【成田悠輔、唖然】欲望地獄と資本主義、生きる道は?【エンタメ系IT起業家の激白】
「無題」で自由に語り合うノージャンル番組「mudai」 あの有名IT企業CEOが突然出家!?そのワケとは… 成田悠輔とインド僧侶 小野龍光が生きる道を語り合う!
【参考】wikipedeia
佐々井 秀嶺(ささい しゅうれい、1935年8月30日 - )は、インドの僧。インドラ寺住職。インド名はアーリヤ・ナーガールジュナ (Bhadant-G Arya Nagarjuna Shurai Sasai)。なお、本名については Bhadant Arya Nagarjuna Surai Sasai、Bhadant Nagarjun Surai Sasai などの表記もある。インド国籍取得前の本名は佐々井 実。
概要
インドで活動している日系インド人(一世)の僧である。ナーグプルのインドラ寺(インドラ・ブッダ・ヴィハール)にて住職を務めている。カースト未満の身分のダリット(不可触賤民)の人々を仏教へと改宗させるアンベードカルのインド仏教復興運動の中心人物の一人となっている。
略歴
- 1935年 岡山県阿哲郡菅生村(現在の新見市)に5人兄弟の長男として誕生。
- 1951年 東京正生院に入塾。
- 1957年 鳥取県立米子東高等学校に入学(のち中退)。山梨県東山梨郡勝沼町(現在の甲州市)の大善寺の井上秀祐の許で修行。
- 1960年 高尾山薬王院貫首山本秀順の許で出家、鹿児島の日蓮宗教王寺住職富田日雄(のち本法寺 (京都市)貫首)の許で修行。
- 1962年 大正大学の聴講生となり、雑誌『実践仏教』を発行。その傍ら浪曲師(東家楽水 (2代))、易者となる。
- 1965年 高尾山留学僧としてタイに留学。(高尾山薬王院の仏舎利塔がタイ国王室より寄贈された縁による。)
- 1966年 インドのカルカッタ、後にラージギルの日本山妙法寺へ移動し、八木天摂に師事。法名「天日」を授く。
- 1967年 龍樹菩薩の夢告により、インド中央部のナーグプルに渡る。
- 1968年 ナーグプルで布教活動を開始。
- 1969年 インド山妙法寺をナーグプルに建立。
- 1970年 ボンベイのシッダールタ・カレッジに留学。
- 1988年 次第に民衆に支持されて、全インド仏教大会の大導師となる。
- 1988年 インド名をアーリヤ・ナーガールジュナとする。(龍樹に由来。)
- 1992年 ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディ寺)の管理権奪還運動を開始。
- 1998年 マンセル遺跡、シルプル遺跡の発掘を開始。
- 2003年 仏教徒代表としてインド政府少数者委員会 (National Commission for Minorities) の委員の1人となる(在任期間:2003年11月2日 - 2006年10月2日)。
- 2009年 44年ぶりに日本に帰国、各地を訪問し講演会を行う。
- 2010年 龍樹菩薩大寺をナーグプル郊外に建立。
- 2011年6月 東日本大震災被災地20箇所をまわり、慰霊行脚を行う。
- 2012年 ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディ寺)の仏教徒管理を求めてインド最高裁判所に訴えを行う。
- 2014年 体調を崩し一時危篤状態となり、インターネット上で死亡説まで流布されるが奇跡的に復活。
- 2015年 Dr. ババサヘーヴ・アンベードカル大学会長就任。
- 2018年7月 ブッダガヤー大菩提寺管理権についてインド最高裁審議開始。
受賞歴
- 1986年、ナーグプル仏教徒委員会より菩薩号を贈与される。
- 1994年、アンベードカル国際賞を受賞。
- 2004年、マハーラーシュトラのナーガブーシャン賞を受賞。