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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

I Girasoli / ひまわり(イタリア映画)

2022年06月23日 16時49分48秒 | 映画

リクリュウの次の新作の音楽が「ひまわり」だといいなあ

りくりゅう新プログラム練習順調!璃来ちゃんインスタに上げた写真と動画 音が無いので戦争終結を祈願して映画【ひまわり】のテーマ曲を使いました。ソ連時代のウクライナが舞台ですからね🌻 三浦璃来/木原龍一

I Girasoli / ひまわり(イタリア映画)

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解説

ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニというイタリアの2大スターを主演に迎え、戦争によって引き裂かれた男女の愛を描いたドラマ。結婚して幸せな日々を送っていたジョバンナとアントニオだったが、第2次世界大戦が勃発し、アントニオはソ連の最前線に送られてしまう。終戦後、帰らない夫を探しにソ連を訪れたジョバンナは、命を救ってくれたロシア人女性との間に家庭を築いていたアントニオと再会する。逃げるようにイタリアに戻ったジョバンナだったが、数年後、もう一度やり直したいとアントニオが訪ねてくる。「ミラノの奇蹟」(1951)、「悲しみの青春」(71)などで知られ、74年に他界したイタリアの名匠ビットリオ・デ・シーカの晩年の名作。2011年にニュープリントでリバイバル公開。2020年には製作50周年を記念してHDレストア版でリバイバル公開。

ひまわり wiki

ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )は、1970年イタリアフランスソビエト連邦アメリカ合衆国ドラマ映画。監督はヴィットリオ・デ・シーカ、出演はマルチェロ・マストロヤンニソフィア・ローレンなど。

冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画である。音楽をヘンリー・マンシーニが担当し、数多くの映画音楽を手がけたマンシーニの作品中でも特に評価は高く、主題曲は世界中でヒットした。

戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑が評判となった。

数あるローレン主演の映画の中で最も日本で愛されている作品である]

ロケ地となったひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州にある[1]とされているが、NHKの現地取材ではポルタヴァ州のチェルニチー・ヤール村(Чернечий Яр)で行われたと特定されている[2]

日本での初公開は1970年9月30日。2020年には「ひまわり 50周年HDレストア版」として上映。2022年には半世紀前の舞台・ロケ地であるロシアのウクライナ侵攻を受け上映が行われた[

YAHOO

質問:『ひまわり』っていうイタリア映画の舞台背景に、イタリアとソ連の戦争が出てきます。その時代背景について教えて下さい。 イタリアとソ連が戦争をして、戦後にイタリアの敗残兵がソ連に残っていたという状況が分からなかったんですが http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/I%20Girasoli.htm ドイツがソ連に侵攻したときに、イタリアがドイツに協力して派兵して多数のイタリア兵がソ連に行っていたと言うことでしょうか? つまり、映画の背景は第二次世界大戦の終戦の前後と考えれば良いんですか?

ベストアンサー

映画については知りませんが、イタリアはドイツに協力してロシアに兵を派兵しています。 1941.7から1943.3までで戦死1.5万、負傷3万、捕虜7万人の被害をだしています。捕虜のうち戦後イタリアに無事帰国できたのは1.2万人のみでした。

その他の回答

●時代背景は第二次世界大戦勃発の直前から戦後10年くらいですね。 イタリア兵が瀕死の状態で住民から命を救われたというのはあり得なくもないと思いますが、しかしその後ソ連市民となって(?)普通に結婚するという、その辺りの経緯が不明確で、一番無理をしているのはここではないでしょうか。 ジョバンナがイタリアからソ連にアントニオを探しに行ったのはスターリン体制が終った後となっていますから、これも無理な作り話とも言えないと思います。 共産党のつてを使うか何かすれば行けた可能性があったのかも知れません。自信はありませんが。 むしろ、その時点ではソ連の一般市民となっている(?)アントニオがジョバンナに会いにソ連からイタリアに行くことの方が難しかったのではと思います。。 いろいろと不自然な点はあるかも知れませんが、それでもやっぱり『ひまわり』は名作です。

独ソ戦が背景にあったのは間違いではありません。 独ソ戦が始まったのは、1941年6月23日ですからそれ以降の話です。 ただ中盤からラストに至るストーリーの時期には疑問を感じます。終戦後 ただ一人、ソ連を旅行し街中でジョバンナはアントニオを探すわけですが、 その行動自体が、大戦後の長期間不可能であったからです。 イタリアからソ連に鉄路で行く場合、 ドイツを含めすべてソ連の占領地域ですので通過不可能です。 外交官でもない、敗戦国の一女性が行ける道理がありません。 したがって、ラストでアントニオがイタリアを訪れるのも不可能です。 百歩譲って彼女がソ連まで入国できたとしても、 戦後8年間のソ連はスターリン体制化の極端な恐怖政治下だっだので、 ソ連国民に声をかけたジョバンナは、スパイ容疑で即逮捕。 マーシャの家に案内した、ソ連国民とアントニオは マーシャと子ども共々シベリア送りとなっていたはずです。 したがって、中盤のシーンは早くてもスターリン死後の1954年以降です。 実際「ひまわり」のソ連ロケが1960年代後半に行われた時点でも、 ロケ自体が不可能と思われるほどの監視ぶりだったそうです。 もし、この映画通りのストーリーを展開しようと思えば、 1989年のベルリンの壁崩壊以降でなければ無理な話です。 ただ、ラストの70過ぎた老年の別れのシーンになれば、 今生の別れになるのでシャレにはなりませんが・・ 理詰めで考えるとこうなります。「ひまわり」ファンの方、 夢を壊してすみません。

●そのとおりです。 ドイツは独ソ戦を「反共十字軍」と宣伝し、枢軸国や友好国に派兵を要請しています。 フィンランドは冬戦争での失地回復のために参戦し、イタリア、ルーマニアやハンガリーやブルガリアも参戦しています。スペインも派兵要請を断り切れずに、「義勇軍」を派遣しました。 東部戦線のイタリア軍は本国のイタリアが降伏すると、ドイツ軍に武装解除されて捕虜収容所に送られました。

●その通りです。 第二次世界大戦とその戦後が舞台背景です。 ご質問にもかいてある「ひまわり」のHPにはっきり説明されていますね。

●あの戦争はソ連誕生前のものでしょう。会いに行った時はソ連誕生後かもしれませんが。

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