nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

ロシア紀行 9

2018-06-16 16:01:53 | 旅行記

平成30年5月20日(日)雨 11℃

 起床して外を見ると、雨が降り続いています。ロシアから別れる涙雨のようです。
 
 6時半、ロシアでの最後の朝食は、特別にオムレツを依頼して頂きました。 

  今日のフライトは午後なので、午前中は市内を観光することになっています。

 とはいってもこの雨では出入りが問題、結局小生はバスの中で過ごすことに決めました。

     *

 9時30分、ホテルを後にしましたが、相変わらずの雨では窓外の景色も霞んでいます。

  

 今日はまずロシア市内の展望ができる『雀が丘』へ行きました。

 やはり霞んでいるため展望はあまりよくありませんが、それでも観光バスが次々にやってきます。

 小生はバスの中からカメラに収めましたが、全体が薄い膜を張ったようで、判然としない景色になっています。

  

 ここで平成17年8月に『北極ツアー』の際、ここへ来たことを思い出していました。その時は快晴で素晴らしい展望が見

 られました。

 多くの観光客が来ており、それを目当てのお土産屋が軒を並べていました。

 帰国後その時の写真を探し出しましたので、載せておきます。

 下図左の雀が丘からの展望で、真ん中にある白い屋根の建物は、この6月から始まる『WORLD CUP RUSSIA

 2018』の主競技場である『ルジニキ競技場』です。

 また、この展望台の反対側には、スターリン建築の一つ『モスクワ大学』が見えていましたので、これも参考までに … 

  

     *

 次にバスは『ダニロフスキー市場』へ行きました。

 ダニロフスキー市場は、モスクワ市内でも大きな部類に入る市場。屋内市場としては最大級とのことです。

 2000年代後半からすでに高級路線に転じていたが、近年さらなる進化を遂げている。

 ドーム形の屋内市場に足を踏み入れると、中央部の売り場群には色とりどりの野菜や果物が美しく並ぶ。

 中央の売り場を取り囲むように世界各国の料理を出す屋台やカフェもある。

 数年前までの市場といえば、暗く雑然とし、物騒な所も多かった。それを知る者からすれば、ダニロフスキー市場の変貌

 は革命的ですらある。モスクワの外食界がかなり多国籍化してきたことをも象徴している。

  

     *

  そしてツアー最後の観光は『コローメンスコエ』。

 相変わらず降り続ける雨の中でも観光客が多く、色とりどりの傘の列が続いていました。

      

コローメンスコエ КоломенскоеKolomenskoye

 15〜17世紀、モスクワ大公や皇帝が宮殿を構えた場所で、現在は広大な公園博物館。

 モスクワ川右岸に位置し、イタリアの建築家の手による白亜のヴォズネセーニエ教会(1532年)、カザン生母教会

 (1650年)ピョートル大帝の小屋(1702年)などが点在する。

 1925年にコローメンスコエには野外文化財博物館が設置され、歴史的建築物が保護された。

 1994年コローメンスコエの主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)は、ユネスコの世界遺産に登録された。

  

ヴォズネセーニエ教会

 1532年にヴァシリー3世が後のイワン雷帝の誕生を祝して建設した教会で、コローメンスコエで現存する建築の中で最も

 古く、ロシア正教会の聖堂の最初期の例の一つとなっている。

 玉ねぎの形をした屋根(クーポラ)を特徴的とするロシア正教会の聖堂建築だが、この教会は八角形の屋根(八角尖塔)

 となっている。

カザン聖母教会

 白い外観に、青い玉葱型のドーム、その上にある金色の十字架が映えて素敵な教会です。

 ツァーリのアレクセイ・ミハイロヴィチの家族の礼拝堂とあり、内部は小さく、写真撮影は不可でした。

     *

 これで観光の全てが終わり、昼食のためレストラン『ボリソフスキー』へと向かいました。

 ここでのメニューは「シチー」、「チキンフィレ」。

   

【 シチー 】

 シチーまたはシーは、代表的なロシア料理で、キャベツをベースとした野菜スープ。ロシア料理にはなくてはならない味

 であり、「実の父よりもシチーは飽きることがない」、「善人はシチーから逃げない」などロシアの諺にも使われている

 とのことです。 

     *

 デザートは「ケーキ」他でした。

 

     *

 相変わらず降り続く雨の中『ドモジェドボ空港』に着きました。

 搭乗手続を済ましてセキュリティチェックの前で、モスクワでのガイドをして頂いたRさんとお別れしました。大きな身

 体でしたが、結構敏捷に動き回り、我々の面倒をよく見てくれました。感謝 !  

 早めに空港に着いたので若干余裕があり、ラウンジでゆっくりと過ごすことになりました。

     *

 5時過ぎに離陸して、ベルトのサインが消えると、夕食の時間となりました。

 帰りも『和食』を注文、始めに「豚肉とキャベツの辛味噌和え」「鯛けんちん」「筍とアスパラガス、木の芽味噌」

 「鶏甲州煮」「五目玉子、博多チーズ焼き、鰊甘露煮、海老艶煮、鴨ロース、彩湯葉巻き」の重箱と「台の物」として

 「牛時雨煮、鰆西京焼き」が出されました。

  

 で日本のビールを飲みながら、ゆっくりと料理を味わいました。久し振りの本格的な日本料理に大満足。

 「炊きたてのご飯」は、新潟県南魚沼郡産の「コシヒカリ」、味噌汁と香の物が懐かしい味。

 最後に『甘味』として「オレンジとヨーグルトのケーキ」、それに「緑茶」が最後を締めてくれました。

  

 上記右の画像は、この時のフライトの位置を表す画面でした。

     *

 お腹が一杯になると、日頃の睡眠不足のためか眠気を催し、寝ることにしました。

     *

 6.30. 朝食(ビュッフェスタイル) … 9.30. ホテル發(バス)→ 9.50. 雀が丘 10.00. → 10.15. ダニロフスキー市場 

 10.35. → 10.50. コロメンスコエ 11.25. → 11.40. レストラン・ボリソフスキー(昼食)12.40. → 13.30. ドモジェドボ空港 …

 14.40. ラウンジ 16.30. … 17.15. J A L 0422便 → 

 

 平成30年5月21日(月)曇

 6時過ぎに目が覚め、軽い食事として、J AL特製の『九州じゃんがら』ヘルシーラーメンを注文する。
 
 このラーメンは、肉類を使用しない、旨味のあるとんこつ風味のヘルシーラーメンとのこと、なるほど思っていたよりあ
 
 っさりとした味なので、喉越しも良く美味しくいただきました。

     * 
 
 成田空港には、予定時間より大分早く着陸しました。

 荷物を受け取り、同行の皆さんとお世話になった添乗員にお別れの挨拶をして我が家へと向かいました。

 かくして人生最後の海外旅行としたロシア行きは、恙なく終えることができました。

 8.00. 東京(成田空港)着

     *

 帰国後ロシアでの情報の中で、気が付いたことは日本の議会で審議中の『カジノ法案』でした。ロシアでは以前はカジノ

 が可能でしたが、プーチン大統領になって一切禁止になり、カジノは総て廃止されたとのこと、またタバコの喫煙問題で

 もロシアでは飲食店など屋内での喫煙は一切禁止されています。

 日本でも2020年のオリンピックが間近に迫っていますが、一部の選良の方々の時代遅れの考え方が世界から大分遅れて

 おり、何か情けなくなりました。

【参考資料】
  
 ・エルミタージュ 建物とコレクションの歴史  ………  国立エルミタージュ美術館

 ・ロシア モスクワとサンクトペテルブルグ     ………  るるぶ情報誌

 ・ロシア/バルト三国                                   ………  クラブツーリズム(株)
 
 ・ゆったり巡る美しき大国ロシア11日間        ………  クラブツーリズム 増山 徹

   ・WIKIPEDIA
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ロシア紀行 8- 2

2018-06-15 10:54:52 | 旅行記

平成30年5月19日(土)雨

 雨はなかなか止まず、バスが駐車場に着いてから『クレムリン』の入場口にある『トロイツカヤ塔』付近までは強い雨風

 に悩まされました。

クレムリン

 クレムリンは「城塞」を意味する言葉で、モスクワに建設されたのは、12世紀、ユーリー・ドルゴルーキーの時代とされ

 る。 

 その後、モスクワは公国の首都となり、15世紀、タタールの支配を脱し、全ロシア統一の中心地となった。

 サンクトペルブルグへの遷都後も、皇帝の戴冠式が行われるなど、第2の首都として機能、ロシア革命後再び首都に返り

 咲いた。

 クレムリンはその長い歴史を物語る、生きた博物館ともいえる。 

     *

 クレムリンの城壁の長さは2,235m、総面積は28万㎡に及ぶ。内部には、サボールナヤ広場を中心に、皇帝の戴冠式が行

 われたウスペンスキー大聖堂、皇帝廟のあるあるハンゲリスキー大聖堂など、金色の円屋根をいただくロシア正教の寺院が立

 ち並ぶ。

 また帝政ロシア時代の宝物を展示する武器庫、世界最大の鐘「鐘の皇帝」、革命後に建設されたクレムリン大会宮殿

 ど、見どころも多い。 

                 

 クタフィア塔』から入場し『トロイツカヤ塔』を経て、最初に『ウスペンスキー寺院』に入場する。

 場内は撮影禁止となっており、入口左手に寺院内の案内パンフレットが置いてあり、英・仏・西・露・独・韓・中各国語

 のものはありましたが、何故か日本語のものはありません。ガイドは英語版を渡してくれました。         

 (何処の観光地も同じでした)

  

ウスペンスキー寺院 Успенский Собор

 ロシア正教の府主教会として、歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われた。

 1474年、ウラジミールの大聖堂を模し建物が建立直後に地震で崩壊したため、イワン大帝は、先進国イタリアの名建築

 家 A・フィオラヴァンティを招き、最新の技術を取り入れて再建した。 

 内壁は、聖人のフレスコ画で埋め尽くされており、圧巻だ。

     *

 次は『武器庫』に入場、こちらは建物内は一切の撮影が禁止されています。

 最初は『ダイヤモンド庫』に入場しますが、ここではガイドの案内も禁止で、私語も禁止なので、事前に添乗員から資料

 を渡されていました。

 ゲートを抜け、階段を上がった左側に入りますが、当然ですがセキュリティが大変厳しくなっています。

 中は2部屋になっており、入口と出口は別々になっています。

 最初の部屋に入って右側の展示室には、ダイヤモンドの原石があり、原石からカットされ、宝石になるまでの過程が展示

 されています。また、壁にはダイヤ粒でできたロシアの地図があり、モスクワはピンクのルビーで表示されていました。

 部屋の中央のケースには、変わった形の金塊で、すべて自然にできたものがあります。入口側の中央の位置にある金は、

 重さ25gの金塊で、悪魔「メフィスト」と呼ばれる。これが本当に自然に作られたものなのか、あるいは人工的に造られ

 たものなのか、念入りに調査された。

 ここで第2室の狭い入口から入ると、ロマノフ王朝の至宝が並ぶ一番の見所で、中心にはエカテリーナ2世の戴冠式で使

 われた2kgの王冠伝説のダイヤモンド「オルローフ」が嵌められている王笏(約190ct)、200ctのサファイヤのつい

 た権標、王冠を飾る赤い尖晶石、この3つはロシア国旗の赤・白・青を表している。

     *  

オルローフ

 エカテリーナ2世の愛人の名前。このダイヤは、ムガール帝国で発見され、王子がその所有者であったと伝えられている

 その後フランス兵士に盗掘され、イギリス人が購入、そしてユダヤ人宝石商の手に渡った後、オルローフが購入した。

 オルローフは離れてしまったエカテリーナ2世の愛を取り戻そうと、このダイヤをプレゼントするが、彼女の心が戻る事

 はなかった。

 オルローフはエカテリーナ2世の死後、発狂して亡くなったという。

     *

 再び元の部屋に戻ると、左側の展示は巨大なサファイヤを使った、ブリリアントの首飾り、巨大な四角いコロンビアのエ

 メラルド、トパーズなどの装飾品が展示されていました。 

     *

 ここの出口にお客が集まると扉が開き、階段を上がると『武器庫(宝物庫)』があります。ここでも写真撮影は禁止にな

 っています。

宝物庫の武器庫

 歴代の皇帝が収集した王冠、宝石など宝物の数々を展示する博物館で、中でも1682年まで戴冠式で使われたモノマフの

 王冠エカテリーナ2世の黄金の馬車、20世紀初頭の精巧なオルゴール「ファベルジェの卵」などは必見です。

 17世紀、ここでは武器製造職人や浮彫工、聖像画家などが働き、18世紀から財宝が保管されるようになったとのことで

 した。

     *

 外へ出るとサポールナヤ広場に面して『イワン雷帝の鐘楼』や『十二使徒教会』があります。

  

イワン雷帝の鐘楼

 16世紀初めに建立された八角形の優美な鐘楼で、1600年ボリス・ゴドノフの命により増築され、17〜19世紀、モスクワ

 で最も高い建築物(81m)となった。16世紀前半、北側に教会が増築され、次いで鐘楼に改築されている。鐘は全部で

 24個あり、最大の鐘ウスベンスキーは64tもの重量があるという。 

十二使徒教会 

 17世紀、ロシア正教の儀式を本来のあり方に改めた「宗教改革」で知られる総主教ニコンが、総主教宮殿の隣に建てた教

 会。

 ロシア伝統様式を用いた建築は、ニコンが新しいスタイルを拒絶したことを示しているという。内部には、有名なイコン

 画家、シモン・ウシャコフの作品など、17〜18世紀のイコンが飾られている。

     *

 次いで『パトリアルシー(総主教)宮殿』と『アルハンゲリスキー大聖堂』。

  

パトリアルシー(総主教)宮殿

 ニコン総主教の時代に建築(1652〜56年)された総主教の宮殿で、現在は17世紀の美術工芸博物館となっている。

アルハンゲリスキー大聖堂

 1506年、イワン大帝の死を目前に、大聖堂兼皇帝廟として、サボールナヤ広場に建設が開始された。

 ヴェネツィアの建築家A・フリャージンが手がけ、伝統的なロシア建築とルネッサンス様式を巧みに融合させている。

 ドミトリー・ドンスコイ、イワン雷帝、ピョートル2世など、皇帝とその家族54名がここに眠る。

       *

 さらに『ブラゴヴェシェンスキー大聖堂』と『十二使徒教会』。

  

ブラゴヴェシェンスキー大聖堂

 イワン雷帝の命により、ロシア人建築家が建設(1484〜89年)し、16世紀半ばの火災の後、イワン雷帝が修復した皇帝

 の私的な寺院。4度目の結婚により、教会での礼拝に参加する権利を失った雷帝のため、専用の階段付き玄関が設置され

 たという。

 200人以上の人物を描いた壁面や、ド・グレク、A・ルブリョフなど著名なイコン画家の作品も見逃せない。

     *

 一通りの観光を終え、帰りの出口へ向かう途中、彩り鮮やかな植木に眼を休ませることができました。

  

  

 その先には『鐘の皇帝』があり、右手には広々とした空間の向こうに『大統領府』がありました。

  

鐘の皇帝

 イワン雷帝の鐘楼横にある重さ200tの世界最大の鐘で高さ約6m。1735年に本体の製作が終了、レリーフの彫刻が始ま

 るが、1737年のクレムリンの火災の際に消火用水に冷やされて、亀裂が入り、一部が欠けてしまった。そのかけらだけ

 で11tある。

大統領府

 内部はおろか、近づくこともできないので外観を見学。

     *

  さらに大砲の皇帝』と小型の大砲が並べてあり、眼を楽しませてくれました

  

大砲の皇帝

 十二使徒教会の横にある、1586年に鋳造された大砲で、口径89cm、重さ40tと当時世界最大を誇ったが、実際に使用

 された事はない。地面に置いてある弾は装飾用のもの。

     *  

 これで『クレムリン』の観光を終え、再び『トロイツカヤ塔』から外へ出ました。

  

     *

 バスは夕食のためレストラン『キテジ グラッド』へ向かいました。

 夕食のメニューは「オリヴァーサラダ」、「マッシュルームクリームスープ」

  

 メインは「魚料理」、デザートは「ナポレオンケーキ」でした。

  

【ナポレオンケーキ】

 初めはミルフィーユ(フランス語で“千の層”という意)と呼ばれていたこのケーキが、ロシアに伝えられたのは19世紀初期

 1812年のナポレオン・ボナパルド率いるフランス軍への勝利の後、お祝いの際に広く作られました。

 200年後には多くのロシア人が伝統料理であると考えたほど、このケーキはロシア人の間で非常に気に入られました。

 ナポレオンケーキの人気が続く理由は材料のシンプルさにあり、牛乳、バター、砂糖、卵などだけで、特別なものは本当

 に何もいらない。

     * 

 夕食を終えて外へ出ると、またまた雨が降っていました。

 ホテルへ帰る途中の街中では、道路を跨いで飾りがありましたが、それも雨に濡れてキラキラしていました。

  

 明日は日本への帰国です。11日間のツアーも終わってみればアッという間の出来事でしたが、今回は大変内容の濃い、ボ

 リュームの多いツアーになりました。帰国してからの整理が大変ですが、それも旅の醍醐味の1つとして楽しむことにし

 ます。

     *

 6.30. 朝食 … 9.00. ホテル発(バス)→ 9.45. ロシアンプレゼンツ(土産店)10.20. → 10.40. 救世主キリスト大聖堂

 11.00. 展望台 11.20. → 12.20. レストラン・カフェ プーシキン(昼食)13.20. → 13.30. クレムリン … 13.50. ウスペンスキー大聖堂 …

 14.20. 武器庫 … 14.30. ダイヤモンド庫 … 15.00. 武器庫(宝物庫)… 鐘の皇帝 … 大砲の皇帝 … 16.50. クレムリン発 (バス)→

 17.00. レストラン・キテジ グラッド(夕食)18.00. → 18.20. ホテル着 マリオット・グランド 泊

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ロシア紀行 8- 1

2018-06-15 10:26:36 | 旅行記

平成30年5月19日(土)曇時々雨 17℃

 起床してカーテンを開けると雨。ツアー終盤になって天候が悪くなっている。

 最初に泊まったホテルなので、ビュッフェスタイルの朝食も要領よく食べることができました。

 依然として降っている雨の中、9時に出発。

     *

 今日最初の観光は、チャイコフスキーが「白鳥の湖」のインスピレーションが浮かんだという『ノヴォデヴィッチ修道

 院』の池から、修道院を眺めることになりました。幸いにも雨は止んだようで、傘を差すこともなく池から修道院を見る

 ことができました。

  

ノヴォデビッチ修道院 Novodevichy Convent

  ツァーリ ヴァシーリー3世によって1524年建てられました。

  ゴーゴリチェーホフなどロシアを代表する作家の他、フルシチョフなどソ連時代の指導者など多くの著名人の墓地が

 ある修道院。

  多くの歴史的事件の舞台でもあり、16世紀にはタタール軍に対する要塞となり、17世紀にはここでボリス・ゴドノフ

 皇帝に選出された。19世紀、祖国戦争の際にはナポレオンの爆破命令を尼僧たちが阻止したというエピソードも。

  敷地内には美しい池があり、ここで泳ぐ白鳥を見てチャイコフスキーが『白鳥の湖』を作曲したといわれている。

  2004年にはユネスコの世界遺産に登録されたノヴォデヴィチ女子修道院ですが、中には教会や博物館があり、色鮮やか

 な建物が並んでいます。                                           【るるぶロシア

     *
 何とその池にはマガモの他、珍しい【アカツクシガモ】が近くで遊泳中でした。ガイド中のRさんには申し訳なかった
 
 が、こればかりは滅多に見られないカモなので、しばしの間カメラで追っていました。

 「こいつは朝から縁起が良いわい」と妻と観察を続けました。詳細は別途『アカツクシガモ』の項でご覧ください。

    

    

     *

 次はお土産屋(ロシアンプレゼンツ)への案内があり、支払いは現地通貨の他、€ 、$でもOKとのこと。

 品物は一応揃っているとのことでここで買い求めることに。過去のツアーで残してきた €.と$. をここで総て費うことに

 する。

     *

 雨は時折強く降っており、次の観光地『救世主キリスト大聖堂』に着いたときにも降り続いていました。

救世主キリスト大聖堂 《Khram Khrista Spasitelya/Храм Христа Спасителя》

 モスクワ川岸に立つ白亜のロシア正教会の大聖堂。19世紀末、ナポレオン1世のロシア遠征に対する防衛戦に勝利したこ
 
 とを記念して建造。

 1931年、この土地にソビエト宮殿を建設するためスターリンにより破壊されるが、大聖堂跡地から地下水が吹き出し、
 
 宮殿建設は頓挫することに。人々はこの地下水をキリストの涙と噂したという。

 その後、ソ連時代には巨大なプールが造られ、冬でも泳げる温水プールとして機能したが、1990年代、旧ソ連崩壊後
 
 に、細部まで忠実な形で19世紀の大聖堂が再建された。高さは破壊前と同じく103m。世界中の正教会の中で最も大きい
 
 ことで知られる。
   
     *
 大聖堂は中でのガイドの説明ができないので、事前に簡単な説明があってから入場する。中では私語、写真撮影が禁止さ
 
 れている。
 
 大聖堂内での見学を終えると、特別な計らいで大聖堂の屋上にある展望台からモスクワ市内を眺めることになりました。
 
 生憎と雨が降り続いており、全体に薄い靄がかかったような状態なので、遠くははっきりとは見えない。
 
 しかしながら、北側の展望台からは、モスクワ川畔に立つクレムリンを見下ろすことができたことが何よりでした。 

  

 展望台へは途中までエレベーターを利用しましたが、最上階からは階段を利用して上り下りを繰返すことになりました。

 最初に西側の展望台に出ました。ここからはスターリン建築といわれる外務省が頭だけ出して見えていました。
  
  

 北側の展望台からはモスクワ川畔に立つ『クレムリン』がよく見えていました。

  

 東側の展望台からは、ロシアの有名チョコレートメーカーの元工場をリノベーションした煉瓦の建物が見える。

 右の画像には『ピョートル大帝の記念碑』が見えています。

  

ピョートル大帝の記念碑
   
 このモニュメントはモスクワが都市として機能を持ってから850年を記念して建てられ、頭までが98mあります。

 ピョートル大帝は、ロシアを17世紀後半から18世紀前半まで統治し、ロシア最初の皇帝ともなった人物です。
     
     *
 救世主キリスト大聖堂での観光を終え、バスは昼食場所の『カフェ・プーシキン』へと向かいました。

 その途中『ピョートル大帝』の銅像がより近く見え、また遠くモスクワ市内の展望所と言われる『雀が丘』とスターリン
 
 建築の1つモスクワ大学』が見えていました。

  

 カフェ・プーシキン』での昼食は、グリーンサラダとして「アスパラガスと枝豆」。

   

 メインは「サーモングリル・ハーブとレモンマンゴーとパイナップル添え」、デザートは「蜂蜜ケーキ」で、これは甘み
 
 が強かったようです。
 

   
 
カフェ・プーシキン cafe-pushkin

 ロシアで有名な詩人 プーシキン生誕200年を記念して1999年にオープン。

 フランスの歌手、ジルベール・ベコーの歌「ナタリー」に出てくる架空の店「カフェ・プーシキン」をイメージして後追

 いで作ったお店です。内装はとことんまでこだわっていて、一階は薬局、二階は図書館スタイルで19世紀のロシアをレト
 ロに再現。

 コートクロークの預け札や古いロシア新聞を模して作られたメニュー、トイレの細部にまでそのこだわりが伺えます。

 まだ現役の古いエレベーターはまるで映画の中から出てきたようです。一階は少しカジュアル、二階は予約制で少し高級
 
 なメニューになっています。どちらもその雰囲気に浸るだけでも特別な時間を過ごせます。
 
 もちろん お料理のクオリティも高く、多国籍にアレンジされたロシア料理など、バラエティー豊かです。
 
     *
 午後は『クレムリン』の観光へ出発しました。
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ロシア紀行 7

2018-06-15 09:46:00 | 旅行記

平成30年5月18日(金)晴後雨 26℃

 5時半起床、窓を開けると間もなく日の出のようだ。久し振りに見るご来光。

 朝食までの間にホテル近くの散歩に出かける。澄んだ空気が清々しい。

  

 部屋の窓から見えるスズタリの街の様子、今日も天気は良さそうだ。

  

 こちらではタンポポの群落が多い。

  

 朝食はレストランで、セットメニューは今回初めてのことだ。大きめの卵焼きが美味しかった。

  

  9時、ホテル出発。今日は現地ガイドとしてアレキサンダー氏が同乗する。

 長閑な田園都市といった感じのスズタリの観光は、爽やかな青空が一層雰囲気を盛り上げてくれる。

 バスは10分ほど走って、最初に『木造建築博物館』を外観のみ見物することになる。

   

木造建築博物館

 プレオブランジェンスキー教会をはじめ、18〜19世紀に造られた風車、住居などの木造建築と、農民の生活に使われた

 道具類が集められ、1つの村を再現したオープンミュージアム。民族衣装の人もいて、ロシア民謡の世界のような、温か

 みのある空間が広がっている。

     *

 バスはその先の『イリンスキーの野 展望台』でストップ。スズタリの街が一望できる丘から、原野の向こうに見える教会

 や修道院などの景観を楽しみました。

 下左の画像は、『クレムリン』の中心的存在『聖母生誕大聖堂』です。

  

クレムリン Кремль 

 なにもモスクワのクレムリンだけがそうではありません!クレムリンとは中世ロシアの都市が防御のために置いていた

 塞のことなので、ロシア各地にクレムリンは点在しています。という訳で、スズタリにもクレムリンがありました。

 11世紀、三方をカメンカ川が囲む天然の要害にクレムリンが築かれ、その土塁が今も残る。内部の建物では、5つの丸

 屋根に金色の星を散りばめた『聖母生誕大聖堂』(1222〜25年建立)が際立つ。堂内の黒染の銅に黄金で絵付けした黄金

 の門は芸術的な価値も高いという。

     *

 まるでお伽の国のような別世界を見ているような感じでした。

  

  

     *

 バスは少しづつ移動して、市庁舎前の赤の広場、レーニン像の前に到着しました。ここでもしばし写真ストップでした。

  

 サンクトペテルブルグでもありましたが、ここでもレーニン像がありました。

 さらに10分ほどバスに乗り、12の塔と城壁に守られた、砦のような修道院『スパソ・エフフィミエフ修道院』に着きま

 した。

スパソ・エフフィミエフ修道院

 1352年、街の北側にあるカメンカ河畔の高台に建設された修道院。タタールとの攻防の舞台にもなったという。

 周りを囲む塀の高さは平均8m、長さは1,160mにも及ぶとか。

 美しい内壁画のスパソ・プレオブラジェンスキー聖堂なども名高い。院内奥深くには、かっての牢獄もあるという。    

  

  

 城壁の外側にある展望台からは、カメンカ川を隔てて『クレムリン』を眺めることができました。

  

 どっしりした構えの『ヴラゴヴェシェンスキー門上教会』の門を潜り、10時5分からの『ベルコンサート』を聞くことに

 なりました。 

  

 門を潜ると、左手に『スパソ・エフフィミエフ修道院』と、その先に鐘の演奏をする『鐘楼』が見えてきました。

  

 鐘楼には大小様々の鐘が並び、それを巧みに操って5分ほどの演奏を聞かせてくれました。

 日差しを避けて木陰で聞く鐘の音は優しく響き、心を癒してくれました。

  

 スパソ・エフフィミエフ修道院』は、7つのドームを冠し、内部は17世紀に描かれたフレスコ画が鮮やかに残ってます

  

 スパソ・エフフィミエフ修道院見学の後、赤の広場にある『リゾポロジェンスキー修道院』の前を通って、『クレムリ

 ン』へ向かいました

  

リゾポロジェンスキー修道院

 小じんまりとした白壁の美しい聖堂(16世紀)、スズタリ建築の傑作と言われる聖なる門(1688年)、そして高さ72

 mの鐘楼で知られる1207年創設の女性修道院。通りを隔てた向かいの赤の広場に、レーニン像が対峙しています。

     * 

 これでスズタリの観光を終え、次の目的地『ウラジミール』へと向かいました。

   

ウラジーミル Владимир  人口 : 約360千人 

 ヴラジーミル州の州都で、ヴォルガ川の支流クリャージマ川の河畔にあります。

 1108年、ウラジミール・モノマフ公がクリャジマ河畔の小高い丘に要塞を造り、自分の名を与えたのが始まりだという

 12世紀半ばにウラジミール・スズタリ公園の首都になり、優美な姿のウスペンスキー大聖堂が建設された。

 その後周辺公園を束ねる大公国となり黄金期を迎える。

 1299年に衰退したキエフに代わりロシア正教の府主教座となるが、領内の諸公の争いにより弱体化、14世紀にモスクワ

 大公國の支配下になる。その波乱に富んだ歴史を見守ってきた歴史的建造物は、世界遺産に登録されています。 

     *

 ウラジールでは先ず昼食のため、レストラン『アダムとイヴ』に入りました。

  

 乾いた喉に先ずビール、そして前菜は「オリヴィエサラダ」。

  

【オリヴィエサラダ】

 ロシアではお正月にサラダがよく食べられとか。オリヴィエ・サラダまたはサラート・オリヴィエ(Сала́т Оливье́)と

 呼ばれる、ジャガイモやピクルスをマヨネーズで和えたサラダでした。

 メインは「魚料理」、デザートは「アイスクリーム」。

  

 午後の観光は、バスで10分ほどのところにある『黄金の門』から始まりました。

 ウラジミールでもトロリーバスが市民の足となっていました。

   

黄金の門

 12世紀に首都を防衛するため築かれた門で、当時は高さ9mの土塁が左右に続いていたとのこと。 

 現在は軍事博物館になっている。1238年のタタールとの戦いのジオラマ、鎧、弓などの古い武具を展示し、宇宙飛行士

 など現代の英雄のコーナーもあるという。

     *

 ウスペンスキー大聖堂へは『プーシキン公園』の緩い傾斜の坂道を上がったところにあります。

   

ウスペンスキー大聖堂

 12世紀後半、石灰岩を用いて建設されたウラジミールを代表する優美な建築。後年モスクワの同名の大聖堂建立に際し、

 手本になったという。

 大聖堂の広場には街を見下ろす展望台があり、クリャジマ川を隔てたウラジミールの森林の展望が開けています。

  

 また、天才イコン画家と言われるアンドレイ・ルブリョフの像がありました。

  

 ウスペンスキー大聖堂と同じ敷地内にある『聖ドミトリエフスキー聖堂』は、聖書や神話の世界を描いた外壁のレリーフ

 が素晴らしい。

 これで今日の観光は終わり、モスクワへ特急列車で戻るため、バスで『ウラジミール駅』へ行きました。

  

 駅構内は広いのですが、座る場所が少なく改札から少し離れた場所で待つことにしました。

 発車時間近くになり改札を済ましてホームへ出ると、思ったより多くのお客が待っていました。

 ロシアの列車に乗るのは初めて、スマートな赤い車に乗込むと、意外と座席の幅が狭く大柄な人が多い國なのに、と首を

 傾げることに…。

     *

 それでも窓外の走りゆく景色を楽しんでいましたが、モスクワに近づくに従って雲が多くなり、雨が降りて出してきまし

 た。

 最初は小雨程度でしたが、途中からは本降りとなり、流れ落ちる水滴に景色を眺めることができなくなりました。

 それもモスクワ・ヤロスラブリ駅に着く頃には小止みとなりました。

 列車を降りると構内は大変な混雑で、長い構内を歩いて漸く駅の外へ出ました。ここで現地ガイドのRさんが出迎えてく

 れました。

   

 ここでバスを待っていたのですが、道路が大渋滞で、予定より大分遅れて到着しました。

 今日の夕食場所である日本食レストラン『一番星』へ向かったのですが、またまた強い俄雨がありました。

 バスが信号で止まった際に外を見ますと、『ユニクロ』のビルの前で強い雨が落ちていました。

  

 雨も一時のことで、その先では止んでおり、たまたま市内電車がいる場面にも出合いました。

 目的の『いちばんぼし』の店は、市内に4店舗を展開する本格和食店とのことで、我々が到着した時には、店内はほぼ満

 席でした。

  

 今日のメニューは、前菜として「枝豆、オムレツ、豆腐、海老、唐揚げ」が出て、次に刺身は「マグロ、サーモン、カワ

 カマス」と久し振りに日本の味に会うことになりました。飲み物は日本酒ならぬ、ウォッカを楽しみました。

  

 次いで「天麩羅」は、海老、人参、パプリカの三品、ここで「味噌汁」が出てきたのには少々びっくり。

  

 メインは「唐揚げ」と、続いて「ちらし鮨」で、マグロ、サーモン、海老、パーチ、胡瓜 のまずまずの品を味わいました

  

 ここに「漬物」もあり、締めくくりに「緑茶」を頂いて満足の夕食となりました。

     *

 モスクワ市内の大渋滞でレストランに着くのが遅くなり、食事が終わったのは8時30分を回っていました。

 こちらでは、この時間でもまだ少し明るく、再び初日に泊まったマリオット・グランドホテルに到着しました。

   

     *

 7.30. 朝食 … 9.00.ホテル発(バス)→ 9.10. 木造建築博物館 9.20. → 9.25. イリンスキーの野(展望台)9.35.  →

 市庁舎 赤の広場 レーニン像前 9.45. →  9.50. スパソ・エフフィミエフ修道院 10.40. → 10.45. クレムリン 11.45. →
 
 12.15. レストラン・アダムとイヴ(昼食)13.15. → 13.25. 黄金の門 13.35. → 13.40. 聖堂広場 … プーシキン公園 …
 
 展望台 13.40. … 13.50. ウスペンスキー寺院 14.00. … 14.10. ドミトリー寺院 14.30. → 14.45. ウラジミール駅 15.40.
 
 (特急列車) → 17.30. モスクワ・ヤロスラブリ駅着 18.10.(バス)→ 19.10. レストラン・一番星(夕食)20.30. →
 
 21.10. モスクワ マリオット・グランドホテル着 362号室 
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ロシア紀行 6

2018-06-14 21:45:48 | 旅行記

平成30年5月17日(木)晴時々曇 19℃

 サンクトペテルブルグでの最後の朝は、モスクワへのフライトの関係で3時半に起床、流石に外はまだ暗い。

 身支度をして、昨日の夜に用意されていたお弁当を食べることにしましたが、まだ食欲もなくジュース、ヨーグルト、ク

 ッキーなどを口に入れました。

 出発は5時45分、昨日の雨も上がり今朝は青空が広がっています。

     *

 早朝なので流石に車の渋滞はなく、スムースにプルコーボ空港に着きました。

 建物入り口に1回目のセキュリティチェックがあり、搭乗続きが済んで搭乗券を受け取ると、2回目のセキュリティチェ

 ックがある。

 ここではベルトコンベアー方式のゲートがあり、右を向いた状態でベルトコンベアに乗り、止まったら降りる方式で、こ

 れは初めての経験でした。

      *

 8時20分、ほぼ満席のフライトではサンドイッチのサービスがあり、遅めの朝食となりました。飲み物はコーヒーか紅

 茶のみで、1時間半ほどのフライトですので、ゆっくり食べるわけにはいきませんでした。

     *

 2度目のモスクワはドモジェドボ空港、相変わらずの混雑で、バスに乗るまでに1時間ほどの時間がかかりました。

 ガイドは先日と同じリューバさん、目的のセルギエフ・ポサードまではモスクワ市内の渋滞が酷く、途中休憩はなく2時

 間半かかってレストラン・トラペッツナヤに到着しました。

セルギエフ・ポサート Се́ргиев Поса́д

   モスクワの北北東70km、トロイツェ・セルギエフ(聖セルギー三位一体)大修道院を中心とした街。

 若き日の聖セルギーが1345年後に修道院となる僧院を立てたのが始まり。彼はタタールとのクリコヴォの戦い(1380

 年)で、精神的な指導者としてロシアを勝利に導き、やがて修道院はロシアの文化的中心に。

 皇帝もしばしば訪れ、若き日のピョートル大帝が、政敵から身を隠したこともあったという。現在も修道院には300人の

 修道僧が生活している。主な産業としては、古くからのミニアチュールと木製玩具の製作が盛んである。

 「黄金の輪」を構成する都市のひとつとしての観光業も盛んで多くの観光客が訪れる。

 ロシア正教会の中心地のひとつでモスクワ神学大学、同神学校が設置されている。

                   

     *

 ここでの昼食は、『マッシュルームヌードルスープ』とメインは『シャシリク』。

シャシリク】

 肉の串焼き料理。羊肉あるいは牛肉を角切りにし,塩,コショウ,サラダ油などに浸しておいてから金串に刺し直火で焼

 く。

 タマネギ,ピーマンなどをともに刺すこともある。ロシア料理として知られるが,もとはタタール人の野外料理で,羊肉

 を長剣に刺して焼いたという。いわゆるバーベキューで、トルコのシシカバブーのようなものです。これは美味しかった

 です。

  

 デザートは『ポンチク』、これはロシア風ドーナツで、食べ残したものはお土産に頂いてきました。

 あっさりした甘さで、オヤツに最適でした。

  

     *

 レストランからは歩いて『トロイツェ・セルギエフ修道院』に向かいました。

  

     * 

トロイツェ・セルギエフ大修道院 Троице-Сергиева Лавра 至聖三者聖セルギイ大修道院

 調和のとれた建物群は、15〜18世紀に建設されたもので、中心部のウスペンスキー大聖堂は、1584年イワン雷帝の名に

 より、モスクワの大聖堂を模して設立された。金色屋根のトロイツキー聖堂(1423年)が最も古く、天才画家アンドレ

 イ・ルプリョフがイコンを描いたことでも知られる。教会美術品や寄贈品を展示した博物館(聖器所)も興味深い。

 18世紀、修道院は女帝エリザヴェータから『大修道院』の称号を与えられた。

 その諸建築はロシア教会建築の優品として知られる。1993年、ユネスコの世界遺産として登録されており、登録名は、

 「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建築的遺産群」。

  

ウスペンスキー寺院 Успенский Собор

 16世紀には、至聖三者聖セルギイ修道院の横に、ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)が建設されました。

 ウスペンスキーとは、ロシア語で「永眠」を意味するウスペニイェに由来し、ウスペンスキー大聖堂とは、カトリックに

 おける聖母マリア被昇天教会にあたります。

 ここセルギエフ・ポサードのウスペンスキー聖堂の外観は、キリストをあらわす金色屋根を中心に、周囲に聖母マリアを

 あらわす青色屋根が配された、とてもポップな色合いの美しいもので、まるでおとぎの国のお城のようです。

  

 ウスペンスキー大聖堂内に入場、多くのイコンを拝見しました。

  

 18世紀に建てられたという高さ88mの『鐘楼』と『トロイツキー聖堂』

  

 ウスペンスキー大聖堂前にある『ドゥホフスカヤ教会』とイコン。

  

 大修道院の見学を終え、バスは今日の宿泊地のスズタリへ向けて出発しました。

 ここからスズタリまでは移動時間(3時間半)が長く、途中ファエトンでトイレ休憩の後、ホテル『クニャジィ・ドヴォ

 ル』に着きました。

  

 ホテルのフロントは天上が吹き抜けの総ガラス張りで、遠く林越えにスズタリの街が望める絶好の場所にありました。

  

 夕食は、ホテルのレストランで頂きました。

 『ベジタブルサラダ』と『豚肉料理』。

   

 デザートは『プリヌイ ジャム添え』でした。夕焼けが明日の好天気を知らせてくれていました。

  

【プリヌイ】

 ブリヌイとは簡単に言うとロシア風のクレープです。 ボルシチと並び、最もポピュラーなロシア料理の一つ。

 薄く伸ばして焼いた生地にチーズやハム、イクラやサーモンを包んだり、甘いジャムなんかもよく合います。

 トルコのシシカバブーです。

     *

 今日早暁からの長い一日で、大分疲れが溜まったようで、汗を流して早々とベットへ入りました。

     *

 3.30. 起床 … 5.45. ホテル発 → 6.30. サンクトペテルブルグ・プールコボ空港 … 8.20. S7航空 S7-020便 → 9.50.

 モスクワ・ドモジェドボ空港 1040.(バス)→ 13.10. セルギエフ・ポサード レストラン・トラペッツナヤ(昼食)

 14.00. … 14.05.トロイツェ・セルギエフ修道院 … トラペツア(食堂付属)教会 … ウスペンスキー寺院 … トロイツ

 ェ・セルギエフ大修道院 15.30. → 16.30.ファエトン・スーパー 16.45. → 19.00. スズタリ・ホテル・クニジャイ ・

 ドヴォル着 … 19.30. ホテル・レストラン(夕食)20.30.

     *

スズダリ Су́здаль

 ウラジミール州の都市。モスクワ北東、ウラジミールから26km、カメンカ川沿いに位置する古都である。 

 スズダリの名が歴史的、記録上初めて見られるのが1024年である。12世紀前半、ユーリー・ドルゴルーキー(手長公)

 の時代にロストフ・スズダリ公国(ウラジーミル・スズダリ大公国の前身)の首都となる。

 以後、14世紀末にモスクワ大広國の支配下に入るまで、ウラジミール・スズダリ大広国をはじめとする諸公国(スズダリ

 公国等)の首都として機能し、いわゆる「黄金の輪」を形成した。

 政治的重要性が喪失された後も、ロシア正教の中心の一つとして、宗教的・文化的な役割を果たした。 

 今日、スズダリは、古代から中世期の教会、修道院などの建築を多数保有する観光都市である。

 市街には多数の教会建築のほかに、小川の流れと牧草地を有する小さな村や草原があり、こうした田園とスズダリの教会

 建築は、絵画的な風景をもたらしている。特に夏場には、こうした風景を求めて多くの観光客や絵を描く人々が訪れる。

 ソ連時代の1967年、ソ連閣僚会議によってスズダリの観光・旅行センターとしての建設が決議され、博物館都市として

 の都市整備が進んだ。

  1992年「ウラジミールとスズダリの白亜の建造物群」はユネスコの世界遺産に登録された。

     *

黄金の輪 Золото́е кольцо́

 モスクワ北東近郊にある都市群の名称。古くは、ザリエーシェとも呼ばれた。

 これらの古い都市は、ロシア史、ロシア正教会における精神文化、芸術、建築などにおける源流が形成された地域として

 重要視される。これらの都市は、11世紀から15世紀末にイワン雷帝が各地を征服し中央集権体制を構築するまで、ロシ

 ア諸公国の首都として栄華を誇った。

 都市自体が野外建築博物館とも言える。12世紀から18世紀におけるロシアの都市に特徴的なクレムリン(城塞)、修道

 院、大聖堂、教会を擁する。「黄金の環」の都市が観光地として喧伝されるようになったのはソ連時代の1974年のこと

 である。

 ソ連崩壊後も外国人向けの観光地として整備が進められている

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