とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

【令和6年能登半島地震】 ( 検知時刻2024/1/1 16:10 マグニチュード 7.6(暫定値) 深さ 16km(暫定値)震度7  ② 2024/1/3

2024年01月03日 22時05分04秒 | 地震
 
朝日新聞社 によるストーリー  • 1 日

1月1日夕に発生した石川県能登地方を震源とする強い地震を受け、海沿いにある同県珠洲市の宝立町鵜飼(うかい)地区では、電信柱が傾き、立ち並ぶ住宅は屋根が落ちてつぶれていた。

【空撮】根こそぎ倒壊のビル、転覆した船… 能登の上空から見た甚大な被害

 住民によると昨夜、津波が押し寄せてきたという。道路には海藻が落ちており、周囲には海水と泥のにおいが立ちこめている。押し流されたとみられる自動車が、道に泥をかぶった状態で放置されている。

 この地区に住む鹿野泰弘さん(50)は1日午後4時ごろ、自宅のリビングで地震に見舞われた。「最初は震度4、5の揺れでいつも通りと思っていたら、まもなく縦揺れが来て、家が崩れていった」

 別室にいた母親(79)が下敷きになりかけたが「外出て!」と叫んだところ、ギリギリで避難が間に合ったという。2階建ての自宅は、コンクリート造りの玄関と廊下を残し、木造の居間などは屋根に押しつぶされてしまった。

 歩いて15分ほどの高台にある廃校跡に向かったが、屋根が壊れていた。昨夜はテントを張り、たき火をしてしのいだという。

 今朝は近くの学校にある別の避難所へと移ったものの、食料がしだいに尽きてきているという。鹿野さんは「家は全部倒壊してしまった。これからどうなるんだろう。復興までどれぐらいかかるかも分からない。不安しかないです」と声を落とした。(西晃奈)

日本のニュースも支離滅裂な部分繋ぎだけの国内クソメディアでなく海外メディアで理解する時代。

【こんなにひどいと言葉にならない】大規模火災の輪島市「朝市通り」で地元住民は呆然【石川・能登地震】

2024/1/2

官房長官会見

2024/1/3

【ライブ】最新情報『能登半島地震』今後1週間程度は最大震度7程度の地震注意 ※情報はOA当時のもの〜ニュースまとめ Japan Earthquake News Live(日テレNEWS LIVE)

22 時間前にライブ配信開始

能登半島地震、衛星写真からも被害の大きさ明らかに 米マクサーが画像公開

広田咲子さんと夫の均さんが倒壊した住居から遺体で見つかり、涙する遺族ら=石川県珠洲市で

広田咲子さんと夫の均さんが倒壊した住居から遺体で見つかり、涙する遺族ら=石川県珠洲市で

 「頑張ったね。助けてあげられなんだ。ごめんね」。
 多くの家屋が倒壊した石川県珠洲市の鵜飼地区で、広田寿子さん(63)は布団に包まれた夫均さん(65)とその母・咲子さん(93)の遺体に泣きついた。
 クリーニング店主だった均さん。寿子さんは「地区でお世話になっていない人はほとんどいないんじゃない」と振り返る。まじめな性格で、消防団など地域の集まりに積極的だった。咲子さんは、大正琴や俳句など多趣味で、友人や孫・ひ孫たちに愛された。3人の家には2日、多くの親族が集まり、だんらんが繰り広げられるはずだった。
 そんな日を心待ちにしていた正月、寿子さんが「悪夢としかいいようがない」と語る悲劇が一家を襲った。地震が発生し、2度目の大きな揺れが落ち着いた時、均さんは、こたつにいた咲子さんに呼ばれた。均さんが部屋を移り、近づいたその時、3度目の揺れが家屋を襲い、倒壊した。
 3人とも1階にいたが、1人だけ扉1枚を隔てた別室にいた寿子さんは、突如訪れた暗闇の中、外の光に向かって必死に助けを呼び、すぐに近所の人らに助け出されたが、夫と義母は家の中。日が出ているうちは家の前にとどまり、何度も「大丈夫。大丈夫」と呼びかけたが、返答はなかった。
 2日午前10時すぎ、2人は、1階部分が完全に崩壊した家から運び出された。均さんは、咲子さんに覆いかぶさるようにして亡くなっていた。「仲のいい母子でしたから。守ったんでしょう。おばあちゃんもさみしくなかったと思います」
 「2人をこのままにしておけない」。日が落ち始め、冷え込んでも、警察官が遺体を収容し、霊安所に運ぶまで寿子さんは2人のかたわらに立ち続けた。寿子さんは目立ったけがはなかった。「大好きだった均さんが守ってくれたんだと思う。頑張りますよ。頑張れ珠洲の気持ちで、頑張ります」。気丈に前を向いた。
 (高橋信)
 

【能登半島地震】迫る“72時間”…きょうも震度5強観測 雨と寒さの中、避難生活続く

2024/1/3

能登半島地震 住宅倒壊多数 救助活動続く  富山でも液状化の被害|TBS NEWS DIG

2024/1/3

「ヤマザキパン」が東日本大震災の時に直ぐ60万個のパンを無償配布した事は記憶してましたが、最終的にグループ全体で、パン約1,500万個、おにぎり約800万個、飲料約100万本等の供給があった事あまり知られてないですよね~ こんな企業が日本にまだある事もっと知って欲しくてポストさせてもらいます。     
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 政治に関するtwitter(2024/1/3) | トップ | 【原口一博】災害時の嘘の流... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

地震」カテゴリの最新記事