上機嫌は義務である。
アラン『幸福論』の有名な考え。
上機嫌になる理由があるから上機嫌になるんじゃない。
理屈なく、いつでも、上機嫌であれ。それは人としての義務である。
だからアランは言う:
悲観主義は気分であり楽観主義は意思である
と。
礼儀作法は外見の幸福である
とも言っている。上機嫌は義務であり、礼儀作法でもある、ってこと。
私も、以下2点で、上機嫌になる義務を意識している:
1 自宅に帰るとき
テンション低く、疲れていても、「あっはっは、ただいまぁー!」と大声で「ただいま」を言う。
普通の「ただいま〜」とは言わない。
「あっはっは、ただいまぁー!」
と言う。
二言挨拶の一種ですね。
無理して、痩せ我慢して、ハイテンションで帰宅する。自宅玄関の1メートル前で、家族のために、ハイテンションに切り替える。
2 事務所に戻るとき
裁判とかを終えて事務所に戻るとき。
会議を終えてオフィスに入るとき。
「中山戻りました〜」とややハイテンションで言う。
無言でオフィスに戻ったりしない。
ハイテンションをスタッフに伝播させるように言う。痩せ我慢して。
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こうして考えると、「上機嫌でいる」ってのは、意思に基づく痩せ我慢なのだと気づく。
別な言葉で言えば、「周りに対するリスペクト」ですね。上機嫌っていうのは。
周りを明るくしよう、周りを幸せにしよう、独りよがりじゃダメだ、周りのおかげで自分がいる、っていう感謝の気持ちがあれば、アランが言うとおり、上機嫌でいようって気持ちになる。
上機嫌は義務。
痩せ我慢で、上機嫌に。
それが礼儀作法です。
今読んでいるのは以下の本。
齋藤孝さんは、33歳まで無収入だった。でも挫けずに頑張ったから今がある。