悠翠徒然

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競書

2023-09-06 06:02:00 | Weblog
競書では臨書技術を競い合います。
臨書には
形臨
意臨
背臨
があります。

形臨を学ぶには、『臨摹(りんぼ)』と言って、お手本を下に敷き半紙をその上においてなぞって大きさや形を学びとるお稽古も私は必要だと考えています。
当然ですがそれを提出するのはNGですから、私は添削しません。

見て学ぶのは形だけではいけません。
筆意をお手本の緩急からも汲み取りましょう。
そこから書き手の意図を感じ書く事ができれば意臨の段階になります。

背臨はお手本を伏せて書くことです。
お手本が頭と身体に入っている段階ですよね。

倣書はさらにその先の段階です。
新聞の見出しで、たとえば『内閣解散』の文字を見て、それを字書や資料などみる事なく王羲之風に書いてみる。
王羲之の弟子なら皆できたでしょうね。
『風』ですから(^○^)

では我々は『何風』の倣書を書ける様になれば良いのでしょうか?
それは日々習ってきたお手本の書き手である、高橋鵞翠風に書く事です。

とは言っても、高橋鵞翠のお手本を目の前にしてどうやって倣書すれば良いのでしょうか?

私は頭の中の引き出しに高橋鵞翠の書いた文字をパーツ毎に分けてしまってあります。
※言うだけ番長かもね(笑)

目の前にある高橋鵞翠のお手本の各パーツは、本人が選んで用いたものです。
それは書いた時の気持ちや時代背景、マイブームなどによって選択肢に影響があったはずです。
ならば、ハネるところをトメてみたり、中鋒で書いてあるところを側筆使って書いてみたりしたらどうでしょう。
無限の広がりと同時に正解の無い闇に足を踏み入れる事になります。
お手本が常に正解では無いはずです。
きっと隙がある。
その隙をついて果敢に攻めてみましょう!
大抵返り討ちにあいます( ̄∇ ̄)
それでも、師を越えようとした志しは高く評価されるでしょう。
私が雅号取得者に求めるレベルはその姿勢なのです。

『内閣解散』のフォントを見て、高橋鵞翠が書いた様に書けますか?
それができて『倣書』が完成するのです。
つまりそれは高橋鵞翠の書風がベースとなった書家が誕生した事になるのです。
雅号取得者の方に、二文字のお手本を書いていただいているのはその為です。

しかし『倣書』は創作ではありません。
なんちゃって程度の真似です。
創作にはオリジナリティが必要です。
『倣書』ができていれば『かた』はできているはずです。
つまり『かたなし』ではありません。
時間と労力費やして作ったかたを破りましょう!
それが『創作』です!
『かたやぶり』は『創作』の事です。
当初『かたやぶり』と言われた作品も、それがスタンダードになる日がくるかもしれません。
王羲之だって、唐の四大家だって、空海さんだってピカソだって、そして高橋鵞翠も皆努力研鑽して身につけたカタを破って新しい時代を創ったのです。
皆破りたくて破ったのです。
そこには必然性があるはずです。
その必然性こそ創作の原動力です。
原動力を見つけ出してそこに火をつけよう!
という事ですね。

高橋鵞翠の書体や書法をベースにして、さらにそれを発展させる事こそ、弟子の我々に求められている事だと私は信じています。

まずは私がそのお手本を示さねばなりませんね!
でも不出来な弟子の私には、
なかなか難しい〰︎(^○^)

あと30年時間ください!
頑張ります〰︎







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