私は無意味な忍耐や我慢が嫌いです。
意味ある忍耐や我慢はウェルカムです。
『意味ある』とは、主観的なものと私は考えています。
主体性が生まれる前に仕込まれた成長していう上で必要な大切な事は、
学べば賢くなり、繰り返せば身につき、上達して更に面白くなって行く経験でした。
ありがたい事です。
親や先生方には感謝しかありません。
そこには、多少の忍耐と我慢が必要ですし、身につきました。
でも、大人になった私は無意味な忍耐や我慢はできないんだよなぁ〰
目的が明確になってないとやる気が起きないですし、やり始めて楽しくなければ続かないのです。
子供か!お前!
です、、、、。
だから褒めて伸ばしてほしい(^o^)
この歳になってもそうなのですから、子どもだったらなおさらでしょう。
でも、無意味な褒めは独りよがりのわがまま小僧を生むだけですからそんな事はしません。
私が褒めるのは、お互いに共感できる事だけです。
書道塾では毎日それを繰り返して、実感ある自信を子供達に身につけてほしいと願っています。
ゲームやテレビ、パソコンなど子ども達を取り巻く環境はもう情報の洪水です。
私の子供の頃とは段違い!
マンガとテレビしかなかったかも?
虫取りとか鬼ごっことかかくれんぼとか長馬とか、、、。
まだ自主的運動系が多かったかも。
その洪水から離れたところに書道塾の空間はあります。
そしてそこに身を置くだけで意味がある事を子供達に実感してもらいたいのです。
情報は目の前にあるお手本と、私とのやりとりだけ。
ね、情報少ないでしょ(⌒▽⌒)
大人になって情報に流されない様にするには、精神を正さないといけません。
書道で学ぶ事の一つは正された精神状態の実践で得た実感です。
背筋を伸ばして真っ白な紙に向かう時、果てしない宇宙と対峙して、ちっぽけな自分と向き合いそこに入って行くことができます。
入れば知る事ができるのです。
そしてちっぽけだけれど、自分がいなければこの世が成立しない事が分かるのです。
『我知る、故に世界在り』
なんだか哲学者の言葉みたいで、
カッコいい〰(^○^)