絢子さま きょう婚約内定を正式発表
2018年7月2日 4時32分 NHK 動画 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180702/k10011504001000.html
高円宮家の三女の絢子さまの婚約の内定が2日、正式に発表されます。これを受けて午後3時から、絢子さまがお相手の守谷慧さんとそろって記者会見に臨まれます。
絢子さま
絢子さまは、平成14年に亡くなった天皇陛下のいとこの高円宮さまと、高円宮妃の久子さまの三女として、平成2年9月15日に誕生されました。
小学6年生の時に高円宮さまが亡くなり、久子さまのもと、長女の承子さまと次女の千家典子さんとともに成長されました。
絢子さまは小学校から高校まで学習院に通い、千葉県の城西国際大学に進学して保育や社会福祉を学び、保育士の資格も取得されました。
その後、城西国際大学の大学院に進学し、在学中およそ2年間カナダの大学に留学されました。帰国後に、カナダの社会福祉をテーマに修士論文をまとめ、論文が優秀だったとして特別表彰を受けられました。
おととし修士課程を修了したあとは皇族として公務にあたり、歌会始や国賓の歓迎行事のほか、地方で開かれた国体など、多くの儀式や行事に臨まれてきました。
一方で、去年6月からは、城西国際大学福祉総合学部の研究員を務められています。また、ことしに入り、久子さまから受け継ぐ形で、日本とカナダの交流団体「日加協会」と「日本海洋少年団連盟」の名誉総裁に就任されました。
絢子さまは、スポーツ観戦や旅行、読書、スキーが趣味で、幼い頃からピアノやチェロ、それに絵画を習い、音楽や美術に親しむとともに、スカッシュやスキー、バレエ、水泳などにも取り組まれてきました。
高校の時には、スキー部に所属してアルペン競技スキー部門の部長を務め、大学時代には4年間、サッカー部のマネージャーとして活動されました。
絢子さまは、平成22年、20歳の誕生日を迎えるにあたり、記者団の質問に文書で回答を寄せ、将来の結婚や理想の男性像について、「子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたいと考えております。尊敬できる方と、笑いの絶えない温かい家庭を築いていかれたらと思います」と述べられていました。
小学6年生の時に高円宮さまが亡くなり、久子さまのもと、長女の承子さまと次女の千家典子さんとともに成長されました。
絢子さまは小学校から高校まで学習院に通い、千葉県の城西国際大学に進学して保育や社会福祉を学び、保育士の資格も取得されました。
その後、城西国際大学の大学院に進学し、在学中およそ2年間カナダの大学に留学されました。帰国後に、カナダの社会福祉をテーマに修士論文をまとめ、論文が優秀だったとして特別表彰を受けられました。
おととし修士課程を修了したあとは皇族として公務にあたり、歌会始や国賓の歓迎行事のほか、地方で開かれた国体など、多くの儀式や行事に臨まれてきました。
一方で、去年6月からは、城西国際大学福祉総合学部の研究員を務められています。また、ことしに入り、久子さまから受け継ぐ形で、日本とカナダの交流団体「日加協会」と「日本海洋少年団連盟」の名誉総裁に就任されました。
絢子さまは、スポーツ観戦や旅行、読書、スキーが趣味で、幼い頃からピアノやチェロ、それに絵画を習い、音楽や美術に親しむとともに、スカッシュやスキー、バレエ、水泳などにも取り組まれてきました。
高校の時には、スキー部に所属してアルペン競技スキー部門の部長を務め、大学時代には4年間、サッカー部のマネージャーとして活動されました。
絢子さまは、平成22年、20歳の誕生日を迎えるにあたり、記者団の質問に文書で回答を寄せ、将来の結婚や理想の男性像について、「子どもが好きなので、いつかは結婚をして子育てをしたいと考えております。尊敬できる方と、笑いの絶えない温かい家庭を築いていかれたらと思います」と述べられていました。
守谷慧さん
守谷慧さんは、昭和61年3月生まれの32歳。平成元年からおよそ3年間フランス・パリの幼稚園に通ったあと、港区立白金小学校、私立高輪中学校・高校で学び、平成17年に慶應義塾大学文学部に入学しました。
大学時代には、イギリスのオックスフォード大学に短期留学しています。
平成21年に大学を卒業し、大手海運会社「日本郵船」に就職して、営業や海外にある出資会社の管理などの業務にあたっています。
また、ことし3月からは、困難な状況にある世界の子どもたちを支援する東京のNPO法人「国境なき子どもたち」の理事も務めています。
趣味は、マラソンやトライアスロン、読書、旅行、それにスキーだということです。
大学時代には、イギリスのオックスフォード大学に短期留学しています。
平成21年に大学を卒業し、大手海運会社「日本郵船」に就職して、営業や海外にある出資会社の管理などの業務にあたっています。
また、ことし3月からは、困難な状況にある世界の子どもたちを支援する東京のNPO法人「国境なき子どもたち」の理事も務めています。
趣味は、マラソンやトライアスロン、読書、旅行、それにスキーだということです。
久子さまが取り持たれた仲
宮内庁によりますと、絢子さまは、母親の久子さまの紹介で、去年12月、初めて守谷慧さんと会われました。
久子さまは、3年前に亡くなった守谷さんの母親の季美枝さんが専務理事を務めていた東京のNPO法人「国境なき子どもたち」の関連行事に毎年出席し、季美枝さんと親しくされていました。
守谷さんとは、10年ほど前、この団体の写真展で初めて会い、その後、去年11月に団体の設立20周年の祝賀会で再会した際、守谷さんが理事に就任することを聞かれました。
この団体は、途上国の恵まれない子どもたちの教育や自立を支援する活動を行っていて、久子さまは、福祉を学んでいる絢子さまが国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになればと考え、守谷さんを紹介されたということです。
久子さまは、3年前に亡くなった守谷さんの母親の季美枝さんが専務理事を務めていた東京のNPO法人「国境なき子どもたち」の関連行事に毎年出席し、季美枝さんと親しくされていました。
守谷さんとは、10年ほど前、この団体の写真展で初めて会い、その後、去年11月に団体の設立20周年の祝賀会で再会した際、守谷さんが理事に就任することを聞かれました。
この団体は、途上国の恵まれない子どもたちの教育や自立を支援する活動を行っていて、久子さまは、福祉を学んでいる絢子さまが国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになればと考え、守谷さんを紹介されたということです。