ジャズ・ブルース・黒人霊歌に人生を捧げた人へ
(わたしは、ジャズ・ブルースに詳しいわけではありません。浅川マキさんの活動をどのくらい知っているでしょうか?でも、哀悼の意を表さずにはいられない人です。若いころから名前だけは知っていて歌へのこだわりの強そうな人でした。そこが魅力でした。驚きとともに.......この記事を急いでまとめています。すこし、おそかったけれど...合掌。歌のイメージはぱっと聴くと暗いですが、実物の歌は本当にこんな暗さだけだったのでしょうか?一度ライブへ行って確認したかったのですが残念です)(言いわけ)
東京挽歌 1967年
Maki Asakawa - Tokyo Elegy
夜が明けたら 1967年
http://www.youtube.com/watch?v=PMCSSMEYXjg
かもめ 1967年
http://www.youtube.com/watch?v=Ls2tkp_osI8&feature=related
「かもめ」の後の会話 浅川マキ
http://www.youtube.com/watch?v=6pQPOxWfefM&feature=related
ちっちゃな時から 1970年
♪ 浅川マキ_ちっちゃな時から
ふしあわせという名の猫・・・浅川マキ 1970年
Maki Asakawa - Fushiawase To Lu Na No Neko
(なんと言っていいか分かりませんが、すごいと思います。歌唱力はあり実力は高い。独特の一貫した存在感をもつ浅川マキの唄の世界って何なのだろうか?彼女の舞台は演劇だ)
赤い橋 1971年
赤い橋
Asakawa Maki - "Blue Spirit Blues"
それはスポットライトではない 1975/浅川マキ
浅川マキ ‐ それはスポットライトではない (1975)
さいごに、
浅川マキ ラジオライブ
浅川マキ・ラジオライブ
やすらかに マキさん。唄を残していってくれてありがとう。追悼 浅川マキ
浅川マキ(1942/1/27 - 2010/1/17) - Just Another Honkey - 1976 Studio Live Version(2/2)
http://www.youtube.com/watch?v=7QW43tmTZGA&feature=related
(追記:こんなこともありましたね、という参考に。引用byウィキ。浅川マキさんをはじめとする歌手・女優に理解しがたい点を感じたら、寺山修司をしぼりあげろ、ということ。私自身は新劇もアングラも好きではありませんでしたけれど、好きなことをやろうとしていた時代の風はなつかしい。)
天井桟敷(byウイッキー)
寺山修司主宰で演劇実験室を標榜した演劇グループ。、1960年代後半から1970年半ばにかけて、小劇場ブームを巻き起こした。
天井桟敷という劇団名はマルセル・カルネの映画『Les Enfants du Paradis(邦題:天井桟敷の人々)』に由来するが、寺山曰く、「(好きな演劇を好きなようにやりたいという)おなじ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっと高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」[1]。
[2]。『書を捨てよ街へ出よう』などの一連の著作により、若者の間で「退学・家出の扇動家」として認識され人気を得ていた寺山が主宰していること、また劇団創立時のメンバー募集の広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったことなどから、設立から長い間「一癖も二癖もある退学者や家出者が大半を占める」という異色の劇団になった。