nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

ロシア紀行 1 - 1

2018-06-10 15:27:27 | 旅行記

平成30年5月12日(土)晴 25℃

 観光初日は晴れ渡り何よりの観光日和となりました。

 6時30分からの朝食は1階のレストランでビュッフェスタイル、具沢山で申し分なし。

   

 モスクワの午前中の観光は『赤の広場』が中心で、バスは革命広場前で下車。

 道路を挟んで劇場広場の先に、230年の歴史を重ねるというロシアが世界に誇る『ボリショイ劇場』が見えます。

 革命広場にはカール・マルクス(1818〜1883)の像が我々を見下ろしていました。

 画像の右側に見える桜は造花でした。

  

 革命広場からマネージナヤ広場へ出ると、正面に『国立歴史博物館』、その左手に小さな二つの塔がある美しい建物の

 『ヴァスクレセンスキー門』があり、此処が『赤の広場』の入り口になっています。右の画像は『兵器庫』の建物です。

  

国立歴史博物館

 赤煉瓦の壁に白い屋根が特徴的な、ロシア最大級の博物館(1875〜83年)。古代の部族時代からキエフ大公国時代、そ

 して現代に至るまでの歴史的な収蔵品の数は450万点に及ぶという。展示は13部門に分かれ、ベッサラビアの財宝(紀元

 前2千年)、挿絵入りロシア年代記集成、歴代皇帝の王冠など多種多様で、興味深い。

兵器庫

 ピョートル大帝の命により、軍の装備と兵器を収める倉庫として18世紀に建設。武器の博物館も併設されたが、内部は

 見学できない。

ピョートル大帝   

 在位1682〜1725年、18世紀初めにサンクトペテルブルグを建設しここに都を遷した皇帝。

 ヨーロッパから多くの建築家や技術者を招くなどロシア近代化のために尽力。ヨーロッパ視察旅行に自ら参加し、プロイ

 センで砲術、オランダで造船術を学ぶ。スウェーデンとの北方戦争で勝利を収めるなどロシア帝国の礎を築いた。

          *

 マネージナヤ広場側には『イベルスカヤ礼拝堂』が建っています。

 17世紀に建てられたのですが、スターリンによって破壊され、ソ連崩壊後再建されたという歴史があるとのことです。

  

スターリン

 1879〜1953年、レーニン死後、絶大な権力を振るいソ連の最高指導者に。五カ年計画を推進、第2次世界大戦でソ連を

 勝利に導くが、大粛清なども行なった。

     *

 ヴァスクレセンスキー門を潜り『赤の広場』への緩い坂道を上りながら振り返ると、順光の中に二つの可愛い塔が輝いて

 見えます。

 また左手には『カザン大聖堂』が姿を見せてきました。

  

カザン大聖堂

 カザン大聖堂は 17 世紀、軍がポーランドに勝利したことを祝すと同時に、カザンの生神女に感謝の気持ちを込めて建て

 られました。

 ナポレオンとの戦闘が続いていた頃、この小さな教会では、フランス軍の攻撃から守られるよう、祈りが捧げられました

 大聖堂はこの大変な時期を生き抜いたものの、後にソビエトに破壊されることになります。

 現在のカザン大聖堂は、1993 年に再建されたものです。

     *

 坂道を上がると『赤の広場』が前面一杯に広がって見えてきます。ここは平成17年に一度見学していますが、今日とは反対側の

 『聖ワシリー寺院』側から上がってきたので、印象が大分異なっているように見えます。

 取り敢えず広場の中程まで進んで四方を見渡すと、上ってきた右手に『国立歴史博物館』、その先に『レーニン廟』がありますが、

 先日のメーデーの際の観客席が片付けの最中で、良く見る事ができません。

 左手には『スバスカヤ塔』、そして正面に色々なタマネギが目立つ『聖ワシリー寺院』、後側には広大な『グム百貨店』と懐かしい

 景観が広がっていました。

  

 10時から『衛兵交代式』があるとのことで、『ニコリスカヤ塔』前から坂を下り、『兵器庫』前にある無名戦士の墓

 に移動しました。此処には既に多くの観客が式を待っていました。

  

 交代式が終わり、赤の広場にある『グム百貨店』に入り、しばし此処でフリータイムとなりました。

 少しばかり疲れたので、店内の休憩所で一休みしてから『聖ワシリー寺院』へと向かいました。

  

グム百貨店  ГУМ( Главный Универсальный Магазин

 グム」という名称は、ソビエト連邦時代の名称である国営百貨店( Государственный Универсальный Магазин 
  )の頭文字の略に由来する。

 民営化後は、 GUM の G を国営の G から主要、首席などの意味を持つ Glavnyj ( Главный)の G としている。

     *

 『スパスカヤ塔』から『聖ワシリー寺院』の周辺は子供たちが写生をしており、また観光客が多く群がっていて、大変な

 人出です。

  

 我がグループは、11時から院内見学。狭い院内なので人混みの中での見学となりました。 

 中央の主聖堂を、それぞれがドームを戴く8つの小聖堂が取り囲んでおり、主聖堂、8つの小聖堂のそれぞれに至聖所が

 あり、合計9つの聖堂が集まって1つの大聖堂を形成しているので中は大変狭い。

 内部のバロック様式のイコノスタシス(聖障壁)や、18世紀末に描かれた回廊の模様も美しい。

  

 狭い木製の螺旋階段を上った2階に中央広場があり、そこでアカペラの合唱団が演奏中でした。

  

 2階から外に出て駐車場へ行く途中から、順光のワシリー聖堂を改めて見てその美しさに大変感銘を受けました。

  

聖ワシリイ大聖堂  Собор Василия Блаженного 

 ロシア正教会の大聖堂。正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂Собор Покрова что на Рву

 1551年から1560年にかけて、イワン4世(雷亭)が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立した。

 ネギ坊主の鮮やかな色彩は、17世紀に施された。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われる。

 1990年にユネスコの世界遺産に登録された。

イワン4世(雷亭)

 1530〜84年、3歳でモスクワ大帝に即位し、弱冠16歳にして正式にツァーリ(皇帝)の称号を名乗る。恐怖政治を敷い

 て反対派を弾圧し、「雷帝」として恐れられた。カザン・ハーン国への勝利を記念して赤の広場に聖ワシーリー寺院を建

 立した。

    *

赤の広場 Красная площадь 

 ロシアの首都モスクワの都心部にある広場である。長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000m2

 「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前

 は本来「美しい広場」というものであった。

 広場は北西から南東に長く、南西側にはガガーリンやスターリン、片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領

 官邸城壁に接している。

 レーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館ヴァスクレセン

 スキー門南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。

 国家行事を含むモスクワの重要なイベントが行われる場所でもある。2006年からは冬期にグムがスケートリンクなどを

 開いている。

     *

 これで午前中の観光を終わり、昼食場所のレストラン『ステージ』へと向かいました。

 メニューは「ウーハー(魚)スープ」「マシュルームジュリエンヌ」「ポークエスカロープ」「アップルパイ」などでし

 た。

  

  

     *


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1 コメント

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ロシア紀行は素晴らしいです (森 正樹)
2018-08-29 18:04:03
ロシアツアーに同行させていただいた森です。大変遅くなりましたが、ロシア紀行を拝見しました。周辺情報も含め、緻密な内容に感嘆いたしました。小生も旅日記を書いていた時期がありましたが、今では根気が続きません。その意味でも、ただただ敬服の限りです。
また、偶然ですが、私たち夫婦も6月に北海道に行ってきました。仙台からフェリーで苫小牧に行き、洞爺湖から小樽経由で函館・大沼を観光、函館北斗から新幹線で帰るという、やや似たコースを辿りました。
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