幸福度への違和感

2014年01月16日 | 日記
  人が幸福かどうかなんて、調査でわかることなんだろうか。
ブータン国民の9割以上が幸福であるとか、福井県は幸福度ランキング第一位であるとか、話題としては面白いけれども、だからブータンは素晴らしいとか、福井県に住むのがよいとか、真面目に議論するのはどうかと思う。調査方法に問題ありとかの反論もあるが、調査結果をへ~そうなんだぁと軽く受け流さないところがむしろ問題ではないか。ブータン国王夫妻が来日した際の、メディアの幸福騒ぎぶりは特に面白かった。それにしても、幸福がそんなに人気のあるものなら、なんで売り出す会社がないんだろう?私はへそがひん曲がっているのか、幸福・幸せという言葉は常に不幸・不幸せ・薄倖などとワンセットで脳裏に浮かぶ。自分が幸せかどうかなんて、あまり考えたこともない。世間の多くの人もそうではないかと密かに思っている。なぜって、衣食住がなんとか足りているなら、ただもうそれだけで「幸せ」に違いないでしょ。(決めつけ)みんなが気にしているのは、ひょっとして「他人からみた自分の幸福かげん」じゃないのか?幸福な人、満ち足りた人と思われるのは、不幸な人、かわいそうな人と思われるよりも、自尊心や虚栄心の具合がよい。やっぱり、私は根性がねじ曲がってるわ…
  ところで、私は子供向けの本をよく読む。特に中高生を対象にしたもの。大人向けのものに決して劣らない素晴らしい作品が多い。イギリスの作家プルマンの作品に、幸せについての記述がある。舞台はビクトリア朝時代(日本では明治の頃)のロンドン、投資会社を運営している進取の気性に富む20代の女性サリー・ロックハートが主人公です。サリーは、自分は幸せになどなりたくない、と言うのです。幸福なんてものは、もろくて受身のものでしかない。自分は生きがいをみつけて活動したい、自分がなすべき仕事をしたい。漠然と、幸せってなんだろうと考えていた私に明快な解答を示したのが、このサリーです。サリーの仲間、ジム・テイラーの言い草ではないが、これぞ「スピリット・精神」ではないですか。
幸せかどうかなんてどうでもよい!なすべき仕事があるかないか、それが問題なのです!!
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