新刊『経営理念が現場の心に火をつける』著者・伊丹敬之一橋大学名誉教授が「著書に収めたかった」と語るのが、ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称ドンキ)を支える経営理念だ。ドンキ創業者・安田隆夫氏の理念をベースに実行される施策は、35期連続増収増益と大進撃中。その強さの源泉を追ったのが日経ビジネス酒井大輔記者の新刊『進撃のドンキ』である。本稿では伊丹氏が同書を読み、驚きとともに知った“ドンキの凄(すご)み”を解説する。異常な権限委譲、丸くない言葉……ドンキの強さの神髄とは。

 この8月(2024年8月)に日経ビジネスの酒井大輔氏が著した『進撃のドンキ』(日経BP)を買ってみた。ドン・キホーテ(現在の社名は、パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス、以下、本稿では「ドンキ」とする)の快調ぶりを聞いていたからだ。

 読んでみて、驚いた。この本の基本メッセージである、ドンキが「源流」という経営理念をベースにした経営(その中の最大の強調点は、現場への権限委譲の徹底)でここまで成長した、ということにはすぐに納得できた。そして、ドンキの経営が、私が『進撃のドンキ』のほんの半月前に日本経済新聞出版から出した『経営理念が現場の心に火をつける』という本の基本メッセージを見事に体現した、それも学者などが思いもつかないほどの徹底度で体現したものだということを知った。それに、驚いたのである。

ドンキ創業者・安田氏をベゾス、幸之助と並べたい

 自分が拙著で書いたことは間違っていなかった、と安心できた以上に、ここまで権限の現場への委譲と経営理念による導きを徹底した経営者がいたこと、それもドンキというきわめてユニークな経営で成功してきた企業で自分が書いたことが徹底されていたこと、それにも驚いた。

 それは、驚くよりも、自分の不明を恥じるべきことかも知れない。当然に私自身が調べているべき企業だった、と反省もしている。

 本稿でいう拙著は、企業の経営にとってきわめて重要と多くの方がいい、私もそう考えている、経営哲学や経営理念について語る本である。そして、経営理念がいかに企業の現場を導き、現場の心に火をつけるかを考えた本である。成功している経営理念の育み事例として、6人の経営者を取り上げた。

・本田宗一郎(ホンダ創業者)
・小倉昌男(ヤマト運輸=現ヤマトホールディングス=「宅急便」の創始者)
・ラリー・ペイジ(グーグル共同創業者)
・稲盛和夫(京セラ創業者)
・ジェフ・ベゾス(米アマゾン・ドット・コム創業者)
・松下幸之助(パナソニックホールディングス創業者)

※ 敬称略

 自分の本を書く前に『進撃のドンキ』を読んでいたら、間違いなく私は拙著で取り上げた6人の経営者に加えて、ドンキの創業者・安田隆夫氏と彼の経営理念を紹介していただろう。そして彼のさまざまな具体的な経営の工夫の実際を知っていたら、「いい経営理念のあるべき姿」について私の書いた論理とその具体的例示は、もっと強固なものになっていたであろう。

 安田氏が、経営理念こそ大切と明確に意識し、自らの経験にもとづく『源流』という経営理念を社員に問いかける社内向けの冊子を作ったのは、2011年。東京・府中にドンキ1号店を開店した1989年から22年間、波乱と成長の歴史を繰り返した後、自らの引退を考えはじめた時だという。ジム・コリンズ氏らの名著『ビジョナリーカンパニー』(日経BP刊)を読んで、啓発されたことがきっかけだそうだ。

 『源流』は社外に向けては公表されていないが、ドンキの経営理念の本体は同社のホームページに載っている。それは、「企業原理」と六カ条の「経営理念」からなる、次のようなものである。

ドンキの「すばらしい経営理念」を読んでみよう

企業原理
 顧客最優先主義

経営理念
 第一条 高い志とモラルに裏づけられた、無私で真正直な商売に徹する
 第二条 いつの時代も、ワクワク・ドキドキする、驚安商品がある買い場を構築する
 第三条 現場に大胆な権限委譲をはかり、常に適材適所を見直す
 第四条 変化対応と創造的破壊を是とし、安定志向と予定調和を排する
 第五条 果敢な挑戦の手を緩めず、かつ現実を直視した速やかな撤退を恐れない
 第六条 浮利を追わず、中核となる得意事業をとことん突き詰める

 すばらしい経営理念である。また、それがどのような「さまざまな手段」で現場に徹底されているか、『進撃のドンキ』はその具体的内容をよく紹介している。著者の酒井氏の取材の熱量とその焦点の的確さに感心した。

経営理念=企業理念+組織理念

 ただ、「経営理念」の言葉の使い方は、さまざまな経営者が少しずつ違う整理をされている。そうした多様な言葉の使い方の標準的なパターンとして、私(伊丹)は自著で次のような整理をすることにした。経営理念とは、現場の決断と自己刺激のための羅針盤、という整理をした上での、言葉の整理である。

 経営理念=企業理念+組織理念
 企業理念:企業という存在の使命・目的(あるいは自社の事業活動の使命と目的)
 組織理念:経営のやり方の基本的考え方(つまり組織運営の基本的方針)

 伊丹のこの整理と上のドンキの経営理念の言葉遣いは、ドンキの企業原理=伊丹の企業理念、ドンキの経営理念=伊丹の組織理念、と簡単に対応させられる。ただ、ドンキの経営理念の第二条(ワクワク・ドキドキの買い場構築)は、伊丹の解釈では企業理念の一部としてもいいとも思えるが、おそらく企業原理は一つにしたいという安田氏の強い思いがあったのであろう。さらに、この第二条は経営のやり方の基本的考え方にもなっているので、安田氏はこうした整理をされたのであろう。

 ドンキのこの経営理念は、ドンキの経営にとってきわめて重要だが、その最大の理由は、じつはドンキの経営理念の第三条にある、「現場に大胆な権限委譲」である。

『進撃のドンキ』にさまざまな実例が紹介されているが、安田氏の権限委譲は「異常なほどに」徹底している。だからこそ、「委譲した権限」が適切に使われるための、導きの必要性が生まれる。指示ではない。自分に任されたことを組織全体のことも考えて適切に使うための考え方の羅針盤が、現場に必要なのである。だからこそ、理念に導かれる経営がドンキにとってきわめて重要なのである。

 上で私は、「異常なほどに」という言葉を使ったが、それは決して「おかしい」という意味ではない。「まったく他に比類を見ないほど」という意味で使っている。つまり、他社の平均的権限委譲の例からすれば、異常値なのである。そして、それがドンキの成功のもっとも本質的な要因である。

 安田氏は、「権限委譲せざるを得なかった」と謙遜して言っておられるが、これだけの「異常な権限委譲」は覚悟がなければできるものではない。その覚悟とは、権限委譲からの失敗(たとえば、現場が間違った行動をとる)はつきもので、そこから学べばいい。その失敗のマイナスよりは、権限委譲された人たちが大いに元気づくことの方がよほど大切、と思い切る覚悟である。 

「責任は委譲するが、権限は委譲しない」企業の多さよ

 さらにこの第三条には、「常に適材適所」という言葉がついているのが、とてもいい。その意義は、権限委譲をするから、その結果責任はきちんととってもらう、結果次第でどんどん権限は大きくしていく、という組織運営の方針の強調であろう。しかし多くの日本企業の実態は、権限委譲を口では強調しながら、「責任は委譲するが、権限はじつは委譲しない」というものである。だから、表面上の権限委譲を誰も信じないで、上への忖度(そんたく)とヘッジばかりをしている。だから、現場も本社も、思い切った決断をできないでいる。それと比べると、ドンキの権限委譲は異常値なのである。

 私は拙著で、いい企業理念の共通項として、つぎの三つの条件をあげた。

・社会の中の自社の位置づけ(社会的使命)がイメージ可能なように描かれている
・時間をかけて一貫して追える、長期的展望がある
・理想を追うが、非現実的でもない

 ドンキの企業原理である「顧客最優先主義」は、もちろんこの三つの条件を満たしている。とくに、理想を追うが非現実的でもない、という点が大切だろう。昔は安田氏も「顧客第一主義」という言葉を使っておられたそうだが、もちろん「最優先」の方がうんといい。第一というと、すぐに第二を誰しも考えがちになるが、「ダントツ一番」を強調するには、最優先という言葉の方がいい。

「そこまで言うか」という驚きの言葉の数々

 また私は拙著で、いい組織理念の共通項としてつぎの三つの条件をあげた。

・具体性のある指針だが、細かな指示ではない
・そこまで言うか、という驚きの要素がある
・人間の足らなさや弱さを、前向きに突いている

 たしかに、ドンキの経営理念六カ条はこの三つの条件にも見事に合致している。細かな指示でないことは、徹底した権限委譲なのだから当然としても、第二の条件(驚き)や第三の条件(弱さ)にも透徹した目配りのある六カ条になっていることは、とくに強調されていい。

 たとえば、驚安の商品、大胆な権限委譲、創造的破壊、果敢な挑戦、浮利を追わず、という言葉は、「そこまで言うか」という驚きの言葉の例である。そして、人間の弱さを前向きに突いている言葉としては、それぞれの条項の驚きの言葉へ「しかし」という注意の表現として置かれている次のような言葉が見事である。

(空を飛ぶカバ注;『浮利』とは、「目先の利益や安易な利益追求」のことで、「道義にもとる不当な利益」の意味も込められています)

「安定志向と予定調和を排する」、「速やかな撤退を恐れない」、「とことん突き詰める」。

人間の弱さを前向きに突く「丸くない言葉」

 多くの人間の常として、ついつい、安定志向になりがちで、撤退をしぶり、とことん突き詰めるのも躊躇(ちゅうちょ)しがちである。その人間の性(さが)にきちんと目配りがされ、それが強い言葉で表現されている。大半の企業の経営理念の言葉は、もっと「丸い」表現で、多くの人の反発を避けようとする甘い言葉になりがちであるのと、大いに違う。だから、多くの会社では、「経営理念は社長室の額の中にだけある」という現実があるのである。

 ドンキの源流経営では、安田氏自身が『源流』を執筆したという。それも、多くの幹部社員と共にしてきたかなり激しい共通体験の歴史を振り返りながら、書いている。言葉を選んでいる。だから、多くの幹部社員は、源流を読む時、安田氏の肉声を聞いている感覚になれる。それが、言葉の大切さなのである。

 そして、創業者の背中に、「心から理念を信じている、これがじつは自分自身の経営哲学だ」、というメッセージがくっきりと見えるのだろう。それこそ、理念経営が成功する最重要ポイントである、「経営者の背中」なのである。

いい戦略+いい理念=すばらしい経営

 経営理念の重要さに加えて、『進撃のドンキ』で書かれているドンキの経営戦略のすばらしさについても、触れておく必要がある。それは、経営理念がすばらしい経営につながるのは、その前提に事業活動の設計図としての経営戦略がきちんとしていることがあるからである。つまり、

 いい戦略+いい理念=すばらしい経営

 なのである。これは、私の本のもっとも基本的なメッセージで、ドンキの経営はまさにこの方程式にどんぴしゃりである。じつは、理念経営を標榜する多くの企業が、きちんとした戦略を持たないままに、理念に助けを求めている。それは順序違い、本末転倒なのである。

 ドンキの安田氏も、理念経営に目覚めたのはご自分の引退を意識しはじめた2010年ごろからだったそうだ。それまで、ドンキの組織経営はもちろんすばらしかったが、商品戦略や圧縮陳列などの売り場作り戦略(ドンキでは、買い場と表現する)がすばらしかったことが、成長の大きな要因だった。そこに経営理念が本格的に加わってから、さらにすばらしい経営となった。だから、2010年代以降にドンキの経営が加速したのである。しかも、2015年に安田氏自身が社長を引退してシンガポールに移住した後も、成長は加速することはあっても、鈍化しなかった。

 つまり、まずはいい戦略でいい経営へ。そしてそこにいい経営理念が加わってすばらしい経営へ。その過程をドンキは見事に歩んできた、と私には思える。

(写真:J_News_photo/stock.adobe.com)
(写真:J_News_photo/stock.adobe.com)

 こうして書いていくと、いつの間にか『進撃のドンキ』の感想を書いているのが、私の本の内容紹介を書いているようになってしまう。もうこの辺りでやめよう。私がこの拙文で言いたかったことは、ドンキの源流経営は、私のような経営学者から見ても原理的にじつに正しい、そして『進撃のドンキ』という本はそれを見事に紹介している、ということである。

 ついでに、最後にひと言。最近読んだ企業に関する本でもう一冊、感心した本があった。『キーエンス解剖』(西岡杏著、日経BP刊)である。これもじつは日経ビジネスの記者が現場取材を重ねた上で書いた本である。両方の本とも、現場の実感を巧みに表現している。これでこそ、記者の書いた本である。そうした記者のみなさんの努力が、これからも何冊ものいい本となって豊かな実りを社会に提供してくださることを、読者として、そしてそうした本に刺激される経営学者として、大いに期待したい。

日経ビジネス電子版 2024年10月24日付の記事を転載]