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nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

甲斐・駿河・伊豆紀行 1

2016-02-14 15:45:37 | 旅行記
平成28年2月7日(日)晴後雪
 『美しき冠雪の富士八景と河口湖冬花火』というツアータイトルに誘われて、クラブツーリズム社のツアーに参加しました。
 予報では昨晩は雪の心配がありましたが、雨が少々降った程度で、今朝は澄んだ青空が広がり絶好の行楽日和になりました。
 今回のツアーはバスによるもので、参加者は22名、その中には香港から春節を利用しての親子の方の参加もありました。
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 バスが中央道を進むにしたがって、昨日の雪を新たにした富士山が、我々を迎えてくれました。
 八王子付近からは、昨日降った雪が目立ち始め、高尾山周辺の樹々に積った雪が幾何学的に見えるのも美しい。 
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 談合坂 S .A. で休憩後、笹子トンネルを抜けると、甲州盆地を前景にした白峰三山を始め、南アルプスの山々が展開する冬景色が見応えあり。
 バスは昼食のため勝沼 I.C. で降り、あの武田信玄の墓のある『恵林寺』前の『信玄館』の駐車場に入る。
 建物の右手には 武田信玄像があり、その視線の先に信玄公の墓所があるという。
 ここで武田軍の陣中食でもあった『ほうとう』を戴くことになる。
 階段を上がった所が売店のある一階、その入口近くに武田信玄が着用したと云う鎧の模写が置いてある。
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 2階の食堂では、既にほうとう鍋に火が入っており、その他かやくご飯と湯葉など三品が並んでいる。
 小さい鍋のほうとうは醤油味、お椀に三杯ほどと量も少なめ。かやくご飯を二口ほどで食事を終える。
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 信玄館の道路を隔てた場所に信玄公を祀る恵林寺があるので、参詣に行く。
 境内には昨日の雪が残っており、杉林から溶け落ちる雪を避けながら開山殿へ向かう。
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恵林寺
 恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹である。元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄の地頭職(領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(道号は道蘊)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
 武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
 天正4年(1576)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修しました。
 しかし天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。
 同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。
 同6月3日、「本能寺の変」によって信長が斃れて後、徳川家康の手により復興され、また徳川五代将軍綱吉の時代に甲斐国主となった柳沢美濃守吉保の庇護で寺運は発展、柳沢吉保嫡男の吉里の代に柳沢家は奈良大和郡山に転封となるも、吉保夫妻は恵林寺を菩提寺として霊廟をもうけました。       【恵林寺HPより】
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 開山堂と堂内の画像です。
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 庫裡と三重塔。
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 三門と三門から四脚門を望んだ画像。この三門の場所で快川国師が「心頭滅却すれば火も自ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれたとのことです。
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 午後は先ず近くにある『ハーブ庭園 旅日記』へ。
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ハーブ庭園 旅日記
 ハーブは「人の役に立つ花(美・健康・色彩・香)」と言われています。観賞用としてのハーブをはじめ、食用・薬用・美容などその用途は幅広く、ハーブはたくさんの魅力を持った花と言えます。四季を通して、花々との出会いは現代の人たちにとってかけがえのない心のオアシス。一万坪の広大な敷地を約200種類ものハーブたちが咲き誇る美しい大庭園です。【パンフより】
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 駐車場で待ち構えていた案内人に二組に分かれて園内へ。
 我々の案内人は、立て板に水を流すような早口で説明する。時折笑いを誘いながら『大温室』に入り、主な三種類のハーブの説明から始める。
ステビア
 キク科の植物で、葉をむしって口に入れると、なんと砂糖の200倍ともいわれる甘さ。カロリーもほとんどゼロで、糖尿病の方にもおすすめです。
 砂糖よりも上品な甘さなので、ハーブティーでゼリーを作り、その甘味料として使用しても良いでしょう。
 ドライにすれば、冷蔵庫で保存できます。
 また、肉じゃがや煮物の甘味料として利用する場合には、ドライのものを細かく砕いていれると、砂糖の量も少量ですみます。ぜひ、おためしください。葉と、茎が利用できます。                    
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ローズゼラニュウム
 フウロソウ科の半低木で、バラによく似た香りがする事からこの名前がつきました。
  ヨーロッパでは「美肌草」と呼ばれ親しまれています。
  ローズゼラニウムには皮脂分泌のバランスを整え、血行を良くしたり、 素肌の弾力を回復させる働きがあるとされています。
  香りには、ストレスや不安感を和らげる効果もあるとされています。
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ブルーベリー
 ツツジ科の低木性果樹です。実は成熟すると、濃い青紫色になります。この色素は「アントシアニン」と呼ばれる成分で、目の疲れや目の病気に良いと注目されています。
 ただしブルーベリーの中の一品種の「ビルベリー」が、有効成分の「アントシアニン」の含有量が2倍以上あることが分かり、眼精疲労や視力回復、強力な坑酸化、毛細血管の保護に有効とされています。
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 ステピアの葉を食べさせたり、ローズゼラニュウムの化粧水などをふんだんに試用させたりしながら進み、蘭科では『胡蝶蘭』の大規模なものや、『シクラメン』では、種々の変わり種などを観て、最後に別棟のショップに案内される。
 そこでローズゼラニュウム製の化粧水・クリームやビルベリーのジュースなどを巧みに売り込まれる。
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 バスは勝沼 I. C. に戻り大槻J.C.T.から富士五湖道路へ入る。この道路は探鳥のために何回か通っているので、富士山の見える場所へ来たが、その方面だけ雲に覆われて肝心の雄姿が見えない。さっきまでの青空から急に雲が広がり出している。
 河口湖 I. C. で一般道に降り、次の目的地『忍野八海』に着くと、上空半分ほどに雲が広がってきており、雪が散らついている。
 この急な天候の変化に驚き、駐車場から雪の残っている道を、忍野八海の中心部へと重い足取りで行くことにする
 狭い道路に観光客が多数行き来している。特に『湧池』とその周辺にあるお土産屋には観光客が溢れるほどだ。その大半は春節の中国からの観光客だ。
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 一応湧池畔のショップに入ってみたが、凄まじい人混みで何とも落ち着かず、肝心の富士山も見えず、景色も冴えないので、池の中を覗いた程度で引き上げることにする。
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忍野八海 平成25年6月 世界文化遺産登録   
 世界文化遺産構成資産として位置づけられた「忍野八海」の3つの要素 
 ○ 富士山域を背景としてた風致の優れた水景
 ○ 富士山を水源とする地下・地上の豊かな水系
 ○ 富士講と元八湖の再興 (忍草元八湖霊場) 
 元八湖は古くから富士御手洗元八湖として、富士修験の霊場でした。
 富士講の信者は、富士登拝に先立ち、8つの湖沼群において水行を行ったとされ、それぞれ「富士外八湖」、「内八湖」、「富士山根元八湖」として記録に残っています。
  八つの池(現在の忍野八海)は「富士山根元八湖霊場」と名付けられ、略して「元八湖霊場」と言われるようになったとされています。やがて霊場巡拝の信仰が薄らぎ衰退したため 天保14年(1843年)に富士講の一つである大我講の禊ぎの池として、それぞれの池に八大竜王を祀り、石碑にご詠歌を刻み一番霊場の出口池から八番霊場の菖蒲池まで巡礼する道を整備しました。
 こうして元八湖霊場は再興され、多くの道者が浅間神社に参詣した後富士山に登ったと云われています
  昭和40年(1965年)頃から忍野八海の観光が注目されはじめ、昭和60年(1985年)に「全国名水百選」に選ばれたことにより、一層知名度が高まったため観光地化が進み、現在に至っています。      【忍野村役場資料より】
     *
 次の予定地は、『富士山雪まつり』が行われている『山中湖畔』へと向かう。
 この頃になると、上空はすっかり雲に覆われ、風を伴った雪が激しく降り出し、前方が良く見えない程になってしまった。
 これでは雪まつりの会場でもお客が居るはずは無いと思ったが、バスは予定どおり会場の駐車場へ到着した。
 激しく降る雪に駐車場には車も2台ほどしか見当たらず、しかもここから会場まで少々歩くことになるので、小生はこの近所で山中湖にいる水鳥などを見ることにした。
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山中湖
 湖面の面積は 6.57㎢あり、富士五湖で最大。また、湖面の標高は980.5mと最も高く、日本全国でも3位の高所にあります。
 一方、湖の水深はもっとも浅く、13.3m前後です。湖面の標高がそろって900mである本栖湖・西湖・精進湖の水面よりも山中湖の湖底の方が高いところにあることがわかります。【山中湖観光協会資料より】
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 激しく降る雪に水鳥の姿も少なく、僅かにオオバンとキンクロハジロが見られた程度だった。
 ここからは富士急行の『富士山駅』へと向かい、晴天ならば富士山を見ながら河口湖まで行く電車に乗ることになりました。
 バスは我々を富士山駅の前で下ろし、河口湖駅で我々を待ち合せると云うことになりました。
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 ホームへ上がる手前で気が付いたのは、上の画像右の横断幕です。
 [LAST RUN 2000系 フジサン特急 2000系 さよならキャンペーン]とあります。
 何となくホームをうろちょろしているカメラマンが大勢いるのは、このキャンペーンのためと分かりました。
 そのラスト・ランは、終点の河口湖駅から発車の予定になっているとのことでした。 
 やがて、我々の乗車する河口湖行の普通電車が到着しました。車内はガラガラです。
 晴天ならばここから終着の河口湖駅までの間、富士山が見えると云う趣向でしたが、この雪ではどうにもなりません。
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 河口湖駅に着くと、ホームの反対側にラスト・ランの2000系の電車が止まっていました。駅員が普通電車から降りた乗客を改札の外へ出るようにとマイクで案内しています。
 改札を出ると、この電車に乗るファンで大混雑しています。それが駅舎の外まで長い行列を作っていました。
 この悪天候の中、ファンは長い間待ち続けていたようです。
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 駅前駐車場で待っていたバスに乗り、今日最後の立寄先『河口湖ハーブ館』へ。
 降りしきる雪の中を到着したが、午前中と同じ内容では興味も半減。館内をさらっと見て『大池公園駐車場』のバスへ戻る。
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     *
 かくして長い一日を終え、宿泊先の河口湖温泉は『富ノ湖ホテル』に到着。
 今日のホテルは満員なので、夕食は早めの6時からということになる。
 5階の部屋に入ると、目の前に河口湖が見えているが、雪のため遠望は効かない。これでは楽しみの花火も打上が危ぶまれる。
 夕食は1階のレストランでバイキングスタイル。宿泊客は殆ど中国からの団体客なので、メニューも中国語が併記されている。
 品数は多いが、特徴的なものはあまり無く、適当なものを選んで済ます。外は相変わらず雪が降り続いている。   
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     * 
 部屋に戻り、暫くすると雪が小止みになり、対岸の灯りが見えるようになる。7時に花火の打上が決まれば合図の花火を打上げるとのことなので、期待をこめて待っていると、数発が打上げられ予定どおり花火大会が開催されることになる。
     *
 予定どおり8時から花火大会が始まり、最初は良かったが打上が進むにしたがって、風下のため花火の煙が邪魔をして、半分程しか見えなくなってしまった。そのうちに第2会場からも打上が始まり、こちらは良く見えたが、残念ながら数が少なく、また全体的にスターマイン級のものが少ないので、少しばかり寂しい内容でした。
 それにしても、厳冬期の花火をホテルの部屋から眺められると云う企画には、大いに魅力を感じました
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 長い一日の行事が終わり、部屋と同じ5階にある大浴場で1日の汗を流してベットに入りました。   
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河口湖
 富士五湖の中で最も長い湖岸線(19.08km)を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさ(5.48㎢)で、最大水深は精進湖と並び3番目 (15.2m )の深さ。
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 9.20. 新宿(東京パッセンジャー・バス)→ 10.20.談合坂 S .A .10.35.→ 11.30.昼食(信玄館)… 恵林寺 12.15. →
 12.35.ハーブ庭園 旅日記 13.15. → 14.10. 忍野八海 14.50. → 15.10. 山中湖交流プラザ
 (2016 山中湖富士山雪まつり)15.40. → 16.21. 富士山駅(富士急行線)→ 16.27. 河口湖駅 16.30.→
 16.40. 河口湖ハーブ館 17.00. → 17.05. 河口湖温泉・富ノ湖ホテル着(503号室)18.00.夕食(1階レストラン)
 20.00. 花火大会
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甲斐・駿河・伊豆紀行 2

2016-02-12 18:33:01 | 旅行記
平成28年2月8日(月)
 6時過ぎ「富士が見えるよ」と声が掛かり、急いで窓際に行くと、正面の河口湖越しに思っていたより大きな富士山が、裾野に棚引く雲を従えて薄いピンクに化粧して見えている。
 昨晩の寝る時には再び雪が降っていたので、とても考えられない気象条件になっていました。
 とにかく刻々と移り変わる富士山の表情をカメラに収める。
 朝日が差すと次第に雪面が赤く染まり、湖面にもその姿が映り出されましたが、波があるのですっきりした形にはなりませんでした。
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 昨日、午前中は良く見えていたのに、午後になって雲に隠れてしまったので、今日は一日その姿を見せて欲しいものだ。
 朝食の7時前まで、じっくりとその変わりゆく姿を眺めていました。
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 朝食は混むとの話に7時前にレストランへ行く。混雑はそれほどでもなく、中国風料理の多いバイキングスタイルでしたが、昼食は米飯が予定されているので、パン食で済ませました。
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 部屋に戻り、出発時間まで富士を眺めていましたが、次第に雲が覆い始めており、嫌な感じになってきました。
 湖面には70羽ほどのカワアイサが集団で行動しており、遠くにも別なグループが目に付きました。
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 8時半ホテル出発。昨日の新雪に朝日を受けて眩しい街中を、バスはゆっくりと今日の最初の訪問地・精進湖目指して進む。
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 精進湖は周囲7kmで、五湖のうち一番小さな湖。
 富士五湖の西湖、本栖湖と同一の水脈を有しているので水面標高も同じく約900mで、湖水の水位が連動する傾向がある。
 最大水深は15.2mで河口湖と並び3番目の深さ。流入河川および流出河川はない。   【ウィキペデイアより】
     *
 展望所からは正面に大室山を抱えて「子抱き富士」と呼ばれる形で見られるのだが、逆光のためかよく見えない。
 また、山頂から中腹にかけて纏わり付くような雲があり、写真を撮るのには全くの逆光なので、思うような画像にならない
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 15分程で次の『本栖湖』へ。ところが、ドライバーが富士山の見えない湖畔に車を停める。
 係の方に場所を確認して湖畔を半周程走って展望台に到着する。雲は相変わらず山頂から中腹にかけて纏わり付いている。
 本栖湖は五湖の最西端に位置し、富士五湖の中で最大となる121.6mの水深がある。また、千円紙幣E号券、五千円紙幣D号券の裏面に描かれる逆さ富士のモデルとして有名であるが、今日はその逆さ富士を見ることができなかった。 
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 バスが朝霧高原に入ると、富士山に纏わり付いていた雲が次第に少なくなってきた。
 度々探鳥に訪れる『道の駅 朝霧高原』を通過し、『朝霧高原もちや』で休憩となる。
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 朝霧高原もちやは、朝霧高原南端に位置し、富士山周遊路線の一角である富士宮道路に面するドライブインで、休憩施設とレジャー施設が一体となった複合施設となっている。
 地元企業である「株式会社もちや」によって運営され、その名が示すように「餅屋」として、草餅やおろし餅などの主力商品を軸に、各種特産品を揃えている。名が示すように「餅屋」として、草餅やおろし餅などが好評とのことだ。
 画像は、休憩施設の裏のレジャー施設のある場所からの富士山の画像です。
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 朝霧高原から25分程で富士山本宮浅間大社の駐車場に到着。この頃には富士山に掛かっていた雲はすっかり取れ
すっきりとした姿となっていました。
 ただ境内の広い浅間大社の一番遠い駐車場だったので、拝殿までに大分歩くことになりました。
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富士山本宮浅間大社
 富士山を神体山として祀る神社であり、境内は本宮が 富士山南麓(富士宮市街地)、奥宮が 富士山頂上となる。
 浅間大社は全国の浅間神社の総本社であり、富士信仰の中心地として知られる。
 境内は広大で、本宮社地で約 17,000㎡になるほか、富士山の8合目以上の約 385万㎡も社地として所有している。
 本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されている。
 また、本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されている。
 祭神を木花之佐久夜毘売命とし、祭神にまつわる桜を神木として境内には約500本もの桜樹が奉納されている。
                                   【ウィキペデアより】
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 大鳥居を潜り、楼門の前にある『鏡池』に写る富士山が一つの見所になっています。
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 楼門から御神域に入り、拝殿で参拝。
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 拝殿の右手に行くと、本殿が見える。二重の楼閣造で棟高45尺、浅間造りと称し其の構造は他に例がなく、国の重要文化財に指定されているとのこと。
 その外側には、富士山の湧水が湧き出す『湧玉池』があり、国の特別天然記念物に指定されています。
 この湧水をペットボトルに入れようとしましたが、「この水は煮沸して飲んで下さい」という張り紙があり、取り止めました。
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 これで午前中の観光は終わり、一路昼食場所の『伊豆フルーツパーク』へと向かいました。
 バスは新富士 I .C.から新東名道に入り、長泉沼津 I .C.で一般道へ降り、45分程で到着。
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 ここの建物は2階建てで、1階は売店、2階が食堂でその広さに圧倒される。 
 昼食は『シラス釜飯御膳』。既に釜飯は炊き上がっており、その釜の中にシラスを入れて混ぜ合わせて戴く。
 2杯目はそれに出汁を入れて、お茶漬けスタイルで戴く。さらに別鍋にあるうどんに天ぷらを入れて天ぷらうどんとして戴く。
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 人の出入りが多く、落着いて食事ができるような雰囲気ではありませんでした。
 慌ただしく食べ終わると、ベランダへ出て富士山を眺めて一息入れました。
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 午後からは昨年12月14日に開通した、静岡県三島市の箱根西麓・三島大吊橋、通称「三島スカイウォーク」へ。
 伊豆フルーツパークから10分程で到着しました。
「三島スカイウォーク」
 入場券とともに戴いたパンフレツトによると、全長400mの長さを誇り、歩行者専用吊橋として日本最長吊橋で、日本一の大吊橋からは、日本一の高さを誇る富士山と日本一の深さを誇る駿河湾の大パノラマを一望でき、トリプルの日本一を一度に堪能できる絶景スポットが誕生しました、とあります。
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 標高 415m、高さ70.6mある吊橋は、谷間から吹き上げる風が冷たく、思わずダウンコートのフードを被ることになりました。
 また、写真を撮ろうと立ち止ると、橋が揺れているのが分かります。
 富士山は勿論、改めて伊豆は天城連峰から駿河湾の眺望をカメラに収めました。
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 渡り切った対岸の右手には展望デッキが設けられていましたが、 そこまで足を運ぶことは遠慮しました。
 元に戻り、スカイガーデンまではエスカレータで行くことができるようになっていましたが、これもカット。
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 これで今回のツアーの観光は終わり、バスは国道1号線を利用して芦ノ湖畔から小田原へ抜け、蒲鉾の『鈴廣』で買物休憩。
 久し振りに店内に入りましたが、お汁粉から饅頭まで広範囲な品揃えがあるのに驚かされました。
 その後は小田原厚木道路を経由して東名道に入り、海老名 S .A.でトイレ休憩の後、無事帰京しました。
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 今回のツアーはタイトルの『美しき冠雪の富士八景』とはなりませんでしたが、気象条件の変化による思わぬ姿の富士山を見ることができたので、まずまずの内容でした。
     *
 8.30. ホテル発 → 9.00. 精進湖 9.15. → 9.30.本栖湖 9.50. → 10.10. 朝霧高原もちや 10.35. → 11.00. 富士本宮浅間大社
 11.40. → 12.25. 伊豆フルーツパーク 13.15. → 13.25. 三島スカイウォーク 14.15. → 14.30. 小田原鈴廣 15.15. →
 15.50. 海老名S .A. 16.10. → 16.50. 新宿着
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厳冬期 北陸美食紀行 3

2016-02-04 21:50:54 | 旅行記
平成28年1月26日(火)
 薄暗い6時過ぎに起床、早速朝風呂へ。冷気がだらけた身体に刺激を与えてくれる。
 のんびり浸かって部屋へ戻ると、汗が止まらない。外を見ると青空が広がり、陽光が眩しい。どうやら大寒波は去ったようだ。
     *
 部屋での朝食は具沢山、小カレイの干物の他で今朝も満腹。食べ過ぎが続き胃の調子が良くない。
     *
 
     *
 今朝も9時30分とゆっくり出発。バスは快晴の柴山潟を左手に望みながら、片山津 I .C.に入り北陸道を金沢へと向かう。
 昨日までの積雪の風景が一変、日本海の海の青が見違えるほど美しく目に入る。
     *
 金沢西 I .C.から一般道へ降り市内へ入ると、こちらも積雪のため道路状態が余り良くない。
 今日の最初の観光は『長町武家屋敷跡界隈』にある『野村家』の見学。バスは長町観光駐車場に停車、そこから徒歩で向かう。
 途中、武家屋敷跡が立ち並ぶ風情が見物だ。特に昨日までの雪が残り、日差しを浴びて一段と見栄えがする。
     *
 
     *
 加賀藩1,200石の野村家の見学は座敷に上がるため、靴を脱いだり履いたりするのに手数が掛かるので上がるのは遠慮して、玄関先の様子をカメラに収め、その後は街中を散策することにする。画像左は、野村伝兵衛が着用した鎧・兜。
     *

     *  
 野村家前の四つ角の直ぐ先に『長町武家屋敷休憩館』があったので、パンフなどを頂く。
 その資料によると、
 『長町界隈は、かっての藩士が住んでいた屋敷跡であり、土塀の続く街並の中では今も市民生活が営まれています。石畳の小路を散策すれば、当時の雰囲気が偲ばれます。』とあります。
     *
 
     *
 『薦掛け』は、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され、“ 金沢の冬の風物詩 ” となっています。
     *
 
     *
 観光客は若い年代の方が多く、中には外国(韓国 ?)の方も見えていました。
     *
 
     *
 細い路地に入ると遥か昔の俤が残っており、雪のために一段と風情のある景観になっていました。
     * 
 
     *
 これで午前中の観光は終わり、昼食場所の富山県・氷見へと向かいました。
 素晴らしい好天に、北陸道では白山が車窓右手に見えていましたが、バスが小矢部・砺波JCTから能越道に入る手前から北アルプス立山連峰の白い山並が見えてきました。ガイドさんも今時にしては珍しいと云ってました。
     *
 能越道からは昨日まで降った大量の雪景色が続き、氷見 I .C.で一般道へ降り街中に入ると、除雪が済んでいない狭い道路に車がすれ違うのに時間がかかっていました。
 昼食場所の『割烹・秀月』に入るショッピングセンターの駐車場では除雪の最中で、やっとの思いで駐車ができました。
     *
 今日の昼食は、富山湾で獲れた『寒鰤』のミニ会席です。私どもは一階のカウンター席で頂くことになりました。
     *
 
     *
 渇いた喉に生ビールを流し込んで、先付で戴いたのは『寒鰤の握り鮨』、口の中で蕩けるような甘味のある味に言葉が出ない。
 次いで『鰤大根』、飴色に輝く大根の鰤の旨味が炊き込まれての一品、云うことがありません。
 次は『刺身』、鰤を含め甘海老、ホタルイカなどと一緒に盛り合せて出されたが、本命は勿論『寒鰤』
 氷見の寒鰤は、沖じめにしてすぐに漁港へ運ばれるため鮮度抜群、脂がたっぷりと乗っています。
     *
 
     * 
 『寒鰤の塩焼き』を戴いている間に『寒鰤のしゃぶしゃぶ』の準備ができ、もう夢中で口の中へ。
 この後寒鰤の入ったあら汁とご飯が出されたが、もうお腹は一杯、あら汁を戴いてご飯は遠慮しました。
     *
 
     *
 これで今回の『美食紀行』は終わりましたが、ここから富山まで行く間に何カ所か立寄りました。
 先ず、直ぐ近くにある『道の駅・氷見』へ。言うまでもなくここは氷見漁港からの魚介類が目玉になっています。また、ここには北アルプスの展望所があるとのことでもう一つの楽しみもあるとのこと。
     *
 
     *
 ここで妻が富山県氷見産の『こずくら開き』という鰤の幼魚を購入しました。
     *
富山湾の王者・氷見寒鰤
 鰤は、スズキ目アジ科ブリ属の回遊魚で、寿命は7~8歳。体長120cm程度まで成長します。
 日本海では春から夏にかけて北上し、晩秋から初冬にかけて南下、ブリ群は、富山湾へ来遊します。
 3~5月、九州付近で産卵。卵はモジャコと呼ばれる稚魚となって流れ藻に付着し、エサをとりながら成長します
 このモジャコの生存率は、1年に産むといわれる300万粒の卵のうちわずか0.1%、3000尾といわれています。
     *
 また鰤はその成長によって呼び名が変わっていくため、めでたい出世魚としても親しまれています。
 富山県では、モジャコから、当歳魚のツバイソ・コズクラ・フクラギ、そしてガンド(1歳魚)、ニマイズル(2歳魚)、ブリ(3歳魚)へと成長。それからサンカブリ(4歳魚)、オオブリ(5歳魚)と呼ばれるようになります。
 富山湾では8月頃から全長20cmたらずのツバイソ、冬にかけてフクラギ、ガンドがとれます。
 そして11~12月、いわゆる「鰤起し」という雷鳴をともなった大シケがくるとブリ漁の最盛期が幕開けします。
                                  【氷見観光情報サイト】より
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 もう一つの楽しみ、北アルプスの展望所へと行ってみましたが、何と昨日までの雪で階段に多く積っており、危険のため展望所は閉鎖されていました。
 仕方なく建物の外へ出て、低い位置からカメラで収めたのが下の画像です。右は望遠で撮ったものです。
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 バスは氷見市内から富山湾沿いの道を進み、『能登半島国定公園』内の『雨晴海岸』で北アルプスの絶景を観ることにしていましたが、ここでも積雪のため駐車場に入ることができず、残念ながら車窓から眺めることになりました
 ここでは『雨晴観光協会』の画像と解説を載せることにしました。
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 右の画像は北アルプスを眺めるためにストップした『道の駅・新湊』の画像です。ここでは樹木が邪魔をして良く観られませんでした。
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雨晴海岸
 万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。
 雨晴海岸は、岩礁、白い砂浜、青松がつづく景勝地です。ことに、浜から眺める岩礁、そして富山湾越しに見る、3000メートル級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美しさです。 【雨晴観光協会】
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 かくして二泊三日の『厳冬期 北陸美食紀行』は大満足のうちに終わりました。
 新装なった富山駅から北陸新幹線で帰京しました。
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  9.30.ホテル発 → 10.30. 武家屋敷野村家・見学 11.30. → 12.40. 氷見・割烹秀月(昼食・寒鰤ミニ会席) 14.00. →
 14.05. 道の駅・氷見 14.40. → 15.30. 道の駅・新湊 15.45. → 16.10. 富山駅 17.08. (はくたか572号)→
 19.54. 上野駅着
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厳冬期 北陸美食紀行 2

2016-02-04 14:25:12 | 旅行記
平成28年1月25日(月)
 夜半過ぎて風の音がしていましたが、起床してカーテンを開けると一面の雪景色になっていました。やはり雪が降っていたのだ。
 それにしても風景は一変、これが厳冬期なのだと改めて認識させられました。
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 朝食は一階のレストラン『梅一輪』で、水月湖の雪景色を眺めながら戴く。
 ランチョンマットに料理の説明が書かれているのが珍しい。
 ・若狭名物一 塩鯖の焼き物と、イカ刺身で、朝から感じる若狭の風
 ・料理長自慢のあったかお味噌汁と、ごはんにぴったり味付け海苔
 ・新鮮野菜が体にしみこむ、食物繊維も豊富な朝サラダ
 ・海の幸と山の幸のハーモニー、しらすおろし雲丹しいたけ
 ・若狭町宮川さんちの卵は、だし巻卵でうまさひきたつ
 ・若狭町今井さんちのお豆腐は、煮豆腐で味わう大地の恵み 
 ・厚揚げ消費日本一の福井県民、陶板ステーキで地元の味を楽しむ
 ・肉厚濃厚、優勝力士贈呈の西田梅
 ・若狭町のコシヒカリを美味しくふっくらと炊きあげました
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 名物の焼鯖、厚揚げステーキが美味、梅干しは塩味が濃い目でした。それにしても種類が多く総てを食べることができませんでした。
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 朝食後も水月湖半の雪景色を楽しんで、9時にホテル従業員の見送りを受けて出発する。
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 昨日とは一変した三方五湖の雪景色を眺めながら進むと、湖面には時折カモの姿が見られる。マガモが多いが、その他ハシビロガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ、そしてカイツブリなど、上空にはトビが舞っていました。
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 バスは若狭三方 I .C.から舞鶴若狭道へ入り、敦賀JCTから北陸道へ。この辺りからまた雪が散らつきだし、所によっては視界が閉ざされるようになる。強力な大寒波は未だ抜けていないようだ。これで雪国での降雪をたっぷりと味わうことになりました。
     *
 途中、南条 S .A.でトイレ休憩。ここで若狭名物の『へしこ』を購入。
 へしことは魚の糠漬けのことで、糠(ぬか)をつけたまま軽く炙ると、独特の風味と、香ばしさが口の中いっぱいに広がります。そのまま、ちょっと辛口の日本酒を含めば、さらに旨さが膨らみます。
 お茶漬けで楽しむのも良し。刺身でも、お寿司のネタにも、またスパゲティやピザの具などにも使われています。
 へしこはその昔、魚の腐敗を防ぎ、長期保存するための保存食として作られていました。その歴史は深く、江戸時代の中ごろにはすでにへしこ作りが始まっていたそうです。           【福井県漁連協同組合連合会】
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 バスは福井 I.C.で一般道へ降り、今日の最初の目的地『一乗谷朝倉遺跡』へと向かいました。
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 戦国大名・朝倉孝景から五代 103年にわたり越前を支配した朝倉氏。五代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川軍と激突。1573(天正元)年の刀根坂の戦いで大敗後、義景は自害。朝倉家繁栄もここで幕を閉じました。  
 文化人としても優れていた義景の時代に、一乗谷文化も花開き栄えました。義景が住んだ館跡や館跡庭園など、一乗谷朝倉氏遺跡は見どころ満載です。国指定特別史跡・特別名勝では当時の繁栄を偲ぶことができます。
                                【朝倉氏遺跡管理事務所パンフより】
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 足羽川の支流、一乗谷川沿いにある遺跡群の中、復原町にある武家屋敷や庶民の町家が復元されている処を、現地ガイドの案内で見物することになりました。
 一乗谷川を隔てたところには朝倉義景の墓などがあり、その入口の唐門が遠く望むことができました。
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 入口の建物にはこの復原地区の街並の模型がおいてあり、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が形成されていた様子がリアルに再現されています。
 相変わらず雪は降り続いており、ダウンコートを着て傘を差しての煩わしい見物となりました。
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 下の画像は、武家屋敷のモデルと武家屋敷跡の様子です。
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 遠く一乗寺城跡を望むところと、町並みの裏手。
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 大甕を並べた紺屋をはじめ、数珠屋、鋳物師、檜物師、刀砥ぎ師などの職人の家や坪庭のある医者の家が建ち並ぶ町家。
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 ガイドさんの説明を聞く方々と遺跡の入口。
 この頃になってどうにか雪も止み、青空が覗いてきました。
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 遺跡の見学が終わり、近くにある『一乗ふるさと交流館』で、一乗谷に伝わる伝承料理『朝倉膳』の昼食を戴くことになりました。これは朝倉氏が五代にわたり栄華を極め、戦国時代屈指の城下町であった一乗谷。足利義昭をもてなしたとされる祝いの膳です。今日は地元の婦人会の方々の手作りによる朝倉膳とのことでした。
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 本 膳
 ・あえませ(めかぶ、するめ、山芋、煎り酒)・黒豆ごはん(黒豆、うるち・もち米、梅干)
 ・ごまころ(里芋、黒ゴマ)・ぜんまいの白和え(ぜんまい、大豆)・呉汁(丸大豆、ねぎ)
 ・麩の辛子和え(角麩、きゅうり、地辛子)・でんがく(こんにゃく、味噌)
 ・しのだ巻(鶏挽肉、薄揚げ、しめじ、まめ、人参、ブロッコリー)
 ・水ぶきとにしんの炊き合わせ(水ぶき、にしん、人参、まめ)
 弐の膳
 ・手打ちそば(手打ちそば、花鰹、ねぎ)・てんぷら(舞茸、南瓜、大葉)・きゃらぶき(山ふき、山椒)
 ・お漬物(大根)・お菓子(水ようかん)・お土産(手作りあられ)
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 心の籠もった、色彩豊かな料理の数々を楽しみながら、美味しく戴きました。手打ちそばは、ご当地名物『越前そば』でした。
 ふるさと交流館と付近の案内図。
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     * 
 バスは福井 I .C.から北陸道へ戻り、次の目的地『永平寺』へと向かいました。
 最初の予定では『白山平泉寺』(霊峰白山への登り口として西暦717年・養老元年に泰澄大師により開かれた霊場)へ行くことになっていましたが、大寒波による大雪のためバスでの通行が出来ず、急遽『永平寺』へと変更になりました。
 この時期の旅では止むを得ないことでした。
     *
 永平寺は、寛元二年(西暦1244年)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。
 境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に大小七〇余りの建物が並んでいます。
 現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の源となっています。    【永平寺パンフによる】
     *
 バスは福井北JCTから中部縦貫道に入り、永平寺 I .C.で一般道へ降り、積雪の多い道路を永平寺門前町の中にある駐車場に入りました。
 ここから緩やかな坂道を歩いて永平寺へと向かいます。道路上には雪が残っているので、皆さんも慎重に歩みを進めています。
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     *
 参道の入口に永平寺の案内人が待っており、坂道の途中にある案内図で境内の参拝順路を説明する。
 階段を上がって上履きに履き替え、案内が始まったが、直ぐに階段を上ることになるので躊躇していると、車椅子利用の方はエレベーターでという案内があるので、係の方に申し出ると早速車椅子を用意して下さる。
 『車椅子ご利用の方』の案内図を頂いて、早速エレベーターで二階へ上がる。
 ところが、その先がよく分からず見物客が来る方へ行ってみると、そこは『大講堂』。境内の案内のビデオを上映中で、僅か数人の方しか見当たらない。
 兎に角元へ戻ろうとすると、若い僧侶の方が通りかかったので、現在位置を伺い先程のエレベーターの場所から反対方向へ行ってみる
 そこは『祠堂殿』で、特別志納の方々による全国 各地の位牌が祀られ、追善供養等の法要も行われる場所とのこと。
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 どうも案内図とは異なる方向へ来てしまったようで、元のエレベーターの所へ戻ると、ツアーディレクターに会い、改めて案内図に従って同行して頂くことになりました。
 どうやら次のエレベーターに乗る場所を通り過ぎていたようです。
 着いたところは『傘松閣』。一五六畳敷の大広間で、別名『絵天井の大広間』。この天井絵は昭和五年当時の著名な画家一四四名による二三〇枚の花や鳥を中心に描かれた美しい色彩画です。
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 絵天井を拝見した後は、緩やかな廊下を上がり『山門』へ。残念ながら外から観ることができませんでしたが、永平寺最古の建物で、三解脱門(さんげだつもん)とも称せられ、仏の世界に入る関門です。福井県の文化財になっています。                                   【永平寺パンフより】
     *
 それでも山門の内側にある仏教の守護神である四天王を拝観することができました。
     *
 
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 また、山門から見上げた場所にある『中雀門』の雪景色を観ることもできました。
 中雀門は、山門と仏殿の中間に位置する入母屋造銅板葺の腰屋根を持つ二重門で、下層に幹唐破風を付し、彫刻装飾も多い。
 ここで時間となり、参道へ出ると、多数の若い僧侶が雪掻きをしていました。どうやら散らついていた雪も止んできたようです。
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      *
 これで今日の見学は終わり、今夜の宿のある山代温泉へと向かいました。
 バスは往路の永平寺 I .C.から福井北JCTをへて北陸道は加賀 I .C.で一般道へ降り、15時過ぎ『瑠璃光』に到着しました。
 早めに旅館に着いたので、のんびりと温泉に浸かり、夕食の蟹会席『風の舞』を楽しむことにしました。
     *
 
     *
 夕食は部屋で戴きました。
 先ず『食前酒』 白山の天然水を使った身体にやさしい〈さんざし酒〉
         苺を想わせる華やかな香りと甘ずっぱい味わい。
 『旬菜』(冬景色)・蟹味噌豆腐 加賀蓮根重ね、雪化粧 三つ葉、枸杞の実 美味出汁。
          ・自家製鱈の蒸しと白菜の豆乳クリーム仕立て 青菜 人参 黒胡麻。
          ・鮟鱇の霙酢 焼葱 パプリカ。 
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     *
 『割鮮』 蟹 寒鰤 鮪 甘海老 あしらい  
 『進肴』 面付き津和井蟹姿盛り 梅酢大根 レモン
      これが石川県沖で水揚げされたことを証明するタグ付ブランド蟹、11月から3月頃が旬といわれ、
      ふっくらとした身はジューシー、上品な甘味が広がり、刺身はとろけるようでした。
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     * 
 『羹』  寒鰤と大根煮 青菜
 『替り鉢』~瑠璃光の地下水を使った~(水煙蒸し)
       国産柔らかポークと冬野菜の熱々「いしる」バーニャカウダ仕立て
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     *  
 『焜炉』 面付き蟹すき鍋 野菜盛り
 ここまでくると、お腹はほぼ満杯で、最後の雑炊も無理矢理流し込んだ感じでした。 
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 『食事』 蟹雑炊
 『香の物』 盛り合せ
 『水物』 季節のデザート
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 21時から一階ホールで『加賀一向一揆太鼓』の実演があると云うので、お腹ごなしに観に行きました。
 五人ほどの演者が代わる代わる演奏しましたが、能登の御陣乗太鼓と同じような内容に思われました。
一向一揆太鼓の由来
 加賀の中世史は、一向一揆の歴史と言われています。室町時代後期当地の守護職富樫氏の圧政に苦しむ農民達は、越前と加賀の国境吉崎の地に居を構える蓮如上人とその一向宗教に救いを求めました。
 それを由とせぬ富樫政親は、二千の軍勢を以て一向宗教や農民達を弾圧せんと兵をあげました。それに対し農民達は手に鍬・鎌・竹槍等を持ち「鬼面人を脅かす」の故事に倣い、太鼓を打ち鳴らしながら二千の軍勢に立ち向かったと云われています。
 この時の太鼓の音こそ、以後百年にも及ぶ農民戦争、加賀一向一揆の幕開けでした。 500年前の一向一揆のエネルギーが爆発するステージ。五感に響く勇壮で迫力のある魂の叫びを存分にお楽しみください。 【旅館の案内より】
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 寝る前に外を伺うと、どうやら大寒波は今日がピークで、少しづつ天候が回復しているようでした。
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 7.00.朝食 …9.00.ホテル発 → 10.30.一乗谷朝倉遺跡 11.50. → 11.55.一乗ふるさと交流館・昼食(朝倉膳)12.50. →
 13.15. 永平寺 14.50. → 15.20.山代温泉・瑠璃光 泊
     *
山代温泉
 江戸時代の温泉場は、共同浴場を中心として、街がつくられていました。共同浴場の周りに温泉宿が立ち並び、湯治客は共同浴場に通ったり、ときには自然の中を散策しながら長逗留していました。この共同浴場が「総湯」です。そして、総湯を中心とした周囲の街並みを「湯の曲輪(ゆのがわ)」といい、北陸特有の呼び方となっています。
 山代温泉には、同じ地にあっても微妙に違う三つの泉質があります。1300年の昔から人々に知られた多彩な効能も、山代の湯に身体をあずける気分でゆったりおくつろぎください。         【山代温泉観光協会】
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厳冬期 北陸美食紀行 1

2016-02-03 22:30:29 | 旅行記
平成28年1月24日(日)
 厳冬期の北陸で、この時期ならではの美味しい食べ物を求めてクラブツーリズム社の『山代・若狭 北陸美食紀行』に参加しました。
 前日の夕方から雪が降るとの予報で交通機関の影響が心配されましたが、幸いにも雨だったので、予定どおり出発することができました。
 ただし、この二、三日は猛烈な大寒波が予想されており、日本海側には大雪・風雪・波浪警報が出ているのが気掛かりなところです。
 昨年開通した北陸新幹線は初めての乗車で、期待する処大でした。
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     *
 関東地方は青空が広がり、陽光が眩しいほどですが、遠い山際には雲があり富士山は見ることができません。
 高崎からは次第に雲が多くなり、軽井沢からは積雪も目立つようになりました。浅間山も雲の中。
 上田付近からは青空が無くなり、長野では雪が散らついていました。車窓から雪を被った妙高山が見ることができました。
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     *
 妙高高原から糸魚川に掛けては風も強くなり、降雪量も増えてきました。
 黒部付近からは強風に煽られた雪が横殴りとなり、視界も効かなくなて本格的吹雪となりました。
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     *
 終着駅の金沢に着いてホームへ出ると、まともに吹雪の中に曝されるようでした。
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 構内へ降りると、在来線は運転中止となっており、多くの乗客が足止めになっていました。
 幸い新幹線はトンネル部分が多いため運行できたようです。
     *     
 金沢駅の裏口にバスの駐車場があり、乗車するまで風に向かって身体を丸めて歩くことになりました。
 問題はこのような気象条件で、バスはまともに運行できるのかと心配になりましたが、この我々の心配を見透かすように早速バスガイドさんが、
 『私ども福井交通のバスはこのような気象状態での運行に馴れているので、心配はありませんよ』と説明され、一安心。
     * 
 バスは金沢市内から北陸道の金沢西 I .C.に入り、西へ向かって進むことになりました。
 高速道路は強風のため雪は吹き飛ばされて積ってはいませんでしたが、日本海側からの横風をまともに受けて車体が揺れます。
 この揺れるバスの中で、昼食用のお弁当が配られました。小生はご存知富山名物の『ますのすし』。
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 約100年の伝統を持つという老舗弁当店『源』のます寿司、ほどよく脂の乗ったマスと富山県産米、緑が濃く香りの良い国産笹を使用した伝統の味を久し振りに楽しみました。
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 妻は同じく『源』のお弁当、二段重ねの内容に満足したようです。
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 食事が終わっても強風雪が続いていましが、加賀 I .C.付近から海岸を離れるにしたがって雪や風が弱まってきました。
 バスはトイレ休憩を兼ねて福井北 I.C.から一般道へ降り、羽二重餅製造の『マエダ製菓』の駐車場へ入る。
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羽二重餅の古里【マエダ製菓】
 300年以上の歴史のある 福井の銘菓「羽二重餅」は、羽二重餅発祥 の家で、大本山永平寺御用達とのこと。
 羽二重餅・羽二重風呂敷・織福 などの銘菓他数。
 また施設内では本物の新鮮な羽二重餅の試食ができ、口当たりの柔らかい、ほんのりした上品な甘味のある餡入りやイチゴ入りなど多くの種類を味わうことができました。
     *
 バスは再び福井北 I .C.から北陸道へ戻り、敦賀J.C.T.から舞鶴・若狭道へ入る。天候は次第に青空が広がり積雪も少なくなってきました。
 小浜 I.C.で一般道へ降りると、周囲の雪は殆どなく青空からの陽光が眩しいほどです。
 ここでは伝統の若狭塗箸専門の『箸匠せいわ』の見学となる。
 先ず、何故か大黒様のような衣装・帽子の方から、箸の持ち方から若狭塗り箸の説明があり、次の部屋で各人が機械で実際に箸に塗る作業を体験しました。
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若狭塗産地
 優美さと堅牢さのある若狭塗りは、江戸時代、徳川家をはじめ、多くの大名、公家、武家、一部の裕福な商家で使われていました。
 また、若狭塗りにはお汁椀などは無く、重箱や煙草箱、お盆などがありますが、こういった高級商品を作られる職人も少なくなり、現在はお箸が主流になっています。
 塗り箸に関して言えば、ここ福井県小浜市は日本一の産地で、その生産量は年間80万膳。全国の塗り箸の80%を生産しています。
 塗り箸は三ヶ月から一年をかけて、貝や卵殻を木地に付け、金箔や色漆を塗り重ね、研ぎ出すのが伝統的な行程ということでした。
     *
 そういえば、NHKの朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』(平成23年10月~24年3月)で、主人公の実家が若狭塗箸を作っていたことを思い出しました。
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 バスは小浜 I .C.から舞鶴・若狭道を若狭・三方 I .C.まで戻り、一般道へ降りる。周囲の山々にも積雪は見られず、金沢駅到着前後のあの暴風雪がまるで嘘のような好天気となっていました。
 やがて三方五湖のうちの三方湖から水月湖沿いの道を進む。この辺りは梅の産地でもあり、延々と梅の木が植えられています。
 水月湖畔に立つ今日の宿『水月花』に着いたのは、午後4時前でした。
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 湖に面した部屋に暫時休憩した後、早めに少し熱めの温泉で疲れを癒し、湯上がりのビールを飲みながら、大相撲初場所話題の大関・琴奨菊の優勝のテレビを観ました。10年振りの日本人力士の優勝は、まさか31歳の琴奨菊が賜杯を受けるとは思いもしませんでした。今後を大いに期待したいところですが……。
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 夕食は三大美食の一つ『若狭ふぐ』。一階のレストラン『梅一輪』で、湖面に映る夕陽を眺めながら……。
 先ず前菜の後、ひれ酒を呑みながら『刺身』、『あんかけ』と続く。
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 若狭の恵まれた環境で育ったというふぐは、身が締まり、旨味も十分、料理の種類も多くたっぷりと時間を掛けて賞味する。
 次いで『ちり鍋』『唐揚げ』、『焼きふぐ』。
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 さらに『茶碗蒸し』から『雑炊』となりましたが,既にお腹が一杯となり、雑炊にはどうにも手が出ませんでした
 最後のデザートを戴いて、満足の美食紀行の第一日を終えました。
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水月湖(すいげつこ)
 水月湖は、福井県三方郡にある三方五湖のうち、五湖中最大の面積湖で、周囲 9.85km、最大水深 38.0m、面積 4.06km² の汽水湖である水月湖は水深が深く湖内に直接流れ込む大きな河川がないため、その流入などで湖底の堆積物がかき乱されることがないので、年縞(ねんこう)が1枚ずつきれいに積み重なっている状態が保たれている。
 また、湖底に酸素がないため生物が生息しないことで、年縞がありのまま残っていたこと。さらに好条件となった背景には湖周辺の断層の影響で、湖の底面が堀下がる沈降現象が続いており、湖底に毎年堆積物が積もって侵食して湖が埋まらないという特異な条件が揃っており水月湖の年縞は現在では「奇跡の堆積物」と呼ばれる。                                        【ウイキペデア】より
     *
年縞(ねんこう)
 水月湖の堆積物にみられる年縞が地質学的年代の世界標準となり、世界から注目されている。
 水月湖には約15万年分の年縞があると云われている。
     *
 8.18. 上野駅(はくたか555号)→ 11.36. 金沢駅 11.55.(福井交通バス)→ 13.00. マエダ製菓 13.20. →
 14.35. 箸匠せいわ 15.15. → 15.55. ホテル 水月花 泊
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