今年のお花見の最後に、『七つの花紀行』というクラブツーリズム社のバスツアーに参加しました。
今年も平年より気温が高い状態が続いていたので、桜の開花が早いようでこれから行く先のことが心配でしたが、ツアー・ディレクターによれば
未だ蕾の状態の場所から散り始めた場所までバラエティに富んだお花見ができると説明、参加者を喜ばせて上野を出発しました。
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バスは新宿からの参加者を乗せて満席になり、練馬 I .C.から関越道に入りました。
今日も青空が広がる天気でしたが、このところの好天続きのためか全体に霞がかかったようで遠望が効かず、山々が見難いのが玉にきずでした。
関東平野では殆どの桜は散っており、これから行く先での花の咲き具合が気になることでした。
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今日の最初の目的地は『
妙義山さくらの里』、小生初めての場所です。
バスは松井田妙義 I .C.で降り、次第に高度を上げてあの怪峰『妙義山』に迫って行きます。
と、突然のように山の斜面に満開の桜が目に入ったので、車内から歓声が上がりました。
今年はこの15日に満開になったそうで、高度の高い場所は今が盛りのようです。
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妙義山さくらの里
妙義山の南面山麓に広がる斜面一帯を利用して園地にしています。
面積は、約 47ha、園内には歩道や四阿が整備されているほか、野外ステージがあります。
園内に植えられたさくらは 45種 4,000本を超え、最も多い種類はソメイヨシノです。
また、カンザン、フゲンゾウなどの八重ざくらも多く、咲く時期がことなることから、4月中旬か
ら 5月中旬まで開花を見ることが出来ます。
珍しい種類としては、ミシマザクラ、ヨウキヒ、コトヒラなどがあります。 【下仁田町】
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バスは『さくらの里』の管理事務所がある高度が一番高い駐車場に着きました。
ここから急斜面を見下ろしてのお花見になる訳ですが、40分ほどの自由時間では広大な園内を総て回ることはとても無理なので、急斜面に付けら
れた遊歩道を下って『一本杉の園地』まで行ってみることにしました。
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この高度では平地の霞も少なくなり、一本杉の園地から見上げる妙義山もその異様な姿をすっきりと見せてくれています。そこから下方前面に広
がる景観を堪能し、サクラやヤマツツジ越しに山々を見渡して、急坂をゆっくりと昇り返して駐車場へと戻りました。
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吉野山の桜は上千本、中千本、下千本と言われその密度が濃いことで有名ですが、ここ妙義山のさくらの里は妙義山の南山麓に四千本を超える桜
があり、花の密度は薄いもののその数の多さと山岳景観の雄大さが見る者の目を楽しませてくれているようです。
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またここには桜の他、ヤマツツジやシロバナエンレイソウなども見られ、ハイキングを兼ねて1日ゆっくりとした時間を過ごすことができるよう
です。
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40分の見物時間はアッという間に過ぎ、次の目的
地『上田城』へ向いました。
相変わらず霞が濃く、上信越自動車道の軽井沢付近
から眺める浅間山も目を凝らして見なければ判然と
しないほどでした。
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昼食は佐久 I .C.で降りて直ぐのところにある『おぎのや』で信州豚の鍋、筍・菜の花・きのこの天ぷら、信州そばなどを頂きました。
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再び上信越道に入り、上田菅平 I .C.で降りて上田城へと向かいました。
こちらの桜は14日に満開になっており、散り始めている樹もあるとのことでしたが、駐車場に入る
まで渋滞のため時間がかかりました。
ここで待ち受けていたボランティア・ガイドの方から上田城に関する説明があり、見物に出発しま
した。
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上田城千本桜
上田城は、天正11年(1583年)、真田昌幸公により築城され、徳川軍を2度にわたり退けた戦国の
名城。現在は城跡公園となり、その歴史を今に伝えています。
4月になると約1,000本の桜が古城に彩りを添えます。お堀に桜が映る夜桜ライトアップもみどころ
です。 【長野県観光課】
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駐車場の周囲にも桜があり、石垣の上には南櫓があって絶好のカメラの被写体になっています。
また、地元のボランティアの方々による[ふるまい十勇士鍋]が提供されているので戴いてみると、信州味噌を使用したねぎ入りの味噌汁でした
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[けやき並木遊歩道(二の丸堀跡)]という涸れた
外堀を進み、二の丸橋の手前で道路に出て、橋を渡
る。
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橋の北側は桜は見られず、人影もない。
橋の最後にある欄干には判じ物のような奇妙な絵文字があり、ガイドの説明で “ 二の丸橋 ” ということが分かりました
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二の丸橋を渡ると、前方の北櫓と東虎櫓門の右手にシダレザクラが目立ち、右下のお堀の両側にあるソメイヨシノは散り始めており、お堀の水面
に花びらが浮び、それはそれで見事な彩りを添えている。
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櫓門を潜り先ず『真田神社』に拝礼。案内板によると
[当社は戦国時代の天正11年(1583)上田にこの平城を築き城下町を造った真田父子を主神とし、江戸時代に民政を尽くした仙石・松平の歴代
藩主を祭神とする神社であります。殊に10数倍の大軍を 2回に亘り撃退して日本一の知将と謳われた真田幸村の神霊は、今も智恵の神様として
崇められています 真田神社 ]とありました。
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本丸跡の桜を眺め、西櫓から桜並木を愛でながらお堀(上田城の堀は素堀りで、掘り上げた土をその内側へ堤状に積み上げて土塁としている)を
時計回りに一周する。
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ソメイヨシノは散り始めていましたが、ヤエザクラ
やシダレザクラなどがまだまだ見頃だったので、こ
こでも充分満足したお花見ができました。
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今日の最後は、日本三大夜桜(弘前公園と上野公園)の一つである『高田公園』ヘ。
バスは上信越道の坂城 I .C.に入り、未だ雪が残っている妙高高原を通って上越高田 I .C.で降りて公園へと向かいました。
こちらはこの10日に満開となっており、既に半分以上は散っているとのことでした。
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高田公園
慶長19(1614)年、徳川家康の六男、松平忠輝公の居城として築かれた高田城の城跡公園です。
明治42(1909)年、在郷軍人会が第13師団の入城を祝い、城跡に2,200本の桜を植樹したのが観桜
会の前身といわれています。
その後、大正3(1914)年になると花がきれいに咲きそろい、大正6(1917)年には市民が構内に
入ることが許可されました。
高田公園の周辺に植樹されているサクラはほとんどが「ソメイヨシノ」です。広大な内堀、外堀を
めぐる約4,000本の桜が咲き競い、3,000個以上のボンボリに照らされて映える美しさは、日本で
も有数のものとして知られており、上野の恩賜公園、弘前城公園とともに日本三大夜桜の一つに数
えられています。 【上越コンベンション教会】
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駐車場では観光ボランティアの方が待ち受けており、1時間ほど公園内を案内して頂けることにな
る。
先ず公園入口の内堀に平成14年に復元された『極楽橋』についての説明がある。
左手の堀に影を映す平成 5年に再建されたという高田城三重櫓が見える。その右手の桜は大分散っており花びらが堀に浮いている。
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極楽橋を渡って本丸跡に入り、三重櫓の横を通って再び内堀に架かる橋を渡り返す。
この辺りからライトアップされ、夜桜見物のムードが出てくる。
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外堀へ向う途中左手には上越市生まれの日本画家・小林古径邸がある。東京から移築したというこの邸は國の登録有形文化財となっており、道を
隔てた右手に『小林古径記念美術館』がある。
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外堀に出ると堀の両側にも桜があり、ここにも灯りが点々と点けられている。
この堀に植えられているハスは、明治 4年に戊辰戦争や凶作により貧窮した高田藩の財政を立て直すために植えられたものという。この外堀は周
囲が約 4km、面積は約19haあり、ここを殆ど埋め尽くすハスは、美しさ、規模ともに東洋一といわれており、7月下旬から8月中旬にかけて『上
越はすまつり』が開かれるとのこと。
極楽橋への通りへ戻り、道路の反対側にあるライトアッブされた『さくらロード』に入る。
大分散ってはいるものの、ライトに照らされた樹々は桜色に映え、見事なサクラのトンネルになっている。
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そのトンネルを抜けた場所に公園内随一といわれるシダレザクラがある。ここの花も大半は散っていましたが、ライトアップされているので未だ
美しく見ることができました。満開の際はさぞかし見事なものだったろうと想像されました。
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かくして第1日目のさくら紀行は終わり、上信越道の上越高田 I .C.から妙高高原 I .C.を通り、真っ暗な道を進んで斑尾高原にある『斑尾東急
リゾート タングラム斑尾』に19時40分に着きました。
夕食は21時までに済ますように案内され、バイキングスタイルの食事を慌ただしく採りました。
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斑尾東急リゾート ホテルタングラム斑尾
四季折々の自然の景色に彩られた斑尾高原に建つリゾートホテル。斑尾山の麓に位置し、山景色と
野尻湖、遠くには日本海の水平線までをも見渡せる。
温泉を湛えた大浴場や露天風呂、室内プールも完備され、機能性にも優れている。
夕食は、地の物をメインに用いた料理が揃い、信州の旬の味覚を存分に味わえる。
【ホテルタングラム】
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8.40.上野(バス)→ 9.30.新宿 → 11.00.寄居P.A. 11.15.→ 12.05. 妙義山さくらの里 12.45. →
13.30. 佐久おぎのや(昼食)14.20. → 15.05. 上田城千本桜 16.05. → 17.40. 高田公園 19.00. →
19.40. 斑尾リゾート(夕食)泊 3324号室