徹子の部屋 20190905 佐良直美 HD
相良直美さん、好きなことをして生きるのが一番ですね。すごいなあ。
佐良直美さんが35年ぶりNHK生出演 「昭和の昔からやってまいりました」
佐良直美 いいじゃないの幸せならば Naomi Sagara
SAAA691 いいじゃないの幸せならば 佐良直美 (1969)1982・1969・191011・160910 Ver4L HD
佐良直美 世界は二人のために (1973)
経歴 wikiより
東京都出身。明治時代の漢学者川田甕江の玄孫で住友財閥の常務理事の川田順(甕江の三男)の従曾孫にあたる。遠縁に吉永小百合がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)[1]。また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)[1]。
日本大学藝術学部卒業後、1967年に歌手デビュー。デビュー曲の「世界は二人のために」は、120万枚のレコード売り上げを記録し、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞。さらに同年の第18回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。翌1968年、「世界は二人のために」が同年春に開催された、第40回選抜高校野球大会の入場行進曲に採用された。
1969年には、「いいじゃないの幸せならば」で第11回日本レコード大賞を受賞。女性歌手として日本レコード大賞の新人賞・大賞を両方受賞したのは、史上初の快挙だった。1970年、芸術選奨新人賞受賞。
1971年、所属事務所であるオールスタッフプロから独立し、(株)佐良直美音楽事務所を設立。
歌手としてだけでなく、作曲(テレビドラマの音楽も担当)、タレントとしてのバラエティー番組への出演やテレビ番組の司会、女優としても石井組の一員として『ありがとう』に出演するなど、多方面で活躍した。
1980年にタレントのキャッシーとのスキャンダル報道がされて以後は、次第に芸能活動から遠ざかっていき、同年のNHK紅白歌合戦も落選した[2]。ただし、佐良本人は後に「あれは何がなんだか全然わかりません。ビックリするだけでした。ただ、どの社会にも裏表や力関係がある、そういうことなんでしょうね。」と騒動を否定している[3]。
また、歌手活動では、1983年9月21日にリリースされたEP「YASUKOの場合/夕顔」が、昭和時代最後のレコード発売となった。
佐良直美「オー・シャンゼリゼ」
佐良直美 「ひとり旅」 生放送で馬に乗ったまま歌う(1976年)
佐良直美・三角屋根の出窓から・A面
私の好きなもの/佐良直美
佐良直美 「愛の消しゴム」
佐良直美 「すてきなファーニー」
「佐良直美 「花のフェスティバル」