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自転車乗りなら知らない人はいない、サイクリストの聖地日本サイクルスポーツセンターです。
私の記憶に間違いなければ1982(昭和57)年7月30日から三日間の日程で、トラックレースは、日本競輪学校の400mトラック、ロードレースは、5キロサーキットで全日本大学対抗自転車競技大会(インカレ)が開催されたのですが…
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(もちろん当時は室内ベロドロームはありませんでした。ここは当時駐車場でした)
初日、私はインカレだけにあった種目の1,000m速度競争に出場しました。途中で逃げを試みましたが、つかまってしまいました。
ポイントレースでは、現在NIPPOチームの監督をされている中京大の大門 宏さんがぶっちぎりで優勝しました。
しかし、その記録は幻になってしまいました。
それはなぜでしょう?
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翌日は、朝から雨、台風が接近していました。トラックレースは中止。翌日のロードレースの成績で、大学対抗の順位を決めることになりました。
朝から400トラックのコーナーのバンクは、雨で滝のようになっていました。
そして夜になり雨風が激しくなり、泊まっていた修善寺温泉にはついに避難指示が出されました。
宿の前の道は冠水しており、ズボンの裾をまくりながら歩いて小学校の体育館まで避難しました。
昨日みごとな走りを見せてくれた大門さんもおられました。
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台風が過ぎ去り、避難指示は解除、宿に戻ると床下浸水していました。
翌日は快晴でしたが、ロードレースは中止、この年のインカレは成績無し、幻の大会になってしまいました。
どうやら5キロサーキットも倒木や土砂崩れで走行不能になったようです。
修善寺温泉の川べりにあった露天風呂も倒壊しており、大災害になっていました。
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(今は世界選手権でも行われなくなったドミフォン用のトラックレーサーとペーサー用オートバイ)
高速道路も、一般道もあちこちで通行止め、朝の8時過ぎに宿を出て、ようやく東京にある大学の部室に戻ったのは午後6時半頃でした。
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(室内ベロドロームができて、レンタル用自転車も充実したCSCですが、基本的には昔と変わりません)
夏休みになり軽井沢の自宅に帰ると、こちらでも台風の爪痕はすさまじいものでした。
そして台風のご難にはまだおまけがありました…
その年の9月に関西サイクルスポーツセンターで行われた全日本学生自転車競技選手権のトラックレースに参加しました。
種目はスプリントで、予選で負けてしまいました。ナイターで行われたので近くの宿坊に一泊して翌日帰りました。
早く帰ればよかったのに、競技をしばらく見てから帰ったら、またもや台風直撃!
午後2時頃新大阪発の新幹線が途中でストップ。
東京に着いたのは翌朝4時頃でありました。
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東京オリンピックがどうか天候に恵まれて開催できますように。
そして日本選手のメダル獲得を心より祈っています!
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