軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

運命共同体

2019-06-10 21:27:31 | 日記
(世界選手権の後競輪が開催されている、日本初の室内走路があるグリーンドーム前橋)
競輪は、戦後の復興資金獲得を目的に始まった日本独自(日本のシステムを参考にして韓国でも競輪が開催されています)の公営競技であります。
基本的なことを説明すれば、自転車競技は第1回近代五輪アテネ大会から今日まで続く五輪の主要正式競技でありますが、自転車の競走にお金を賭けてやっているのは世界中で日本と韓国だけということです。
競輪の公益金は社会福祉事業やスポーツ振興、日本の自転車産業の振興等を目的に、駐輪場やサイクリング道路の整備など多方面に使われていることは説明不要と思います。
私が学生の頃参加させていただきましたインターカレッジ(全日本大学対抗戦)などにも競輪の公益金が使われていたはずです。(改めて感謝!)
そして現在もジャパンカップやツアー・オブ・ジャパンなどの国際大会の運営費に、また、選手の強化費にも公益金が使われています。
もし、今以上にギャンブル離れが進み競輪が衰退すると国際大会の開催もできない。ナショナルチームの強化費も出ないという状態に陥り日本の自転車競技も衰退してしまう恐れがあります。
また、他競技から転向して成功する競輪選手も存在します。(その代表が陸上競技から転向した、偉大なる中野浩一さんです)しかし、多くの選手は高校、大学の自転車競技部で競技力を磨いてから競輪入りをするのですから一般の自転車競技が衰退すると、競輪選手の供給源も枯渇してしまうことになるので、日本の自転車競技と競輪は運命共同体と言えましょう。
日本の自転車競技のレベル維持のためには、競輪が今以上に衰退してしまう事は大変困ることであります。
(グリーンドーム前橋333.3mトラック)
では競輪の存続のためには何をすれば良いのでしょうか?
関係者の皆さまは、ギャンブルスポーツとして社会的に低く見られがちな競輪の社会的地位向上を考えて世界選手権への挑戦、そしてプロアマオープン化以後は五輪でのメダル獲得を、また最近は低下気味の人気回復を考えてガールズ競輪の創設(かつての女子競輪の復活)等の取り組みをいたしました。
これまでの試みの成果の一部を検証してみます。
・競輪の競争形態を元にUCIがルールを整備して五輪、世界選手権の正式種目に採用した「KEIRIN」ははたして公営競技である「競輪」の地位を高めたか?⇒私見としては、カタカナのケイリンは競輪の競争形態を元にしただけで、別物だということです。国際ルールに基づいた「競技」になっているのですが、最大の違いはお金を賭けて開催してないところなので、やはり競輪とは別の物なので、直接競輪の地位を高めたとは私は考えていません。
・偉大なる中野 浩一さんの活躍は競輪の地位を高めたか?⇒私見ですが1970年代~80年代に中野さんが世界戦で活躍していた頃の空気を知っている者としては、その報道のあり方も、世間の感じ方も競輪選手としての中野さんの活躍ではなく、競輪選手の立場を離れて、自転車競技選手として世界選手権に出場している中野さんの活躍を称賛しているのではないか?そんな感じであったと思います。
中野さんの活躍は競輪というより日本の自転車競技の地位を向上させてくれたことが偉大な業績なのであり、当時は今以上にマイナーで弱小だった日本の自転車競技を救ってくれた恩人だったと、当時一選手だった私は、現在も感謝すると共に大変尊敬しています。
それはその後のオリンピックや世界戦でメダルを獲得した競輪選手についての社会の評価も、概ね同様だったのではないかと考えています。逆にケイリンでは発祥国からの参加として日本選手には大きなプレッシャーがかかって大変になってしまったと思います。
新田選手や脇本選手、川端選手頑張れー!
私が個人的に競輪選手としての中野さんの業績を「すごい!」と感じて称賛したのは1980年の年間獲得賞金1億円超えを達成した時です。
公営競技のみならずプロ野球選手でさえ1億円プレーヤーは存在しない時代であり、日本のプロスポーツ選手として初の年収一億円超えという記録を達成したのです。
確かに、現在では暮れの競輪グランプリの賞金は1億円(一発勝負レースの賞金としては世界最高額)という時代ですが当時としては大変な快挙でした。
プロ野球選手初の一億円プレーヤーは落合 博満さんでした。もちろん大変な偉業として評価されるべきですが、球団という後ろ盾を持たない個人事業主である公営競技選手の中野さんが自分の「足」で1億円を稼いだということに世間は驚嘆して惜しみない称賛をしたと思うのです。
スポーツ紙でさえ公営競技関係の記事が一面を飾るのは中央競馬のビッグレースぐらいで、通常公営競技の結果やレース予想は3~4面ぐらいでした。
一面を飾るのは、当時は野球や大相撲が中心でしたが、中野さんの1億円達成の時は、一面トップを飾ったので私もスポーツ紙を買ったぐらいでした。
そのようなことを考えると五輪や、世界戦でメダルを獲得することは、土俵そのものがまったく違うので、実は競輪の地位向上に直接つながるかどうか、私は疑問に感じてしまうのです。
競輪の地位や人気の向上にはもっと違う何かが必要なのではないかと考えています。
コメント
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