若い頃は他人事のように思えていました。
結婚式のスピーチでよく聞かされる
『人生は山あり谷あり』
も、同様に他人事でした。
なぜなら、冒険をした実感も、山も谷も経験した事がなかったからでしょう。
経験至上主義ではりませんが、想像力欠如の大馬鹿者ですね(⌒-⌒; )
昨日少しだけ自分の人生を振り返ってみたのです。
※そんな事はした事がありません
確かに山も谷はありました。
先人の教えはたいしたものです。
『なぜ勉強しなければならないの?』
と言う子供達からの質問に、私はこのように答えるようにしています
『大人になって馬鹿を見ないためだ』と。
『馬鹿を見ないってどう言う事?』
『大人の世界には悪い人も少なからずいる。そんな輩は、間抜けな人を騙して金品を奪おうと常に狙っている。』
『悪い人達の間抜けな獲物にならない為に勉強しておけって事?』
『その通り』
『でも悪い人って、見た目に悪そうな格好してるから分かりやすいよね』
『いや、悪い奴ほど見た目しっかりしているし、言葉も巧みで笑顔も素敵。それを見抜くには、頭を鍛えておく必要があるって事だよ』
『ふーん』
バブルの頃、都市銀行が必ず儲かると言って営業したある商品で、全財産を無くした多くの人達が訴訟を起こした事がありました。
結果、多くの人達は財産を取り戻す事が出来ましたが、『君たちはダメ』と言われた人達がいました。
それは『士』や『師』、『司』の付く肩書きを持っていた人達でした。
『弁護士』は法律に明るくそれを仕事としている専門家ですから、典型的な『士』の付く仕事ですからわかりやすいのですが、知り合いの『薬剤師』も『師』が付いているからと言う理由で、奪われた財産を取り戻す事は出来ませんでした。
つまり、『士』『師』『司』の付いた肩書きを持つ人は、一定以上の教育を受けた者であるから、契約書の文章を理解できなかったとは言えない。
契約の内容を熟知した上で押印したと判断されたわけです。
逆に言えば、財産を取り戻した人達は、高い教育を受けていなかったので、契約内容を理解する事は難しかったと判断されたわけです。
、、、。
これは裁判官による多くの人達を救済するために、便宜上必要な理由だったと思われます。
馬鹿を見たのは勉強をしてこなかったのだから仕方がないと、多くの判例が出ているのでしょうね。
つまり、自分の事を守りたければちゃんと勉強しとけよ、と言われているのです。
僕がやりたい『勉強』とは少し違う広い範囲の勉強ですが、頭使って鍛えて、人生で馬鹿を見ないように行きなさいよ、とこの判例は言っているのです。
人生山あり谷ありの原因には、避けられない時の運もありますが、頭使えば避けられる『谷』もあるのです。
それらを総して『冒険だ!』と言っているのだとしたら、少し無責任だよなぁ〰
もっと具体的に言ってよ〰と突っ込みたくなりますよね。
でも振り返ると、やっぱり『冒険』の一言がしっくりくるなぁ〰
火を噴く龍や空飛ぶ円盤、巨大な天空の城なんてものが出てくるわけではないけれど、似たような物は次々に出てきました。
そこは人が生きる上で、きっと避けられないんだろうなぁ、、、
自分が頑張ればなんとかなったり、やり直しのきくゲームにハマる気持ちも、外が怖くて出られない引きこもりのパターンも、なんとなくわかります。
勉強の必要性は
『大人になって馬鹿を見ない為』
そして
『馬鹿を見させられても立ち直る為』
これがセットなのかもしれませんね。
本当にやりたい『勉強』は、やっぱり違うのだけれど(^∇^)