とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

睡眠中に見る夢

2006年10月19日 09時29分07秒 | ことば・こころ・文学・演劇
 巷には『夢判断』などという本があるが、途中まで読んでほっぽりだしたままになっている。

個人的には、私が睡眠中に見る夢は、昼間の刺激に非常に影響を受けた夢が多いように思える。

あることを非常に気にし、心配すると、直結をした夢をみる。

無意識の抑圧されたシンボルのような、なんでこんな夢をみるのかと思うときもたま~にあるが、少ない。大体、単純な日常的な夢であり、夢のなかでは、歩こうとしても歩けない、電話をいくらまわしてもかからないといった場面が必ず入ってきて焦るというのは、何故だろうか?

やっていることがうまくいかず気落ちしている時に、成功して気分が高揚している人に接すると、その時はよかったですねと聞いていたのに、その晩は、自分がとってもみじめなくら~い夢をみる。(笑い)

そのときには、ああ、自分は成果を気にして焦っているのだなということが、夢によって分かった。と、こういういうふうに、夢は、自分が本当は何を感じ、気にしているかが分かることに役立つことがあるが、なかには、こんなに気にしているかなと訝しく思う夢もある。

昼間の刺激に直結した夢を見るときが多いと書いたが、こういう夢をみるだろうと楽しみにして寝ると、全然違う夢を見る。期待していない時に、夢にまでみた夢を突然、変な時に見るということも、あり、考えてみればまったくコントロールが利かないというのが夢であるような気がする。どういう夢を見るかは、いざとならなければ分からない。

かなりのショックを受けた時には、悪夢を見るので、ショックの深さが分かるということもある。深いショックを受けた(あくまでも主観的)時に見た夢は、詳細は忘れるが、映像はのこっているというのがあるが、少ない。

しかし、夢は大部分は起きるとすぐ蜃気楼のように薄れていき、忘れてしまう。気分も大体すぐに変わってゆく。

「夢日記」をつけ癒しになっているという人がいるというが、自分は書く気はおきない。夢は大体、起きるとすぐに忘れるから、忘れないうちに起きたらすぐに書き留めないと忘れる。非常にめんどうくさい。書き留めておけば、自分が現在本当に何を考えているのか、正直なところが分かるのかもしれないが、そんなめんどうくさいことは、やっていられない。

本当は自分は、こういうことを感じているのだ、こういうことを望んでいるのだと貴重な示唆があるときは、手帳に簡便にかきつけることはあるが、数はとても少ない。

日常に直結し範囲もせまい視野狭窄したような夢がほとんどの私は、きっと単純な人間なんだろうなあと、あきれている。
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