高知での最後の日は、地元野鳥の会の探鳥地でもある高知城での早朝探鳥へと出掛ける。
5時半過ぎではまだ暗く、旅館から10分ほどで追手門に着く頃にようやく明るくなる。
野鳥たちの囀りが聞こえるが、樹々の茂みが暗く、種類の判別ができない。
追手門を入ると天守閣をバックにした板垣退助の銅像が目に付く。
その奥には初代藩主・山内一豊の馬上の像がある。
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広い階段を上がって行くと広場のような三の丸があり、この辺りから東の空からの光を浴びた天守閣が赤く染まり、見事な色合いを見せてくれる
二の丸から本丸へと上がり、その裏側にある梅園に降りる。ここの梅は散り始めており,ここではシロハラやアオジが目立ち、ジョウビタキが姿
を見せてくれる。また、梅園の奥の方では10羽ほどのイカルが盛んに囀っていた。
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高知城
天守閣、追手門以下15棟の建造物が国の重要文化
財に指定されている。
高知城の象徴である天守閣は、高さ18.5mの3層6
階、屋根入母屋造り本瓦葺き、山内一豊によって
1603年(慶長8年)に築城されたが、1727年(享
保12年)の大火で消失。
現在の天守閣は1748年(寛延元年)に再建されたものである。 【よさこいネットより】
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朝食のためホテルへ戻り、広い庭園を眺めながらバイキング・スタイルの食事を採る。
下の左の画像 は、ホテル入口の右手にある『旧山内家下屋敷長屋』で、元治元年(1864)に山内容堂公が下屋敷を設けた際に建てたとされ、國
の重要文化財に指定。現在は幕末資料館となっている。
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今日は一日高知市内見物を予定しているが,その遊覧に便利でお得な『MY遊バス』を利用することにする。
これはMY遊バスと土佐電鉄路面電車が1日乗り放題(1.000円)で、しかも美術館や資料館などが割引で入場できるという優れもの。
ホテルのフロントで購入すると、ガイドブックも付いてくる。早速路面電車で『はりまや橋』へ。
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はりまや橋
純信とお馬の悲しい恋物語で知られるはりまや橋
民謡『よさこい節』に「坊さんかんざし買うを見
た」と唄われた。
藩政時代、土佐藩の御用商人の播磨屋宗徳と櫃屋
道清が両家を往来するために設けた私設の仮橋が
最初と言われる。
現在の橋は平成10年に建てられたもの。
歴代のはりまや橋のうち、明治41年から昭和14年
まで架設されていた橋が、三翠園の敷地内に保存
されていた。
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はりまや橋で電車を乗り換え、高知駅へ。ここから『MY遊バス』に乗り継いで桂浜へと向かう。
乗客は10人ほどで、若い女性が多い。
バスは五台山から牧野植物園。竹林寺を経由して50分ほどで桂浜に着く。
バス停からお土産屋の間を通り、階段を上がると前方に弓なりに広がる桂浜の景観が目に入る。
春の陽光を一杯に浴びている海は、のたりのたりとはせず、一面鏡のごとく静かだ。
取り敢えず右手の『龍王岬』へと砂浜を歩く。日差しが強く汗が滲む。
砂浜から階段を上がったところに小さな龍神のお社がある。風もないので日陰が欲しくなる。
そこから太平洋を一望する。二、三の小さな漁船が見えるだけの広々とした海を眺めるだけで、気分が壮大になる。
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桂 浜
高知県を代表する景勝地の一つ。浦戸湾口、龍頭
[りゅうず]岬と龍王岬の間に、弓状にひろがる
海岸で、背後に茂り合う松の緑と、海浜の五色の
小砂利、紺碧の海が箱庭のように調和する見事な
景勝地。
古来より月の名所として知られ、“月の名所は桂
浜……”と「よさこい節」にも唄われている。
東端の龍頭岬に幕末の志士坂本龍馬の銅像が、太
平洋の荒波に向かっている。
海浜一帯は「桂浜公園」となっている。
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一息入れて弓なりの桂浜を歩いて、竜頭岬にある坂本龍馬の銅像を目指す。
こちらも砂浜から階段を上がったところにあるので、またも汗が流れるようになる。
ちょうど団体客が記念写真を撮るところだったので、しばし階段の途中で待つことになる。
懐手をして太平洋遥か遠くを望む龍馬は、何を思っているのだろうか ?
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坂本龍馬像
高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額
にして2万5千円を集め建立。昭和3年5月27
日午後2時,除幕式を行い姿を現した龍馬像。
和服姿に懐手,ブーツ姿の龍馬は,はるか太平洋
の彼方を見つめています。
像の高さは 5.3m,台座を含めた総高は 13.5m。
毎年龍馬の誕生日であり命日でもある 11月15日
を挟み,約2カ月間,龍馬像の横に展望台を設置
し龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができる
という。
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すっかり汗をかかされたので、桂浜名物『アイスクリン』ならぬソフトクリームで喉を潤す。
再び『MY遊バス』に乗り,今日というか、今回の旅の主目的である『牧野植物園』ヘ向かう。
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今朝通過した際にはガラガラだった駐車場が、ほぼ満杯になっているとは驚きだ。
団体客が多いようで、ここはツアーの観光ルートになっているようだ。
本館の受付へ行くまでの道の両側は『土佐の植物生態園』となってお、標高1,000mを超える山地から海岸までの環境を4つのゾーンに分け,多
様な自然環境に生育する高知県の植物を紹介している。
先ず目に付いたのは『シコクフクジュソウ』。シコクフクジュソウは,葉の裏面と果托に毛がない点でフクジュソウと区別されるという。
四国では剣山を中心に、高知県では香美市や大豊町の山間落葉樹林にまれに生えるという。
次いで『シコクバイカオウレン』の看板が目に付いたが、肝心の花は既に終わっている。
次は『ユキワリイチゲ』、これは今や盛りで、白い花が凛として咲いているのが見られた。
四国では四国山地を境に瀬戸内側には広く多く自生しているという。それに比べて太平洋側には断然少なく仁淀川水域と吉野川上流域にはあるも
のの、四万十川上流域の狭い範囲だけ見られる程度とのこと。
産地によって地域変異が見られ、青花のきれいな所、ピンク花の出る所、白っぽいのなどあるという。
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その先の本館受付で『MY遊バス』の一日券を見せると、団体割引料金で入園することができた。
受付の脇には『シコクバイカオウレン』の鉢植えがありましたが、これも辛うじて花が付いているといった状態でした。
やはり2月の半ば過ぎがこの花の最盛期のようです。
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ここで昼時となり、ここのレストランの屋外席で日差しを避けながら『野菜カレー』を戴きました。
レストランの入口近くには『バイカオウレン』の鉢植えがあり、これはちょうど見頃になっていました。
シコクバイカオウレンは「花弁の舷部がコップ状で、花柱が強く反曲する」とのことですが……。
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昼食後は回廊を通って『牧野富太郎記念館』へ。
ここは本館と展示館があり、その間には水盤を配した中庭があり、博士ゆかりの植物約150種が植
栽されている。
その先にある『北園』には、芝生広場や薬用植物区などがあり、高知市東部の平野や山地を一望で
きる場所となっている。
北側斜面には『さくら・つつじ園』があり、早咲きの桜が咲き始めていました。
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その先『南園』へ行く途中には展望台があり、遠く
にあるサギの群棲地を見ることができましたが、殆
どがアオサギでした。
『カンナ&ローズ園』では、先月高崎で見た『クリ
スマスローズ』が目立ち、斜面の所々にはクロッカスが咲き揃っていました。
竹林寺の境内跡にあるという『南園』には、南の坊跡や『お馬路』と呼ばれる参詣道があり、これ
らの歴史を感じさせる史跡と調和するよう造園されているという。
ここにはチューリツプの花園に囲まれるように牧野博士の銅像が建てられていました。
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この南園の地形と歴史を最大限に活かし、美しい景色と調和させた水景庭園が『50周年記念庭園』。
サクラ類やハナショウブ、ハス,リンドウなど日本、中国、韓国の園芸植物を中心に集めており、四季を通してその魅力を堪能するようになって
いる。
池の中には3月の雛祭りを祝うように内裏雛が作られていました。
また、その下の『蛇紋岩植生園』には、土佐名物の皿鉢料理ならぬ大きな『花皿鉢』が造られており、来園者の人気を集めていました。
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最後に南園にある『温室』に入りました。
それでなくても暖かい日差しを浴びて歩いたので汗
が滲んでいましたが、熱帯さながらの室内では汗が
流れるようになり、8つのトロピカルゾーンに分か
れているという海外から集めた貴重な植物や色鮮や
かな熱帯花木、熱帯果樹などをじっくり見物するこ
とはできませんでした。
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ここまでで一通り園内を観察したことになり、些か疲れたので南園を見下ろすベンチで休憩するこ
とにしました。
そのベンチの脇にあるハルニレの大木から、野鳥の鳴声が聞こえるので双眼鏡を向けると、30羽余
りのマヒワがしきりと新芽を漁っていました。園内では多くの野鳥が見られるのではないかと期待
していましたが、意外と少なく肩透かしにあったようでしたが、最後にお土産ができました。
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牧野植物園
「植物園を造るなら五台山がええ」
90歳を超えた牧野博士のこの一言で歴史と景勝の地、五台山に植物園は造られたという。
高知が生んだ「日本の植物分類学の父」牧野富太郎博士の業績を顕彰するため、博士逝去の翌年、
1958(昭和33)年4月に高知市の五台山に開園。
起伏を活かした約 6haの園地には、博士ゆかりの野生植物など約3,000種類が四季を彩り、自然の中で植物に出会う喜びを感じていただけます。
収集植物の多くは採集地が明らかで、観賞や観察の対象のみならず「生きた標本」として植物研究に重要な情報をもたらしています。
【牧野植物園パンフより】
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五台山
高知市南東部に位置し,桜やツツジの名所となっています。
山頂には展望台があり,そこから眺める高知市街地や浦戸湾は絶景です。
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温室の直ぐ脇が南門になっており、そこを出て次の『竹林寺』へと向かうことにしました。
山門までの階段が結構きつかったが、山門の先にもう一つ階段があり、その途中から読経の声が聞こえてくる。
階段を上がった左手にある『大師堂』で10人ほどのお遍路さんが読経中だった。
ここは四国八十八ヶ所の第三十一番の札所になっている。
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本堂で拝礼の後、県下三名園の一つといわれる名勝庭園の拝観をしました。この入園料も『MY遊バス』による割引対象になっていました。
残念なことには庭園の改修工事中で、池の水も抜かれていたのにはがっかりでした。それと客殿の廊下の板がすっかり古くなっており、歩くのに
気を付けなければならないほどでした。
最後に境内にある五重塔を拝観して今回の旅を終えることにしました。
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竹林寺
聖武天皇が中国五台山に似た山を行基に探させた
もので、行基は土佐の五台山を選び神亀元年(72
4年)本尊の文殊菩薩を刻んで堂塔を建立した。
大同年間(806年~810年)には弘法大師も来錫。
江戸時代には土佐藩主の帰依を受け、堂塔の規模
は土佐随一を誇った。
「よさこい節」で知られる僧の純信もこの寺の僧
だったとか。
名作庭家の夢窓国師の手になるという庭園も美し
い。四国八十八カ所霊場31番札所。
【竹林寺パンフより】
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『MY遊バス』で高知駅へ、そこからリムジンバスを乗り継いで『高知龍馬空港』へ。
搭乗手続きを終えて空港内のレストランで夕食を採る。
ここで高知は須崎市のご当地グルメ『鍋焼きラーメン』を戴く。
スープは鶏がらのしょうゆ味で、麺は歯ごたえある細麺、具はネギ、ちくわ、生卵それに鶏肉とい
たってシンプル。なにか懐かしさをおぼえるような、いわゆる和風ラーメンです。
一番のポイントは器が土鍋であること、最後まで熱いスープが味わえ、店主のもてなしの心もその
ままの熱さで伝えることのできるのは土鍋ならでは。
その土鍋の底に、お店の”顔””味””風土”が見えてきます。
そして、なぜかタクワン(古漬け)が付いてきます。これがまた絶妙で、強力な助っ人です。
因みに須崎市には『鍋焼きラーメン』を食べられる店が40軒もあるそうです。
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植物学者 牧野富太郎 博士(1862-1957)
牧野富太郎博士は、1862(文久2)年4月24日、現在の高知県高岡郡佐川町に生まれました。
土佐の豊かな自然に育まれ、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物学の研究を続けました。
22歳で上京し、黎明期の東京大学理学部植物学教室で植物分類学の研究に打ち込む機会を与えられました。
1887年に友人と「植物学雑誌」を創刊、同誌上に共著で記載したヤマトグサは日本国内での最初の新種発表となります。
94年の生涯において収集した標本は約40万枚。新種や新品種など約1,500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として
知られています。
東大講師辞任後1940年には、現在でも研究者や愛好家の必携の書である『牧野日本植物図鑑』を刊行地域の要望に応じて全国を巡り、土佐人ら
しい陽気で気さくな語りで人々を魅了、植物を知ることの大切さを一般に広く伝え、数多くの啓蒙書も残しました。
1953年に東京都名誉都民。没後、文化勲章受章。 【牧野植物園パンフより】
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この旅行中に観察した野鳥は以下のとおりです。
1.カイツブリ 2.カワウ 3.ウミウ 4.アオサギ
5.オシドリ 6.マガモ 7.ト ビ 8.オオバン
9.キジバト 10.コゲラ 11.キセキレイ 12.ハクセキレイ
13.セグロセキレイ 14.ヒヨドリ 15.モ ズ 16.カワガラス
17.ジョウビタキ 18.シロハラ 19.ツグミ 20.ウグイス
21.シジュウカラ 22.メジロ 23.アオジ 24.カワラヒワ
25.マヒワ 26.イカル 27.スズメ 28.ムクドリ
29.ハシボソガラス 30.ハシブトガラス