1階に14人、言葉失う隊員 千寿園、周辺は湖に―救助指揮の陸自中隊長
2020年07月15日14時32分 jiji.com
豪雨による球磨川の氾濫で浸水し、14人が犠牲となった熊本県球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」で、救助活動を指揮した陸上自衛隊第24普通科連隊の森武美第2中隊長(48)=3等陸佐=が、15日までに時事通信の取材に応じ、施設内の惨状などを語った。
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森さんによると、えびの駐屯地(宮崎県)をトラックで出発した第2中隊の隊員約20人は、4日午前10時45分ごろ、球磨村の手前まで到着。ボートに乗り換え、水没した家屋に取り残された住民を救出しながら、約2キロ先の千寿園を目指し国道沿いを進んだ。
千寿園周辺は、すぐそばの球磨川支流があふれ、一面が湖のようだった。隊員が建物の屋上に上がり、寝たきりの入所者3人らを救助した頃に水が引き、粘着質の泥に覆われた地面が顔を出した。
1階玄関を入り、息をのんだ。高齢者が14人、車いすに座ったままや床に倒れた状態で動かなくなっていた。全員泥水をかぶり、「一目で心肺停止状態と分かった、色のない世界のようだった」。隊員は無言で14人を抱えて椅子に乗せ、汚れたシーツをかぶせた。
ただ、森さんは悲しみよりも、「2階で待つ要救助者を助け出すことで頭がいっぱいだった」と振り返る。入所者48人の生存を確認。車いすの43人を1人につき隊員4人がかりで1階に降ろし、向かいの小学校グラウンドに運んだ。自衛隊のヘリコプターで3回輸送したところで日没を迎えた。
入所者51人と施設職員らの救出が完了したのは、同日午後11時ごろ。いったん近くの高台にある総合運動公園に移し、順次病院などに搬送した。心肺停止の14人は、一夜明けて警察に運び出された。県は6日、全員の死亡を発表した。
「言葉を失い、動けなかった」。ある若手隊員は後日、千寿園での体験についてこう漏らしたという。目の周りに濃いくまが残る森さんは「とにかく時間が足りず、あっという間だった」と話した。