(練習コーススタートの中軽井沢地区)
猛威を振るい大きな災害をもたらした台風19号が去った1週間後、時に台風の傷後の凄まじさを目の当たりにしながらも、若き日に走った練習コースを久しぶりに走ってみました。
部分的には走っているのですが、フルに走るのは多分30年ぶりぐらいでしょうか?
軽井沢の自宅をスタート、危険回避のため裏道があるところはなるべくそちらを通るようにします。
以前もブログで紹介しましたが、追分地区から茂沢地区に下る道は台風被害がかなりひどい状況です。
(軽井沢を流れる千曲川の支流である湯川も増水していました)
(茂沢地区を流れる茂沢川の水量もいつもより多いようです)
茂沢地区から軽井沢大橋付近へ抜ける坂道、ここはアウターギアだけで力で登り切ります。
(坂を上り切ると御代田町に入ります)
森泉郷別荘地から御代田町豊昇地区へ抜ける道には、今はゴルフ場もできています。
(ムラサキシキブの実が色づいてきました)
かつては道幅も狭く、舗装は痛み、大げさに言えばパリ・ルーベの石畳区間のような個所もありましたが良い道になりました。
御代田町面替地区からスキー場パラダ前を通り、佐久市岩村田に抜ける道です。
(枯れてしまい何度か植え直した一本松)
(高速道路はこの時点では通行止め、一台の車も走っていません)
(佐久市岩村田地区)
岩村田から小諸に抜ける道は路側帯がほとんどなく、交通量も多い為、裏道や歩道を通り小諸市乙女まで走ります。
(光ってしまいましたが、動物病院の窓から、かわいいねこちゃんが!)
(JR小海線踏切)
(小海線乙女駅手前)
(寅さん映画の舞台にもなった小諸市の街並み)
小諸警察署から小諸高校までは結構きつい登りです。ここはインナーギアを使います。
そして裏道を通って軽井沢町追分経由で一周するのが、かつての定番練習コースです。
(道祖神でしょうか?とても素朴な感じです)
私はトラック短距離が専門でしたが、ロード練習もそれなりに行ってはいました。
しかし、たまに出走したロードレースでは何一つ良い思い出はなく、私にとっては一番遠い世界です。
(のどかな田舎の道ですが、私にとってはグランツールのステージに等しい場所です)
ロードの選手ならば、ツール・ド・フランスは何と言っても憧れのレースなのではないでしょうか?
そしてトラックの選手ならば五輪や世界戦を夢見るのだと思います。もちろん私もそうでした。
ツール・ド・フランスは五輪、サッカーワールドカップと並ぶ世界三大スポーツに数えられる大イベントです。
ジロ・デ・イタリア、ヴエルタ・イスパーニャといった他のグランツールもレースの難度では引けを取りませんが、歴史が一番古く、世界の注目が集まるのはやはりツールです。
(このコースを走ると時間が戻る思いがします)
ロード、トラックといった種目を超越して自転車競技の頂点に位置する大会といってよいと考えています。
自転車選手ならば私のような短距離選手であっても心のどこかにツールに対する憧れはあるのではないでしょうか。
そして、私達人間を人生という長いステージレースを走り続けるライダーに例えるならば、1人1人が最高の舞台、最高のレースを走るエース選手なのだと思います。
ささやかな練習コースですが、ここは確かに私にとってのツール・ド・フランスのステージの1つでした。
学生時代に走った川崎市や稲城市の丘陵地帯も、碓氷峠もこのコースも松本を始めとする各地のベロドロームもすべて私にとってのツール・ド・フランスのステージの1つでした。
(この付近の景色は高校生の頃と何も変わりません…)
このコースも、当時と異なりゴルフ場やスキー場、高速道路もできて風景が変わり、私も年を取りましたが、この道を走るとやはり当時に時間が戻る感覚になり、感慨深いものがあります。
(旧中山道追分宿もきれいに整備されました。電柱がなくなりました)
1周して中軽井沢に到着すると走行距離46㎞でした。
途中交通量が多い所は別ルートを走ったので昔のままのコースなら43㎞ぐらいでしょうか。夏休み中はこれが午前の練習。
午後はブレーキ付きトラックレーサーに乗り換えて5~6㎞離れた農道コースで周回、スタート、スプリントの練習…
スプリントも周回を回りながらやっていましたから、往復も含めれば40㎞ぐらいの走行距離、午前のロード練習と合わせると80kmぐらいの走行距離です。
(かつての練習を支えてくれたミヤタのクロモリフレームのロード)
短距離の選手としてはよく走った方です。
それを毎日繰り返しても疲れることもなかったのに…
登りを力で押し切ったのが災いしたのか、実は練習後しばらくしてからひどい筋肉痛に見舞われ大変でしたが、ようやく改善してきました。
そんな時にどうしても年齢を感じてしまいます。
自転車生活に復帰しては見たものの、やはりいつかは本当の引退の日が来ることでしょう。
(シマノが初めて発売したカセット式のフリーギヤですが7段です。デュラエースですが7段ですよ…そんな時代でした。今は11段の時代です。変速機も当時のデュラエースですが、今とはあまりにも違いますね)
しかし、それでも人生というステージレースはまだ続きます。人生は終わりの日が来るまで引退はありません!
前を向いて走り続けなければいけないのです。
人生と言うステージレースでは誰もがエース選手なのだと考えています。悔いなく完走したいものです。
人生は、長いステージレース、そして走り続ける人はみんながエース選手であり、完走すれば誰もが勝者であり、敗者はいないのだと考えています。
そして、自転車乗りは誰もが自分だけのツール・ド・フランスを持っている。
私はそんな想いで走り続けています。
皆さんもご自分のツール・ド・フランスを持っているでしょうか?
そして、どうか自分だけのツール・ド・フランスを大切にしていただきたいと思います。