(読書メモ・・・大原社研「日本労働年鑑」1920年版)
1919年3月及4月の労働争議
3/5横浜市、英七番の船頭50余名待遇改善と賃上げを求め全員結束し、不穏の挙に出でんとす。水上署厳重に警戒
3/6茨城県、大日本炭鉱会社唐蟲鉱業所1千名の大暴動。白米の値上げに憤って、鉄道・坑道を封鎖し、坑内を真っ暗とし、警務見張り所、事務所、工場、役宅十棟を破壊し、電信・電話を切断する大暴動。また、倉庫を破り米俵を奪い付近の山林に立てこもって気勢をあげた。会社7日に工夫側の要求を聞き、折り合いをつけたため鎮静した。検事・憲兵・警察官が出動した
4/13福岡、専売局男女500余名同盟罷業、東公園で集合
4/20京都市電現業員賃上げを求めるも、労働者の中心的人物が当局に買収され失敗。労働者は労働組合の必要を知り、友愛会などの組織化に努力していた
3月の朝鮮における同盟罷業
3/9東京煙草会社朝鮮職工500名は突然同盟罷業をなした。その他の工場にも不穏の形勢みえたので官憲は軍隊を用いて工場の門を警戒した
3/29京城満鉄会社朝鮮人職工800名が同盟罷業し、また京城電車の朝鮮人従業員も同盟罷業をなした
その他各地でも同盟罷業や之に類したものあるようであるが、それは大抵政治的に不平を有する朝鮮人の脅迫によるもので労働条件の改善を要求するために起こったものではない。従って官憲の取り締まり又は鎮定方針も軍隊を用い、高圧的に鎮圧した