狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

社会は一つの船のようなものだ。誰もが舵をとる準備をせねばならない。

2018年07月30日 12時03分18秒 | ご近所に関する日記



 倉敷中心部にお住いの知り合いの40代や50代や60代や70代のお方に訊いてみると、「高梁川の氾濫の可能性は考えたことがなかった」と仰るのです。
 しかし、80代のお方は「終戦直後は高梁川はしょっちゅう氾濫していて倉敷駅前は床上浸水とか床下浸水は毎年のようにあったよ」と仰るのです。吃驚しましたよ。

 「昔は高梁川はよく氾濫していた」
 「高梁川周辺の整備が進んで高梁川の氾濫の可能性がほとんどなくなった」
 「元々危ない場所はある。でもそれは大きな声では言えないのだ。色々と事情があるから」
 「高梁川は自然に中州がたくさん出来ていてそれを撤去するだけで水位は下がる。しかしそれをするにも人手もいるしお金もかかる」
 「河川の整備はされてきた。しかしそれを超える災害はある。残念なことだが」
 「整備を進めようにも『それは無駄だ』という人もいて進まない時もある。土木関係の公共事業を目の敵にしている人もいるし、それに大金が動くからね。色々と事情があったりもする。しかしやらねきゃいけないことはやらなきゃならん」
 「しかし完璧は無理だよ」

 ふ~む。
 倉敷で育って倉敷で暮らしていても、倉敷について知らないことはたくさんあるものです。


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