経済をやわらかく伝え、お茶の間に浸透させた仲間。23年には共著も出版した。
「経済評論家は大所高所から物を言う人が多いが、彼は決して偉ぶらず下からの視線で身近なことを伝えた。組織や大きなものに寄ることもなく、一人で立っている凄い人だった」とその功績を明かした。
対談では死生観の話もあり、森永さんは「通夜、葬儀も墓もいらない。なんなら(遺体は)生ゴミに出してくれたらいい」とユーモアたっぷりに語っていたという。荻原さんは「最後はがんの方々に勇気を与えた。なんて学ぶことの多い生き方をしたんだろうと。まだまだやりたいこともあったでしょう。残念です」と悼んだ。
元総務相で経済学者・竹中平蔵氏(73)が30日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。原発不明がんのため28日に67歳で死去した森永卓郎(もりなが・たくろう)さんを追悼した。
竹中氏は「森永卓郎さんのご冥福を、心からお祈りします。私とは色々意見が違いましたが、大きな存在感のある経済アナリストとして一時代を築きましたね。今度は向こうの世界で、大いに議論いたしましょう」と過去に大激論を交わしていた“良きライバル”を悼んだ。
そして「康平さん、お父さんの意思を継いで、さらに立派なエコノミストになって下さい」と長男で経済アナリストの森永康平氏への思いもつづった。
竹中氏と森永氏は主義主張が異なることから“天敵”として知られ、討論番組などで度々、激しく意見を交わしていた。
「最後としては結構いい言葉だった」森永卓郎さんの長男・康平氏が最後に交わした会話明かす
報知新聞社 2025/1/30
経済アナリストの森永卓郎さん(享年67)の長男で経済アナリストの森永康平氏(39)が29日、レギュラー出演する文化放送のラジオ番組「おはよう寺ちゃん」(月~金曜・前5時)で心境を語った。
康平氏は、この日の生出演に関して「スタッフから休んでくださいと言われたんですが、オヤジも亡くなる数時間前まで、隣の局(ニッポン放送)で電話で出ようとした。なので、『つらいから出ません』というのはないなと」と説明。「朝早いときに暗い話題も」と気丈にジョークを飛ばし、プロ野球・DeNAの入団が決まったバウアー投手の話題に移った。
最後に会ったのは26日。「虫の知らせで帰った方がいいかなと思ったから会って」と告白。実家での森永さんの様子はつらそうで、薬を飲んで寝ていたという。実家を出る際に会話を交わし「『ありがとうね』が、ちゃんとした言葉としては最後。最後としては結構いい言葉だったんじゃないかなと思います」と振り返った。
父との思い出を「子どもの時は家にいなかったので、遊んだ記憶があまりない。経済アナリストになって会うようになった。大人になって会うようになったという意味では、よかったのかな」としみじみ語った。