(読みづらいでしょうが記録のため報道記事の全文をコピペしております。ご容赦ください。本文中敬称略。 by空を飛ぶカバ)
岸田流「スピード人事」内閣改造の最大の焦点は脱“統一教会” 元二世信者「関係ある議員入閣してほしくない」訴え
8月10日の内閣改造を前に岸田首相は8日、自民党役員人事の一任を取り付けた。最大の焦点は“旧統一協会との関係”。元信者からは「新たな内閣と関係を断ち切って欲しい」という切実な願いも聞こえた。
【画像】萩生田経産相「俺は骨格ではなかったのか」内閣改造どうなるのか?
岸田流「スピード人事」 自民役員人事に岸田首相が一任
8月8日の午後4時半から行われた自民党の臨時役員会。この席で常役員人事を岸田首相に一任することが了承された。10日に行われる「内閣改造」と「自民党役員人事」に向けた調整は大詰めの段階を迎えている。
岸田首相:
できるだけ早く(新)体制をスタートさせなければならない。閣僚について社会的に問題が指摘される団体との関係は十分注意しなければならない。
9月に行われるという当初の予想を覆す“岸田流「スピード人事」”。その狙いについて、政府関係者は、「旧統一協会問題の流れを断ち切ることだ」と指摘。
岸田首相が8月9日、長崎の平和祈念式典に出席することから、1日繰り上げて8日に行われた閣議。松野官房長官は岸田首相の指示を受け、各大臣に旧統一教会との関係見直しを指示したことを明らかにした。
松野官房長官:
各官僚に対して、当該団体との関係をそれぞれ点検し、厳正に見直しを行うよう私から指示を行いました。
内閣改造で最大の焦点は脱“統一教会”
今回の内閣改造で最大の焦点となるのが、“旧統一教会と関わりのあった閣僚をどう処遇するか”
複数の政府与党関係者によると、これまでに松野官房長官と林外相は留任の方向で調整中。鈴木財務相についても留任させる方向で検討されているという。一方で、岸防衛相は健康面を考慮し、交代の方向で調整が進んでいるという。
自民党3役では、茂木幹事長を留任させる一方、高市政調会長と福田総務会長は交代の方向。高市氏は閣僚で起用することも検討されている。また、小渕元経産相の要職での起用も検討されている。
こうした中、異例の発言をしたのが、安倍元首相の側近で安倍派のキーマン萩生田経産相。「当然継続してやっていくことが望ましいのではないか」と経産相の続投に強い意欲を示し、さらに、岸田首相が麻生副総裁や茂木幹事長を続投させ“政権の骨格を維持する意向”などと伝えられたことについて、こう語った。
萩生田経産相:
一部報道で「骨格は維持する」と出ていて、俺は骨格ではなかったのかという思いもありますので、引く続き信頼いただいている経済産業行政をしっかり前に進めていく。
この発言を受け、岸田首相は官邸を訪れた安倍派の塩谷会長代理に「私が判断する」と伝えたという。
元二世信者「統一教会と関係ある議員入閣してほしくない」
安倍元首相の銃撃事件から8月8日で1カ月。逮捕された山上徹也容疑者は、安倍元首相に対する謝罪や反省の言葉はこれまで口にしていないという。
FNNは今回の内閣改造を前に、山上容疑者と同様に信者の親を持つ40代の元二世信者を取材した。
旧統一教会の元二世信者:
人ごとじゃなかったです。旧統一教会に人生を奪われた一人なので。うちの母親が婦人部の婦人部長という役職だった。山上容疑者も献金しすぎて経済的に困窮して、大学に進学できなかったと言っていましたけど、僕もそうなんです。
多額の献金で「人生を奪われた」と訴える元二世信者。教団は「支援した議員を宣伝材料としていた」と話す。
旧統一教会の元二世信者:
僕からしたら自民党がプロパガンダに使われるんですよ、旧統一教会の。選挙支援を受けた議員・先生方というのは、旧統一教会の権威の象徴になってしまっているので、政教分離というか、内閣からはもう出て行ってもらわないと。
「旧統一教会と関わりを持つ議員には入閣してほしくない」元二世信者の男性は今の気持ちをそう話した。
加藤綾子キャスター:
本当は人事をするにも旧統一教会と全く関係ない人の方がいいんでしょうけれども…なかなか難しいというのであれば、関わったレベル、それから今後の対応で決めるということも1つの案なのかもしれないと思います。ただ、人事だからということに関わらず、きちんと調べて厳しく対応してもらいたいと思います。
ジャーナリスト 柳澤秀夫氏:
閣僚、大臣になる・ならないに関わらず、問題がある団体との繋がりがあった人については、しっかりもう一度見つめ直して改めないといけない。今回岸田総理はかなり厳しく、その辺は判断するのではないか?あるいは、厳しく判断すべきだと僕は思いますけどね。
(「イット!」8月8日放送分より)
(駄文も記録しましょう)↓
自己評価は異常に高いが、支持率は「0%」…旧統一教会の名称変更当時の文科相・下村博文の“野心”とは
この数年、私は下村博文先生を熱烈に推してきました。最近になって下村ウォッチの醍醐味が広がりつつあるようで嬉しい。
まず、政治家・下村博文の“魅力”をあげます。
〈「清和会(安倍派)の実行部隊のように見える」
「その割には発言がフラフラしてあまり自分の立場をわかってなさそう」
「しかし自己評価はとてつもなく高い」〉
いかがでしょうか、下村先生にちょっと興味がわいてきませんか?
「旧統一教会の名称変更当時の文科相」
最近の話題で言うなら下村氏が「旧統一教会の名称変更当時の文科相」だったことが注目されています。教団は1997年に名称変更を相談したが却下され、2015年になって申請したら認められた。
この点についての下村発言を追うとたまりません。7月21日に記者団の取材に「(自身は)まったく関わっていない」と強調。それでいて文化庁の担当者から「事前」も「事後」も報告があったと発言。8月4日には「今となれば責任を感じる」と語った一方で「当時は名称変更もほとんど報道されなかった」と開き直る。ああ、期待を裏切らない博文先生。
ちなみに名称変更当時に文科審議官だった前川喜平氏は「何らかの政治的な力が働いたとしか考えられない」と野党ヒアリングで証言(8月5日)。
同じ日に末松信介文科相は「要件を満たした申請書が提出されたため、受理し、認証の決定をした」と説明。つまり正しく揃った申請書を拒めば訴訟リスクがあったことを受理の理由に挙げた。これに対し前川氏は「リスクがあったとしても、この名称変更はすべきではないというのがあるべき政策決定だった。その決定をどう法的に正当化するか考えるべきだったのでは」と反論(8月5日毎日新聞)。
安倍派の集票力は「文教&宗教」
私は以前に自民党の集票力について詳しい記者に聞いたことがある。昭和の時代からだいたい「宏池会(岸田派)は大企業、竹下派(現・茂木派)は業界団体、清和会(安倍派)は文教&宗教」だと言っていた。今まさに注目されているのが安倍派の「文教&宗教」なのである。(朱字は空を飛ぶカバ)
だから、安倍派の醜聞が出てくる度に文科省の「中の人」だった前川氏が発言する流れにここ数年なっている。なるほど安倍派にとっては厄介な人物なのです。
文化庁の宗務課担当者は、2015年になって旧統一教会から名称変更の申請があった理由は「教団側のタイミングだ」と述べている。このタイミングは下村大臣だったからというより第二次安倍政権だから満を持して申請したのではないか? そう考えると下村氏個人が今もフワフワした言動なのは理解できる。
「新国立競技場問題」でも注目が…
さて、2015年には別の大問題もありました。「新国立競技場の建設費問題」である。ここでも下村博文先生が注目を浴びていたのを思い出してほしい。
膨れあがった建設費用に批判が強くなり、下村文科相は舛添要一東京都知事との会談で500億円の負担を求めたが反発された。そのあと下村氏は「一貫して明確な責任者がどこなのか、よくわからないまま来てしまった」と言い放った。すごすぎる博文節。とにかく明るい安村ならぬ、とにかくずさんな下村。
しかしこれも「下村博文よりエライ人」の動きをみると興味深いのだ。当時の毎日新聞の社説は、事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長、監督する立場にある下村博文文科相の責任は問われなければならないと書きつつ、
《その背景には関係者が「重鎮」に配慮し、河野氏の諮問機関に過ぎない有識者会議が重要事項を決定する機関となっていた実態がある。》(社説『新国立検証報告 無責任ぶり確認された』2015年9月25日)
と指摘している。
有識者会議は2012年3月にスタート。メンバーは日本ラグビー協会の要職にある森喜朗氏をはじめ、超党派のスポーツ議員連盟に所属する政治家、日本オリンピック委員会や日本体育協会、サッカーなど競技団体の幹部や著名作曲家ら「各界の重鎮」が並び、
《会議は利益代表者による陳情の場と化していた。》(同前)のである。
開閉式の屋根を備えた8万人収容のスタジアムという基本構想は有識者会議から生まれ、総工費は膨れあがった。言うまでもなく森喜朗は清和会と文教族のドンであり、有識者会議スタートの2年後には東京五輪組織委員会の会長に就任している。
こんな時期に下村博文は文科相だったのである。清和会の実行部隊として使い勝手が良かったのだろうが、2015年に勃発した建設費問題では右往左往し、森氏や安倍首相が慌てて動いてザハ案は白紙撤回となった。この年はいろんなことがあった。今話題になっている旧統一教会の名称変更問題と併せて「2015年の下村博文」がどこを向いていたか、あらためて検証するべきなのです。
自己評価が異常に高い
そんなガキの使い感がすごい下村先生ですが、自己評価は異常に高いのも魅力。こんな記事があった。
『安倍派継承 息巻く下村氏』(信濃毎日新聞7月24日)
安倍氏亡きあと下村氏は派閥のトップの座に意欲を示しているというが、その性急な動きが反発を招いているという。下村氏は安倍氏の通夜直後から岸田首相に「清和会をないがしろにするな」とテレビ番組で発言。これに対し、
《派内に「よく言ってくれた」という声はあまり聞かれず、むしろ「まだ葬儀も終わっていないのに…」と評判が悪い。》
ああ、博文先生。
支持率が「0%」だった
そういえば昨年の自民党総裁選に下村氏は出馬を匂わしても周囲はまったく盛り上がらなかった。
圧巻は、昨年8月30日だった。官邸に呼ばれ当時の菅首相から「出馬見送りか、政調会長を辞任するかを迫られ、出馬断念を決断した」(日刊スポーツ)。脅しにあっさり引き下がった下村先生。自民党都連会長時代には都議選でコテンパンに小池百合子氏にやられて辞任したこともあった。永田町の“ケンカ”に弱いのにトップへの野心は隠さない下村先生。
昨秋の「週刊文春」は日経新聞の世論調査で下村博文氏の支持率が「0%」であったことから「ミスター0%」と書いていた。確かに日経(2021年8月30日)、読売(2021年9月6日)での下村氏の数字は0%だった。
しかしである。共同通信(2021年9月5日)の調査では0.6%あったのだ。最近流行のアルコール度数0.5%の「微アルコール」と似ていた。それ以来私は「微アル博文」と呼ぶようになった。
下村博文先生、もう少し酔わせてください。
(プチ鹿島)
220809 岸田政権の旧統一教会問題無視作戦 内閣改造くらいで挽回できるのか?
安倍派を重視、政調会長に萩生田氏…寺田氏・岡田氏が初入閣へ
岸田首相(自民党総裁)は10日に行う内閣改造・党役員人事で、萩生田光一経済産業相(58)を党政調会長に起用する方向で最終調整に入った。寺田稔首相補佐官(64)と、岡田直樹参院国会対策委員長(60)は初入閣させる意向だ。鈴木俊一財務相(69)と、公明党の斉藤鉄夫国土交通相(70)は留任させる。
萩生田氏は自民最大派閥の安倍派に所属し、銃撃事件で亡くなった安倍晋三・元首相に近い。政調会長への起用には、安倍派を重視する姿勢を示し、防衛力強化などの重要政策で党内調整を円滑に進める狙いがあるとみられる。
岸田派の寺田氏は首相と同じ広島出身で、衆院当選6回。首相がライフワークとしている核軍縮問題などを担当する首相補佐官として、核拡散防止条約(NPT)再検討会議への首相出席などの調整を担った。
自民党は8日、臨時の党役員会と総務会を開き、党役員人事を首相に一任することを決めた。首相は「新たな体制の下で難局突破、政策断行に全神経を集中させていきたい」と述べた。
党役員人事では、高木毅国会対策委員長(66)は続投の方向だ。
この日、首相は首相官邸で、公明党の山口代表、安倍派会長代理の塩谷立・元文部科学相、二階派事務総長の武田良太・前総務相、関口昌一参院議員会長と相次いで面会した。
首相は、松野博一官房長官(59)ら政権の骨格は維持し、健康問題を抱える岸防衛相らを交代させる構えだ。
◆入閣が固まった顔ぶれ(敬称略)
外務 林芳正 61
財務 鈴木俊一 69
国土交通 斉藤鉄夫 70
官房 松野博一 59
※いずれも留任
(ポスト調整中)
寺田稔 64
岡田直樹 60
◆内定した自民党役員
副総裁 麻生太郎 81
幹事長 茂木敏充 66
(政調会長とは「政務調査会長」の略。 自民党としてどのような政策を打ち出すかを取りまとめる責任者です。 まとまった方針を内閣に伝え、予算案に反映させようとしています。)
岸田首相「内閣改造」前倒しで旧統一教会“汚染”払拭狙うも…お粗末身体検査で墓穴の可能性
突如、決まった10日の内閣改造。自民党が統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と、どっぷり癒着していたことが次々明らかになり、共同通信の世論調査(7月30、31日実施)で岸田内閣の支持率が12.2ポイント減となるなど逆風が強まった。岸田首相は人心一新で局面打開し、世論の批判をかわそうと考えているのだろうが、そうは問屋が卸さない。
◇ ◇ ◇
岸田首相は6日、「原爆の日」の平和記念式典のために訪れた広島市での記者会見で、内閣改造の実施を表明。統一教会と関係する議員を閣僚や副大臣などに起用するかどうか問われると、「当該団体との関係をそれぞれ点検し、結果を明らかにしてもらう」と答えた。関係議員は起用しない、ということだ。
だが、「人事が急すぎる。短期間できちんとした『身体検査』などできるわけがない」(自民党ベテラン議員)という見方が大勢だ。
統一教会と何らかの関係がある自民党議員は、分かっているだけで100人規模に上る。式典に祝辞を贈っただけというものから、出席して講演、教祖の妻に花束を渡す、関連団体の媒体に登場、献金の受領など“汚染”は多岐にわたる。「自己申告」を求めた岸田首相の発言は、「起用後に関係が明らかになったらクビ」と事前ににおわせることで、議員個人に責任を負わせるつもりのようだが、首相には「任命責任」がある。責任逃れは世論に通用しない。(朱字は管理人)
萩生田氏の要職起用に大きなリスク
そんな中で注目されているのが萩生田経産相の処遇だ。留任か要職での起用が検討されているというが、安倍元首相の側近の萩生田氏は、統一教会との“濃厚接触”議員のひとり。ジャーナリストの鈴木エイト氏の調べでは、2014年に統一教会会長の特別講演会で来賓祝辞を述べているうえ、14年と17年に世界平和女性連合に会費を支払っている。
さらに驚くのは、統一教会の関連団体「教育問題国民会議」の理事を務めた過去があることだ。週刊文春によれば、落選中の2011年3月から12年6月まで就任。萩生田氏本人は「無報酬です。特段宗教的なテーマ等はありませんでしたので、問題はなかったと考えます」と答えているが、教団組織の内部に入り込みながら、「問題ない」とはア然だ。
「そこで岸田首相は、萩生田氏を閣僚ではなく、政調会長など党3役での起用を検討しています。党の役員ならば統一教会と多少の関係があっても乗り切れるとみている」(永田町関係者)
国民をナメ切った岸田政権。“お粗末”身体検査で墓穴を掘ることになるんじゃないか。
代表世話人の山口広弁護士は、先月29日に外国特派員協会で開いた会見でこう振り返った。
「この問題に取り組み始めてから毎日200~300件の嫌がらせ電話がかかってきて、3週間続いた。自宅の近所や事務所の周りで顔写真付きの誹謗中傷のビラを10万枚以上まかれた。この問題に取り組んでいる弁護士にはいろいろな嫌がらせがあった。命を狙われることについては、今も『気を付けろ』と言われてますけど、今のところ幸い生き残っています」
全国弁連は1987年5月、全国約300人の弁護士によって結成された。その直後から悪質な嫌がらせを受けたのが、代表世話人のひとり、河田英正弁護士だ。
■無言電話や尾行、ホノルルまでの航空券予約や、遺体搬送車の手配も
当初は事務所と自宅に毎日、ほぼ同じ時刻に無言電話があり、時には受話器の向こうで「イヒヒヒ」と薄気味悪い笑い声を立ててガチャッと切れることもあったという。嫌がらせは日を追うごとに次第にエスカレート。にぎり寿司上6人前、見舞い用マスカット3個を注文されたのは序の口だった。ホノルルまでの航空券を予約されたり、引っ越しの依頼、ホテル5室の予約、スキン5万円分を勝手に注文され、ガス漏れ通報、家政婦や盲目のマッサージ師の派遣を依頼。「長男が亡くなったので」と自宅に遺体搬送車を呼ばれたことも。
「常に身の危険を感じていた。エレベーターを降りる時は周囲を見渡し、駅のホームでは前に立たないようにしていました」(河田弁護士)
カルト宗教に詳しいジャーナリストの鈴木エイト氏も自身の体験をこう話す。
「尾行は結構あって、帰宅時、誰かがついてきていたので、交番の横を相手が通り過ぎようとしたところでパッと振り返ったら、ギョッとなって立ち止まった。そのまま取り押さえて『尾行していただろう』と言って警察に突き出したら、取り調べに『統一教会から言われて後をつけました』って白状していた。宅配業者を装って『荷物をお届けしたいのですが、雨に濡れて住所がにじんで確認できないので、教えてもらえますか』と住所を聞き出そうとしてきたこともあった。その後、住所がバレ、自宅周辺を不審者がウロついたり、隠しカメラで撮影された。給湯器からお湯が出ないなぁと思っていたら、ガスの元栓をひねられていたこともあった」
世界平和統一家庭連合に事実関係を確認したところ、「把握しているも何も、したことが前提になっていますが、そのようなことはないと思いますよ」(広報部)と回答した。
旧統一教会、冷戦下に影響力拡大…反共産主義掲げ
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政治は、どのようにして関わりを持つようになったのか。
旧統一教会と自民党とのつながりは古い。教会の歩みをまとめた「日本統一運動史」や創設者の文鮮明氏の自伝によると、安倍晋三・元首相の祖父・岸信介元首相と文氏は、約半世紀前から反共産主義の立場を通じて交流を持っていた。
韓国で創設された旧統一教会は1959年から日本で布教を始め、64年に宗教法人として認証された。教義として伝統的な家族観を尊重し、共産主義を強く否定していた。
68年には文氏が主導し、政治団体「国際勝共連合」を日本と韓国に創設。日本の初代名誉会長は、戦前に右翼政治家として活動した元日本船舶振興会会長の笹川良一氏だ。笹川氏は保守派の岸氏と関係が深く、岸氏に教会を紹介したという。
こうした縁で岸氏は、70年に東京の教会本部で講演。73年には文氏と面会した。80年代には韓国で開かれた見知らぬ信者同士の「合同結婚式」で、岸氏の祝賀メッセージが代読されたこともあったという。
立命館大の上久保誠人教授(現代日本政治学)は「東西冷戦下で、西側諸国では『共産主義の打倒』が叫ばれていた時代。共産主義の脅威から自由民主主義を守るため、保守系の政治家は教会を共闘できる相手とみていた」と説明する。
一方、旧統一教会は選挙で政治家に運動員を派遣したり、票の取りまとめをしたりしてきた。元信者の仲正昌樹・金沢大教授(政治思想史)は「教会は政治との関係作りを狙い、政治家は熱心に選挙を手伝う信者や組織票を当てにした。持ちつ持たれつの関係がずっと続いてきた」と話す。
自民党・民主党の「大連立」を仕掛けた大蔵事務次官・齋藤次郎、驚きの告白 秘録 斎藤次郎(後篇)
2007年、小沢一郎の大政局
(小沢一郎:画像はネットから)(福田康夫:ネットから)
(齋藤次郎:ネットから)(森喜朗:ネットから)
(渡邉恒雄:ネットから)
元大蔵事務次官・齋藤次郎の財政健全化の闘いは、現役官僚時代だけではなかった。実は退官後、再び小沢一郎と組んで大仕事をしている。2007年の大連立構想である。衆参ねじれに苦しんだ福田康夫政権が野党第一党であった小沢率いる民主党と、連立政権を組もうとした大政局だ。
結果的には不調に終わったが、小沢の裏にいたのが齋藤だった。齋藤の狙いは大連立という政権の安定基盤を作ったうえでの消費増税の実現である。一敗地に塗れた国民福祉税の復讐戦でもあった。齋藤にとって消費増税は、財政再建、社会福祉、社会と次世代への責任などを集約する、財政民主主義のシンボルであった。
この政局の経緯については、これまで小沢、福田の両当事者と、そしてそれをつないだ森喜朗(元首相)、渡邉恒雄(読売新聞グループ本社代表取締役主筆)らの話でその大枠の姿は明らかになっている。ただ、ジグソーパズルで言えば、重要なピースが1つ欠けていた。
それが齋藤の関与である。構想が芽生え、いったんは消え、また現れ、実現まであと一歩のところまで行きながら最終的につぶれるまでの全過程をキーパーソンとしてフォローしていたのが齋藤であった。齋藤の関与については、これまで秘匿されてきた。小沢も渡邉も斎藤のことを慮り、表にしなかったし、齋藤自身も口をつぐんできた。
ただ、NHKが2021年7月に放映したBS1スペシャル「独占告白 渡邉恒雄 戦後政治はこう作られた」の中で、渡邉が大連立について初めて斎藤の介在を明らかにした。
「約束だから今まで言わなかったが、小沢さんの背後で根回してくれた人がいた。今日はあえて言ってしまう。大蔵省の10年に一人と言われた齋藤次郎元事務次官だ」
その齋藤が、この経緯について今回初めて私に証言した。詳細なメモを残しており、それによってあの政局の全体像がようやく見えてきた。
その1つが、大連立構想のひな型がドイツのメルケル政権にあった、ということだ。05年9月18日の総選挙結果を受けて成立したドイツの大連立だ。得票率1位のキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟(CDU・CSU)と2位のドイツ社会民主党(SPD)が69・4%の議席数をもつ大連立を組み、メルケル政権を成立させた。
小沢がつけた条件
齋藤の関心は、そのメルケル大連立政権が厳しい財政状況の下、07年1月から付加価値税率を16%から19%に、所得税の最高税率を42%から45%に引き上げたことにあった。増収分のうち、3分の2は財政再建に、3分の1は失業保険料の引下げに充当されるとの案であった。
選挙でいずれも過半数を握れなかった政党同士が連立を組み、その際の条件として増税で合意して、実際に1年3カ月後にそれを実現させた、という政治のしたたかさ、成熟ぶりが齋藤をうならせた。細川護熙政権で仕掛けた国民福祉税失敗の教訓ではないが、野党第一党も取り込んだ大連立という政治的な安定基盤があれば、増税もまた可能となる、という格好の事例に見えたのだ。
大連立をめぐる小沢一郎の節目の言動も興味深い。自民党との大連立を組むうえでの首相候補として、小沢は当初「谷垣禎一が一番望ましい」と述べていた。仲介役の渡邉恒雄が福田康夫を押し、結果的に小沢もそれを受け入れた、という経緯があった。
構想がいったん潰れ、また復活していく過程で今回初めて明らかになったこともある。福田サイドからまた連立話が持ち出されたことに対し、小沢が「情勢が変わった。国会が始まり、与野党の対立が激化している。(民主)党内を説得する自信はない。とても無理だ」と語っていた、というのだ。結果的に大連立は民主党内の反対により成就しなかったが、小沢自身はそのあたりの見通しをしっかり持っていたことになる。
連立に向けた非公式協議を再開させる際に、小沢が別の条件をつけていたことも判明した。公明党の扱いだった。大連立に公明党の参加は認められない、せいぜい閣外協力に留めるべきだ、との主張だった。自公連立政権丸々との大連立は「ノー」で、公明党をそこから切り落とせ、と連立のハードルを一段上げたわけだ。いかにも小沢らしい手法ではないか。
これに対しては自民党側窓口役であった森喜朗が「それでは自民党がもたない。民主党との大連立でさえ大冒険なのに友党の公明党を切ってしまうのでは自分は立ってられない」と猛反発、齋藤らの「大事の前の小事」との説得を受け、小沢も矛を収めた、と言う。
あれから15年。政局は、安倍晋三元首相が突然、殺害されたことによって、波乱含みの極めて流動的な状況となってきた。米中対立激化、異次元緩和の出口破綻、政治と宗教の歪み顕在化、コロナ感染爆発、首都直下地震など、いつ非常時が日本政治に襲いかかって来るやも知れぬ。大連立が必ずしも過去のこととは言えない時代状況に入りつつある。斎藤次郎の思想と行動が見つめ直されるべき時だと思う。