足尾銅山鉱毒事件の田中正造と新井奥邃は、とても深い魂の交流をしていた。
◆ 田中正造が新井奥邃を称して
「新井神聖」「新井聖」」「巣鴨の聖者」「斯道の亜聖者」と、何度も「聖」呼ばわり。
新井宅に田中がいるときは、田中は「只何事か心清まりて高尚にすすむを覚ゆ。之れ神のめぐみのみ」
◆ 新井奥邃が田中正造を称して
「神の嬰児」「嬰児の精神」「死して死せず」
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公害と、政府と戦った田中正造は、いわば最も「人権」派。
しかし。
現代の人権派から田中正造のことを称賛する声をあまり聞くことがない。
つまり、すごくザクッと答えると、現代の人権派には左翼的な唯物論的な考えの者が多いから、田中正造がほとんど敬虔なクリスチャンだったことが、都合が悪いからだろう。
田中正造を田中正造たらしめたのは、キリスト教の勇猛精神。彼は、死んだとき、小石3つとマタイ伝のみを遺した。
「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」を地で行った。
なお、田中正造の裁判を支えたのは、これまた敬虔なクリスチャンで新井奥邃の弟子、中村秋三郎。秋三郎の凄絶な生涯と清冽な精神は、いつか天下に顕したい。