nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

皇居外濠の桜

2013-03-26 00:00:00 | お花見
Img_0051Img_0545  東京国立近代美術館で開催されている『フランシス
 ベーコン展』を見に行ったついでに(?)外濠周辺
 の桜見物をしてきました。
 右の画像は代官町通りの歩道橋から。






     *
Img_0547Img_0548  都心では桜の満開宣言が22日にありましたので、
 大半が散っているのではと心配していましたが、
 この二三日の気温が低かったためか、まだまだ
 充分楽しむことができました。
 左の画像は、代官町通りの『紅枝垂桜』、右は
 『御衣黄桜』です。




     *
Img_0008Img_0014  次は千鳥ヶ淵公園の桜です。ここでは時間も早か
 ったので、花見客も比較的少なくゆっくり歩くこ
 とができました。左の画像は『半蔵門』です。








     *
Img_0034Img_0041  最後は『千鳥ヶ淵』緑道ですが、ここは大変な人
 出で写真を撮るのに苦労するほどでした。
 皇居側の桜が濠の水面まで垂れ下がって咲いてい
 るので見応えがあり、ボート遊びでその下から眺
 めようとするため、ボートの発着所には長い待ち
 行列ができていました。
 



     *
Img_0019_2 この緑道には『三椏』や『石楠花』、それに『クリスマスローズ』などが植えられていました。


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夜 桜

2013-03-25 00:00:00 | お花見
 
Img_0536Img_0538  葛西用水沿いの桜が満開になりました。
 今年も地元の『桜祭り』の準備は例年どおりに企
 画されていたので、果たしてこの時期に間に合う
 のかと思っていましたが、先週の土曜日になって
 提灯が用意され、夜桜見物ができるようになりま
 した。
 ところが、この二三日は気温が低く、折角の桜も
 寒さに震えているようでした。ただそのお陰かし
 ばらくは満開を楽しむことができるようです。
 今日は小雨が降っていましたが、その画像をアッ
 プしてみました。      *
Img_0539Img_0544
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土佐早春花紀行 3

2013-03-07 00:00:00 | 旅行記
 高知での最後の日は、地元野鳥の会の探鳥地でもある高知城での早朝探鳥へと出掛ける。
 5時半過ぎではまだ暗く、旅館から10分ほどで追手門に着く頃にようやく明るくなる。
 野鳥たちの囀りが聞こえるが、樹々の茂みが暗く、種類の判別ができない。
 追手門を入ると天守閣をバックにした板垣退助の銅像が目に付く。
 その奥には初代藩主・山内一豊の馬上の像がある。
     *
Img_3318Img_3316Img_3319






     *
 広い階段を上がって行くと広場のような三の丸があり、この辺りから東の空からの光を浴びた天守閣が赤く染まり、見事な色合いを見せてくれる
 二の丸から本丸へと上がり、その裏側にある梅園に降りる。ここの梅は散り始めており,ここではシロハラやアオジが目立ち、ジョウビタキが姿
 を見せてくれる。また、梅園の奥の方では10羽ほどのイカルが盛んに囀っていた。
     *
Img_3310Img_3311Img_3314 高知城
 天守閣、追手門以下15棟の建造物が国の重要文化
 財に指定されている。
 高知城の象徴である天守閣は、高さ18.5mの3層6
 階、屋根入母屋造り本瓦葺き、山内一豊によって
 1603年(慶長8年)に築城されたが、1727年(享
 保12年)の大火で消失。
 現在の天守閣は1748年(寛延元年)に再建されたものである。    【よさこいネットより】
     *
 朝食のためホテルへ戻り、広い庭園を眺めながらバイキング・スタイルの食事を採る。
 下の左の画像 は、ホテル入口の右手にある『旧山内家下屋敷長屋』で、元治元年(1864)に山内容堂公が下屋敷を設けた際に建てたとされ、國
 の重要文化財に指定。現在は幕末資料館となっている。
     *
Img_3323Y341796222Img_3324






     *
 今日は一日高知市内見物を予定しているが,その遊覧に便利でお得な『MY遊バス』を利用することにする。
 これはMY遊バスと土佐電鉄路面電車が1日乗り放題(1.000円)で、しかも美術館や資料館などが割引で入場できるという優れもの。
 ホテルのフロントで購入すると、ガイドブックも付いてくる。早速路面電車で『はりまや橋』へ。
     *
Img_3364Img_3365Kotsu_mybus_routemap 
はりまや橋
 純信とお馬の悲しい恋物語で知られるはりまや橋
 民謡『よさこい節』に「坊さんかんざし買うを見
 た」と唄われた。
 藩政時代、土佐藩の御用商人の播磨屋宗徳と櫃屋
 道清が両家を往来するために設けた私設の仮橋が
 最初と言われる。
 現在の橋は平成10年に建てられたもの。
 歴代のはりまや橋のうち、明治41年から昭和14年
 まで架設されていた橋が、三翠園の敷地内に保存
 されていた。
     *
Img_3326Harimayabashi01Img_3327






     *
 はりまや橋で電車を乗り換え、高知駅へ。ここから『MY遊バス』に乗り継いで桂浜へと向かう。
 乗客は10人ほどで、若い女性が多い。
 バスは五台山から牧野植物園。竹林寺を経由して50分ほどで桂浜に着く。
 バス停からお土産屋の間を通り、階段を上がると前方に弓なりに広がる桂浜の景観が目に入る。
 春の陽光を一杯に浴びている海は、のたりのたりとはせず、一面鏡のごとく静かだ。
 取り敢えず右手の『龍王岬』へと砂浜を歩く。日差しが強く汗が滲む。
 砂浜から階段を上がったところに小さな龍神のお社がある。風もないので日陰が欲しくなる。
 そこから太平洋を一望する。二、三の小さな漁船が見えるだけの広々とした海を眺めるだけで、気分が壮大になる。
     *
Img_3328Img_3330_2 桂 浜
 高知県を代表する景勝地の一つ。浦戸湾口、龍頭
 [りゅうず]岬と龍王岬の間に、弓状にひろがる
 海岸で、背後に茂り合う松の緑と、海浜の五色の
 小砂利、紺碧の海が箱庭のように調和する見事な
 景勝地。
 古来より月の名所として知られ、“月の名所は桂
 浜……”と「よさこい節」にも唄われている。
 東端の龍頭岬に幕末の志士坂本龍馬の銅像が、太
 平洋の荒波に向かっている。
 海浜一帯は「桂浜公園」となっている。
     *
 一息入れて弓なりの桂浜を歩いて、竜頭岬にある坂本龍馬の銅像を目指す。
 こちらも砂浜から階段を上がったところにあるので、またも汗が流れるようになる。
 ちょうど団体客が記念写真を撮るところだったので、しばし階段の途中で待つことになる。
 懐手をして太平洋遥か遠くを望む龍馬は、何を思っているのだろうか ?
     *
Img_3332Img_3334 坂本龍馬像
 高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額
 にして2万5千円を集め建立。昭和3年5月27
 日午後2時,除幕式を行い姿を現した龍馬像。
 和服姿に懐手,ブーツ姿の龍馬は,はるか太平洋
 の彼方を見つめています。
 像の高さは 5.3m,台座を含めた総高は 13.5m。
 毎年龍馬の誕生日であり命日でもある 11月15日
 を挟み,約2カ月間,龍馬像の横に展望台を設置
 し龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができる
 という。
     *
 すっかり汗をかかされたので、桂浜名物『アイスクリン』ならぬソフトクリームで喉を潤す。
 再び『MY遊バス』に乗り,今日というか、今回の旅の主目的である『牧野植物園』ヘ向かう。
     *
 今朝通過した際にはガラガラだった駐車場が、ほぼ満杯になっているとは驚きだ。
 団体客が多いようで、ここはツアーの観光ルートになっているようだ。
 本館の受付へ行くまでの道の両側は『土佐の植物生態園』となってお、標高1,000mを超える山地から海岸までの環境を4つのゾーンに分け,多
 様な自然環境に生育する高知県の植物を紹介している。
 先ず目に付いたのは『シコクフクジュソウ』。シコクフクジュソウは,葉の裏面と果托に毛がない点でフクジュソウと区別されるという。
 四国では剣山を中心に、高知県では香美市や大豊町の山間落葉樹林にまれに生えるという。
 次いで『シコクバイカオウレン』の看板が目に付いたが、肝心の花は既に終わっている。
 次は『ユキワリイチゲ』、これは今や盛りで、白い花が凛として咲いているのが見られた。
 四国では四国山地を境に瀬戸内側には広く多く自生しているという。それに比べて太平洋側には断然少なく仁淀川水域と吉野川上流域にはあるも
 のの、四万十川上流域の狭い範囲だけ見られる程度とのこと。
 産地によって地域変異が見られ、青花のきれいな所、ピンク花の出る所、白っぽいのなどあるという。
     *
Img_3340Img_3341Img_3342






     *
 その先の本館受付で『MY遊バス』の一日券を見せると、団体割引料金で入園することができた。
 受付の脇には『シコクバイカオウレン』の鉢植えがありましたが、これも辛うじて花が付いているといった状態でした。
 やはり2月の半ば過ぎがこの花の最盛期のようです。
     *
 ここで昼時となり、ここのレストランの屋外席で日差しを避けながら『野菜カレー』を戴きました。
 レストランの入口近くには『バイカオウレン』の鉢植えがあり、これはちょうど見頃になっていました。
 シコクバイカオウレンは「花弁の舷部がコップ状で、花柱が強く反曲する」とのことですが……。
     *
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     *Img_3350
 昼食後は回廊を通って『牧野富太郎記念館』へ。
 ここは本館と展示館があり、その間には水盤を配した中庭があり、博士ゆかりの植物約150種が植
 栽されている。
 その先にある『北園』には、芝生広場や薬用植物区などがあり、高知市東部の平野や山地を一望で
 きる場所となっている。
 北側斜面には『さくら・つつじ園』があり、早咲きの桜が咲き始めていました。
     *Img_3351
 その先『南園』へ行く途中には展望台があり、遠く
 にあるサギの群棲地を見ることができましたが、殆
 どがアオサギでした。
 『カンナ&ローズ園』では、先月高崎で見た『クリ
 スマスローズ』が目立ち、斜面の所々にはクロッカスが咲き揃っていました。
 竹林寺の境内跡にあるという『南園』には、南の坊跡や『お馬路』と呼ばれる参詣道があり、これ
 らの歴史を感じさせる史跡と調和するよう造園されているという。
 ここにはチューリツプの花園に囲まれるように牧野博士の銅像が建てられていました。

     *
 この南園の地形と歴史を最大限に活かし、美しい景色と調和させた水景庭園が『50周年記念庭園』。
 サクラ類やハナショウブ、ハス,リンドウなど日本、中国、韓国の園芸植物を中心に集めており、四季を通してその魅力を堪能するようになって
 いる。
 池の中には3月の雛祭りを祝うように内裏雛が作られていました。
 また、その下の『蛇紋岩植生園』には、土佐名物の皿鉢料理ならぬ大きな『花皿鉢』が造られており、来園者の人気を集めていました。
     *
Img_3354Img_3353  最後に南園にある『温室』に入りました。
 それでなくても暖かい日差しを浴びて歩いたので汗
 が滲んでいましたが、熱帯さながらの室内では汗が
 流れるようになり、8つのトロピカルゾーンに分か
 れているという海外から集めた貴重な植物や色鮮や
 かな熱帯花木、熱帯果樹などをじっくり見物するこ
 とはできませんでした。



     *Img_3359
 ここまでで一通り園内を観察したことになり、些か疲れたので南園を見下ろすベンチで休憩するこ
 とにしました。
 そのベンチの脇にあるハルニレの大木から、野鳥の鳴声が聞こえるので双眼鏡を向けると、30羽余
 りのマヒワがしきりと新芽を漁っていました。園内では多くの野鳥が見られるのではないかと期待
 していましたが、意外と少なく肩透かしにあったようでしたが、最後にお土産ができました。
     *
牧野植物園
 「植物園を造るなら五台山がええ」
 90歳を超えた牧野博士のこの一言で歴史と景勝の地、五台山に植物園は造られたという。 
 高知が生んだ「日本の植物分類学の父」牧野富太郎博士の業績を顕彰するため、博士逝去の翌年、
 1958(昭和33)年4月に高知市の五台山に開園。
 起伏を活かした約 6haの園地には、博士ゆかりの野生植物など約3,000種類が四季を彩り、自然の中で植物に出会う喜びを感じていただけます。
 収集植物の多くは採集地が明らかで、観賞や観察の対象のみならず「生きた標本」として植物研究に重要な情報をもたらしています。
                                                  【牧野植物園パンフより】
     * 
五台山
 高知市南東部に位置し,桜やツツジの名所となっています。
 山頂には展望台があり,そこから眺める高知市街地や浦戸湾は絶景です。
     *
 温室の直ぐ脇が南門になっており、そこを出て次の『竹林寺』へと向かうことにしました。
 山門までの階段が結構きつかったが、山門の先にもう一つ階段があり、その途中から読経の声が聞こえてくる。
 階段を上がった左手にある『大師堂』で10人ほどのお遍路さんが読経中だった。
 ここは四国八十八ヶ所の第三十一番の札所になっている。
      *
Img_3357_2Img_3358_220060407141435_2






     *
 本堂で拝礼の後、県下三名園の一つといわれる名勝庭園の拝観をしました。この入園料も『MY遊バス』による割引対象になっていました。
 残念なことには庭園の改修工事中で、池の水も抜かれていたのにはがっかりでした。それと客殿の廊下の板がすっかり古くなっており、歩くのに
 気を付けなければならないほどでした。
 最後に境内にある五重塔を拝観して今回の旅を終えることにしました。
     *
200603052320584960daf48ff0e0a07d6214590f74cdae884H0000023910 竹林寺
 聖武天皇が中国五台山に似た山を行基に探させた
 もので、行基は土佐の五台山を選び神亀元年(72
 4年)本尊の文殊菩薩を刻んで堂塔を建立した。
 大同年間(806年~810年)には弘法大師も来錫。
 江戸時代には土佐藩主の帰依を受け、堂塔の規模
 は土佐随一を誇った。
 「よさこい節」で知られる僧の純信もこの寺の僧
 だったとか。
 名作庭家の夢窓国師の手になるという庭園も美し
 い。四国八十八カ所霊場31番札所。
            【竹林寺パンフより】
     *Img_3360
 『MY遊バス』で高知駅へ、そこからリムジンバスを乗り継いで『高知龍馬空港』へ。
 搭乗手続きを終えて空港内のレストランで夕食を採る。
 ここで高知は須崎市のご当地グルメ『鍋焼きラーメン』を戴く。
 スープは鶏がらのしょうゆ味で、麺は歯ごたえある細麺、具はネギ、ちくわ、生卵それに鶏肉とい
 たってシンプル。なにか懐かしさをおぼえるような、いわゆる和風ラーメンです。
 一番のポイントは器が土鍋であること、最後まで熱いスープが味わえ、店主のもてなしの心もその
 ままの熱さで伝えることのできるのは土鍋ならでは。
 その土鍋の底に、お店の”顔””味””風土”が見えてきます。
 そして、なぜかタクワン(古漬け)が付いてきます。これがまた絶妙で、強力な助っ人です。 
 因みに須崎市には『鍋焼きラーメン』を食べられる店が40軒もあるそうです。    
     *
植物学者 牧野富太郎 博士(1862-1957)
 牧野富太郎博士は、1862(文久2)年4月24日、現在の高知県高岡郡佐川町に生まれました。
 土佐の豊かな自然に育まれ、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物学の研究を続けました。
 22歳で上京し、黎明期の東京大学理学部植物学教室で植物分類学の研究に打ち込む機会を与えられました。
 1887年に友人と「植物学雑誌」を創刊、同誌上に共著で記載したヤマトグサは日本国内での最初の新種発表となります。
 94年の生涯において収集した標本は約40万枚。新種や新品種など約1,500種類以上の植物を命名し、日本植物分類学の基礎を築いた一人として
 知られています。  
 東大講師辞任後1940年には、現在でも研究者や愛好家の必携の書である『牧野日本植物図鑑』を刊行地域の要望に応じて全国を巡り、土佐人ら
 しい陽気で気さくな語りで人々を魅了、植物を知ることの大切さを一般に広く伝え、数多くの啓蒙書も残しました。
 1953年に東京都名誉都民。没後、文化勲章受章。           【牧野植物園パンフより】
      *
 この旅行中に観察した野鳥は以下のとおりです。

 1.カイツブリ     2.カワウ       3.ウミウ       4.アオサギ
 5.オシドリ      6.マガモ       7.ト ビ       8.オオバン
 9.キジバト      10.コゲラ       11.キセキレイ     12.ハクセキレイ
13.セグロセキレイ   14.ヒヨドリ      15.モ ズ       16.カワガラス
17.ジョウビタキ    18.シロハラ      19.ツグミ       20.ウグイス
21.シジュウカラ    22.メジロ       23.アオジ       24.カワラヒワ
25.マヒワ       26.イカル       27.スズメ       28.ムクドリ
29.ハシボソガラス   30.ハシブトガラス 

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土佐早春花紀行 2

2013-03-06 00:00:00 | 旅行記
 今日も天気は快晴。朝食は昨夜と同じ展望スカイレストランで。
 北は高知市街、南は高知市を流れる鏡川の河口から太平洋が望める。
 バイキングスタイルの内容は、地産地消にこだわったという、赤岡産のちりめんや県内農家で採れた野菜を含め約30品目のメニューが用意されて
 いる。小生は和食を中心に選ぶ。
     *
Img_0554_2Img_0553Img_0552





     *
 今日は、四万十川の遊覧船で沈下橋の見物と、入田ヤナギ村の『四万十川花絵巻 菜の花の巻』見物を予定している。
 高知駅で特急を待っていると、車体に〈アンパンマン〉の絵が描かれた岡山行の列車が入ってくる。
 そういえば漫画家やなせたかし氏は、ご当地高知県の出身、香美市には『アンパンマンミュージアム』と『詩とメルヘン絵本館』があるという。
     *
Img_0555Img_0556Img_0557





     * 
 高知駅のホームからは、駅前の風景が良く見える。高知の市電は各地で使用された車輛が使われているが、中には外国のものもあるという。
Img_0558Img_0560     *
 高知駅から特急で1時間40分ほどの中村駅へ行き,そこから屋形船『四万十の碧』
 の迎えの車で四万十市三里にある乗船場へ向かう。
 ここは市街地から上流12kmの地点になるという。
 早春のうららかな日差しを浴びて、豊かに流れる青色の四万十川が我々を迎えてく
 れる。
 受付には過去に来られた多くの有名人の色紙が掲げられている。
     *
四万十市 人口:35,933人 : 面積:632.42?
 高知県西南部に位置し、豊富な山林資源と日本最後の清流四万十川、南東部は太平洋に面しており自然環境に恵まれている。
 旧中村市は、今から約500年前、前関白一条教房公が応仁の乱を避けてこの地に下向し、京都を模したまちづくりを始めたことから、「土佐の小
 京都」と呼ばれている。
     * 
四万十川
 延長196km。四国一の長さを誇り、日本最後の清流として知られる。
 四国山地の不入山(いらずやま)に源を発し、四万十市内を貫流して太平洋に注ぎ込んでいる。
 上流にダムがないため水質が非常によく、四国随一の鮎漁場としても有名。
 流域には欄干がなく、増水時には水に沈む沈下橋が支流を含め47本架かり、独特の景観を作り出している。                                                                    【四万十市資料より】
     *
 船着場へ降りると、屋形船が数艘舫っている。その下流に三里沈下橋が望見できる。
 出発までの時間、船着場付近の風景を眺めていると、ウグイスの囀りがあちらこちらから聞こえてくる。
 静かだ。他の音が何も聞こえてこないので、ウグイスの声が一段と大きく聞こえる。
沈下橋
 四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のこと。
 緑の山々に青い四万十、そして沈下橋という風景は、もっとも四万十川らしい風景です。
 河口からいちばん近い沈下橋は、佐田(今成)沈下橋で、橋を渡るときの気分は爽快とのことだ。
     *
Img_0561Img_0562Img_0563






     *
 時期が悪いせいか,この時間のお客は我々2人のみの貸切り状態で出発する。
 屋形船は鏡のような川面を滑るように下って行く。船頭さんの話では、これから芽吹きの季節が一番美しい時節だと言う。
     *
Img_0162_2Img_0163Img_0164






     *
Img_0166 Img_3273  最初の沈下橋『三里沈下橋』は、全長145.8m、
 幅員3.3m。屋形船が沈下橋の下をくぐり抜ける。
 増水に備えたということで如何にも頑丈な造りだ
 船から見える景色の中に人家は見当たらず、まさ
 に深山幽谷のような感じさえする。したがって、
 人も車も通らない橋は、何となく間が抜けた感
 じさえする。   




     *
Img_3275 Img_3277  四万十川はここで大きく右に曲がると、次の『佐
 田沈下橋』が見えてくる。これが河口から遡って
 初めての沈下橋になるという。
 全長291.6m、幅員4.2mとかなり大規模な橋だ。
 屋形船はこの橋の手前で川が浅瀬になるためUタ
 ーンすることになる。




     *
Kouro_fll_2Misato03Sada03  引き返した屋形船は、左岸に近寄って遡る。その
 岸辺には咲き始めたツツジが目に入る。
 船頭さんの説明では、イワツツジと言っていたが
 どうやらこれは『エンコウツツジ』と言われてい
 るようで、別名『キシツツジ』または『カワツツ
 ジ』とも言われているようだ。
     *
エンコウツツジ
 四万十川流域では4月後半ごろになると川岸に薄紫のつつじの花がよく見られます。
 四万十町越行(えっきょう)の松葉川橋の下では、河原いっぱいにつつじの花が咲きます。
 キシツツジと呼ばれるこの花は旧窪川町ではエンコウツツジと呼ばれているようで、旧窪川町の花に指定されていました。
 ちなみに旧十和村でもカワツツジの名で旧十和村の花として指定されていました。
 その名の通り川の岸辺に群生するツツジで、古くから親しまれている日本の固有種。
 渓谷沿いの洪水時には冠水する岩場に自生することが多く、激流にも耐えられるように根を岩の隙間にしっかりと伸ばし、水流に沿うように伸び
 る枝と細長い葉を持っている。                             【四万十市資料等による】
     *
 屋形船は約50分の遊覧を終えて、元の三里の船着場に戻りました。
 ここで一息入れて、帰りは『四万十川花絵巻 菜の花の巻』を見物するために、タクシーを利用することにしました。
 タクシーは、往路とは異なる方へ走り出したので,思わず何故か尋ねると,運転手さんは、
 「この道の方が距離が短いが道幅が狭いので、利用する車が少ないのです」と言われる。
 そして直ぐに、先程屋形船で下を潜った『三里沈下橋』を渡り始める。橋桁も何も無い道幅 3.3mの橋を渡るのはスリル満点だが、馴れないと気
 持ちの良いものではない。
 慌ててカメラを持ち出したが、時既に遅く、車が渡り終わってしまったのには惜しいことをした。
 その代わりとして、運転士さんはカメラポイントで車を止めてくれる。
 『三里沈下橋』で2個所、『佐田沈下橋』で1個所、流石に地元のことに詳しい。
     *
Img_3280Img_3281Img_3282






     *
 この辺りで昼食の時間となり、四万十川で穫れる天然うなぎはどうかということになり、運転手さんの紹介する川魚料理店へ行くことになる。
 車は菜の花会場を通り過ぎた、河口に近いその名も『四万十屋』に到着。
 その2階から四万十川を眺めながら、少し甘めのタレのまったりとした味の天然物のうなぎをじっくりと味わう。
     *
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     *
 昼食後、再び先程の運転手さんの案内で、入田ヤナギ村の『四万十川花絵巻 菜の花の巻』会場へ。
 四万十川沿いにある2kmに亘るカワヤナギの林の中に、1,000万本の菜の花が咲き競うというスケールの大きな花絵巻が展開している。
 これはまたハイキングスタイルで見物しなければならない。
 とにかく全部は回りきれないので、入口付近を歩くことにする。芽吹き始めたカワヤナギの柔らかい緑が、黄色の花に溶け込むような眼に優しい
 景観にすっかり心が癒される。
 地元の方々は車を利用して周遊しているようだ。
     *
Img_3295Img_3287Img_3289






     *
Img_3294Img_3297
     *
 終日四万十川で過し、大自然に浸った満足の
 一日だった。
 中村駅からアンパンマン特急で高知へ戻り、
 今日の宿『三翠園』へ。




     *
Img_3301Img_3300Img_3299





     *
 三翠園は土佐藩主山内家下屋敷跡に建つ天然温泉旅館、昭和24年創業、四季の彩りを見せる日本庭園高知市内初湧出した天然温泉「湯殿 水哉
 閣」がある。     
 三翠園の建つ鷹匠町の一帯は、藩政時代から藩主ゆかりの地。山内家に仕える武士たちが住んでいた町筆山に萌える若葉のみどり、鏡川の清ら
 かなみどりの流れ、庭の松のみどり、三つの翠がここに調和して映える吉祥。                  【三翠園のパンフより】
     *
 9階の部屋からは、県庁などのビル越しに高さ40mほどの山に建っている高知城が見える。
 コンクリート城ではない本格派の旧城だという。 
 夜間はライトアップされていたので、それも画像に収めてみた。
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 天然温泉で汗を流し、食事処での夕食は名物『土佐皿鉢料理』を始め、土佐山海鍋、金目鯛ねぎ味噌焼き、地鶏の塩揚げなどの内容に満足。
 土佐皿鉢料理は、佐賀の一本釣り鰹のたたき(高知県西部の土佐黒潮町産鰹に天日塩を振り焼いたもの)と鮪などニ品の刺身だった。
 それに土佐の銘酒『酔鯨』で、すっかり良い気分になりました。
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土佐早春花紀行 1

2013-03-05 00:00:00 | 旅行記
 日本で最初に桜の咲くのは沖縄の寒緋桜が有名ですが、さてその次に控えしは、九州か四国かと思っていましたが,四国は土佐の高知,須崎市吾
 桑(あそう)の桑田山(そうだやま)に咲く、その名も『雪割り桜』があることを知りました。
 須崎市の情報によると,2月の中旬から3月の中旬に,濃い桃色の美しい花をつける雪割り桜。
 正式には『ツバキカンザクラ(椿寒桜)』と言うとのことですが,2月のまだ雪のある頃から咲くことから、雪割り桜と地元の人々に親しまれて
 いるという。
 桑田山の雪割り桜はシナミザクラ(支那実桜・実は食用になる)とカンザクラの交配種らしく、70年ほど前に松山市から分けてもらい台木に接ぎ
 木したと言われているという。
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 桑田山全体に1,000本近くの雪割り桜があり、今年は2月の末に見頃を迎えたとのことで,その名に魅かれて出掛けることにしました。
 また、土佐は牧野富太郎博士の出身地であり、博士がこよなく愛されたという『シコクバイカオウレン』も、群生地から『牧野植物園』に移植し
 たのを見られそうだとのことでスケジュールに組み込みました。
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須崎市(すさきし) 人口 : 23,904人、面積 : 135.46?
 高知県の中部に位置し、太平洋に面する市。
 市内を流れる新荘川にはニホンカワウソが生息している痕跡が近年まで報告されており、「須崎市ニホンカワウソ保護基金条例」を制定し市を挙 げてニホンカワウソの住める環境整備に取り組んでいるという。
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 羽田から高知へ飛び,高知からJR土讃線の普通列車で無人駅の吾桑へ。
 ホームには雪割り桜の開花状況の掲示板がありましたが,記入されておらず,何とも気掛かりでした。
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 無人の駅舎を出て右手の桑田山を望むと、中腹付近のピンクが折からの春の日差しを浴びているのが目に入り,ホッとする。
 現地まで約2kmある登り坂はとても歩く気になれず、タクシーを依頼する。
 その路もようやく平成22年に開通したとのことですが,1車線なので車の擦れ違いはできない。幸い今日は平日とて車が少なかったが,それで
 もすれ違いに度々待機させられました。
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Img_0482 Img_0509  現地に着くと,段々畑に植えられた桜はまさに満
 開。
 濃いピンクで花びらが八重なので見応えがある。
 山の斜面にあるので、立体的に見られるのも一
 段と華やかさに溢れている。





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Img_0484Img_0501  テント張りの地元の売店が売り,そこで手作りの
 桜餅や手巻き寿司を求め,見晴しの良い場所にあ
 るベンチを利用して昼食とする。
 近くにおられた方と言葉を交わすと、高知市内か
 らハイキングがてら見物に来られたとのこと。
 見物客も幼稚園の遠足以外はそれほど多くはなく,
 静かな雰囲気でじっくりとお花見をすることがで
 きました。
 気が付くとベンチの脇に『シロバナタンポポ』が
 " 私もいますよと " ひっそりと咲いていました。
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 食事をしながら花を愛でた後、しばし雪割り桜の下を歩きながら、その花の色に酔い痴れることにしました。
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Img_0508Img_0510  かくして満開の雪割り桜を充分に堪能して桑田山
 を下り、吾桑駅へと戻りました。
 この後は高知へ戻る途中、牧野博士の出身地であ
 る佐川町に立寄ることにしました。
 この佐川町には牧野博士がこよなく愛したという
 『シコクバイカオウレン』が群生する場所がある
 とのことでしたが、花の最盛期が2月半ばとのこ
 となので、まだ見ることができるかと心配でした。



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Img_0515Img_0542Img_0516 佐川町 人口 : 13?898人、 世帯数: 6?223戸、
    2013年3月1日現在
 高知県の中西部、仁淀川の支流である柳瀬川沿い
 に開けた盆地の町。
 佐川町上町地区は、江戸時代領主である深尾家
 (土佐筆頭家老)の城下町で、主に商人が居を
 構えた町でした。
 その佇まいは、現在にも受け継がれ、伝統的な商家住宅や酒蔵などが街並みを形成しています。
 平成20年度には歴史的風致維持向上計画の重点区域に認定されました。
 佐川町には、藩政時代からの伝統ある造り酒屋があります。
 高知を代表する蔵元が醸造する地酒(司牡丹)は広く全国で愛飲され、町の中央にある酒蔵は、落ちついた情緒を醸し出し、文教の町のイメージ
 を引き立てています。                  【佐川町資料による】
     *
 駅を出て直ぐ右に曲がると間もなく『佐川町鳥瞰図』があり、その先にある『酒蔵の道』の両側に伝統的な商家住宅や酒蔵などがあり、時代を遡
 った世界に入ったような気分にさせられます。
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Img_0517Img_0518Img_0524  『青山(せいざん)文庫』 は、幕末志士から宮内
 大臣となった田中光顕が収集した志士の墨書や史
 書を所蔵する。その他,領主深尾氏の具足,坂本
 龍馬の手紙,「セルボーンの博物誌」訳者西谷退
 三の蔵書などがあるとのことです。   
             【佐川町資料による】

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 上記画像の左は國重要文化財の竹村家住宅で、幕府の巡見使を迎えた高い格式の住宅。和紙張り仕上の貼り付け壁付書院の花頭窓は土佐でしか見
 られない特有の様式とのこと。
 真ん中は國登録文化財の旧竹村呉服店、現在は書家・北古味可楽のアトリエ兼ギャラリーになっている右は淡麗辛口の土佐酒を代表する銘柄、司
 牡丹酒造の建物で,江戸期から現代に至るまで様々な時期の蔵が立ち並んでおり,その歴史を伺わせている。
     *
 目的の『シコクバイカオウレン』は、その先の金峰神社の境内に見られるとのことだが、何と急な165段ある階段を登ることになる。その階段を
 少し登ると、その両側に点々と白い小さな花が目に付くようになる。ただし最盛期は過ぎたようでまともな花が中々見付からない。どうにか見付
 けた花が画像のものだ。牧野博士は生地の近くにあるこの神社の境内で花を見て,植物に興味を持ったのだろうか。
     *
Img_0527Img_0535 シコクバイカオウレン
 (四国梅花黄蓮)キンポウゲ科、オウレン属
 早春2月、湿り気のある薄暗い木陰でよく見られ
 る草丈5~15cmの多年草。四国に産するものは
 バイカオウレンの変種シコクバイカオウレンに分
 類される。花の形がウメに似ており,黄色いヒゲ
 根を出すことからこの名が付けられた。白い花び
 らに見える部分はガクが変化したもの。
           【土佐の植物図鑑より】 

    *
Img_0531Img_0536Img_0539  どうにか目的の花を見られたので、感謝の気持を
 含めて神社に拝礼して,急な階段を降りて駅へ戻
 る。
 この往復にすっかり汗を絞られる。ジャンバーは
 お荷物になってしまった。

     *
牧野富太郎博士 1862年-1957年 植物学者。
 造り酒屋の一人息子として西町に生まれ、名教館で学ぶ。
 明治14年(1881)家業の造り酒屋を処分し上京。以後植物分類学に人生を捧げる。
 明治21年(1888)「大日本植物志図編」を自費出版、同22年には日本人として初めて新種発見の植物「ヤマトグサ」を発表する。
 「-志図編」を第11集まで出版するなど貧困窮乏に耐えながら独力で「植物学の父」と呼ばれるほどの権威となった。
 博士が採集した標本は60余万点、命名発表した新種は1,000種を越える。
 町花・町木の「サカワサイシン」「稚木の桜」も博士の命名によるもの。
 佐川町名誉町民(昭和30年)。                    【佐川町資料による】
     *
Sakawasaishinl1サカワサイシン 佐川細辛、ウマノスズクサ科、属名 : カンアオイ 学名 : Asarum sakawanum
 四国の高知県を中心に徳島県、愛媛県に分布、低山の林の中に育つ多年草で大きさ・高さ5~10cm。
 花の開花時期は4~6月で、特徴花径は3~4cmくらいあり大きいが、あまり開かず花筒がくびれる。
 萼裂片の内側は暗い紫色で、縁は白ないし淡い黄色の縁取りがある葉の特徴葉は心形で分厚く、白斑模様が入るも
 のもある。 葉の表面の葉脈の上や縁には短い毛が生える。
 和名の由来は、高知県の佐川で発見されたことからきている。 発見者は牧野富太郎博士である。
                                        【みんなの花図鑑より】
     *
 第1日の予定はこれで終わり、宿泊場所の高知は『ホテル日航高知旭ロイヤル』へ。
 夕食は、地上100mの展望スカイレストランで、のんびり夜景を眺めながら土佐名物の鰹のタタキを中心に戴く。
 部厚く大きい切り身が何とも豪快だ。その他小鯛の煮付けなどと最後に茶そばで満足。
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