松江大橋と「源助柱」の・・・悲しい物語を
源助柱の石碑
松江大橋
大橋川に架かる松江城下で最も古いとされる橋。(1935年 着工)
日本百名橋に選定された。 慶長12年(1607年)藩の命によって架けられる際に、何度も失敗を繰り返したため 人柱を立てることとなり、建造予定の場所にある竹で造られた細い「カラカラ橋」を 「次の日、一番最初にマチの無い袴をはいて渡った男」と決まった。 そして翌日、足軽の源助がその姿で渡った時、問答無用で箱に押し込められて 橋脚の下に埋められてしまった。 その甲斐あって153mの木橋は完成し 大橋の中央の橋脚は「源助柱」と呼ばれるようになったという。 この大橋はその後も何度も架け替えられ、昭和12年(1937年)に17代目の橋が完成した。 この時の工事で1件の死亡事故が起こり、島根県の土木技師で工事の現場監督だった深田技師が、橋脚基礎工事の最中に事故で殉職してしまった。 現在は、橋の南側の小さな公園に2つの石碑が並び、 「源助と深田技師」の名が刻まれている。 出典:日本伝承大鑑
現代では、「人柱」など考えも及ばない。 だけど国内には、これによく似た話が(例えば・・・人身御供~人間 を 神 への 生贄 とすること。)多々ある。 日々、この「松江大橋」を渡っているのだが、「源助さん に有難うございます。」と 心で合掌しながら渡ろうと思う。
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