2002年8月のある日、友達から一本の電話から始まった。
パソコンのなかった私は、ある友人にコブクロのホームページのスケジュールを時々チェックしてもらっていた。「ごめんね。○さん、昨日岡山にコブクロがラジオの公開生放送で来てたんよ。忙しくて今チェックしたら、今わかって。本当にごめん。でも、来月四国でライブがあるみたいよ。」「ぜんぜんかまわんよ。またお願いね!」そういうのが精一杯だった。公開放送のあった場所は、自転車でもいける所。携帯のサイトも見れるようにしていなかったし、パソコンもないし、悔しくて悲しくて、一人で二階に上がったら、涙がどんどん出てきた。FAXで送ってきてくれたスケジュール表に初めて四国村ライブの記事を見つけた。よし!これに行ってみよう。今のパソコンや、ロッピーでの予約と違って直接、高松の朝日新聞に電話して、予約を取った。どうやら、私の遠征癖はここから火がついたらしい。
行きかたを新聞社の方に聞き、夏休みの最後の日、子供3人連れて、大好きな予行練習に旅立った。ベビーカーを押しての電車の乗り換え、「お母さん、どこにいくん?」と、猛暑の中での悲痛な次男の叫びをなだめすかし、四国村へたどりついた。四国村への入場券を買おうとすると、受付の方が「道が石畳で悪いから、ベビーカーではむずかしいよ」って言ってくれた。「ライブ会場の下見できたんですけど」というと、「農村歌舞伎舞台は、ここから一番近い会場だから、そこだけ見に行くのなら、入場券はいいからはいりなさい」と優しいお言葉。
古い、ちいさな、からぶき屋根。座席はすり鉢状になっていて、どこか、京都の円山音楽堂ににていた。
本当にここにくるんだ!なぜかそのときから私の中でのライブへのカウントダウンが始まった。
そして、
今年もやってきました。四国村ライブの記念日。 2002年9月29日。香川県の屋島という、屋根のような島。琴電屋島駅は、小さな小さな駅。駅を出て、ずーと、右にあるいていき、最後に四国村に向かう、なが-い石畳をのぼっていく。 あの日はまだ夏のようにあつかったなあ~。 初めての夕方からのライブ。 パンや、キャンディー、お茶など鞄にいれると、結構かさばった。 石畳をのぼっていく途中、私のパンパンの茶色の鞄をみて、数人連れのスーツをきた、男性のなかのひとりが、「撮影は禁止ですよ(笑)」って、優しい声で、言葉かけてくださった。ビデオでも入っていると思われたんですね。 今から思えば、あれは、スタッフの方。しかも、チームコブクロの方だったのかなあ? そんなこんなで、一緒に行った友達と、ミニかずら橋を左手にして、なおもつづく、石畳をのぼっていきました。 グッズ売り場では、レターセ
ット、クッションカバーなど、買った記憶が。 席は、いろは順で、つだったから、結構後ろ。長い坂をのぼってきたせいで、暑いこと。うちわで、あおぐ姿があちこちで、見られた。 会場はすり鉢になっていて、ステージもそんなに遠くない。 朝日新聞高松ビル竣工記念とあって、読者の年配の方、小さな子供さん、会場にはいるには、せまい階段を降りていく、不便なとこだったが、いつものライブよりも、たくさんの車椅子の方も参加されていた。しかも、確か最前列近くの黒田サイドのほうで、間近で、聴けるようにかんがえてくださった、関係者の暖かさを感じた。 藁葺き屋根のちいさな、舞台。 農村歌舞伎台という、名前がついている。 ほんとに来てくれるのかな? 初めていった、岡山理科大学ライブにつづいて、二回目のライブの開演待ちに心は、ウキウキしていた。
パソコンのなかった私は、ある友人にコブクロのホームページのスケジュールを時々チェックしてもらっていた。「ごめんね。○さん、昨日岡山にコブクロがラジオの公開生放送で来てたんよ。忙しくて今チェックしたら、今わかって。本当にごめん。でも、来月四国でライブがあるみたいよ。」「ぜんぜんかまわんよ。またお願いね!」そういうのが精一杯だった。公開放送のあった場所は、自転車でもいける所。携帯のサイトも見れるようにしていなかったし、パソコンもないし、悔しくて悲しくて、一人で二階に上がったら、涙がどんどん出てきた。FAXで送ってきてくれたスケジュール表に初めて四国村ライブの記事を見つけた。よし!これに行ってみよう。今のパソコンや、ロッピーでの予約と違って直接、高松の朝日新聞に電話して、予約を取った。どうやら、私の遠征癖はここから火がついたらしい。
行きかたを新聞社の方に聞き、夏休みの最後の日、子供3人連れて、大好きな予行練習に旅立った。ベビーカーを押しての電車の乗り換え、「お母さん、どこにいくん?」と、猛暑の中での悲痛な次男の叫びをなだめすかし、四国村へたどりついた。四国村への入場券を買おうとすると、受付の方が「道が石畳で悪いから、ベビーカーではむずかしいよ」って言ってくれた。「ライブ会場の下見できたんですけど」というと、「農村歌舞伎舞台は、ここから一番近い会場だから、そこだけ見に行くのなら、入場券はいいからはいりなさい」と優しいお言葉。
古い、ちいさな、からぶき屋根。座席はすり鉢状になっていて、どこか、京都の円山音楽堂ににていた。
本当にここにくるんだ!なぜかそのときから私の中でのライブへのカウントダウンが始まった。
そして、
今年もやってきました。四国村ライブの記念日。 2002年9月29日。香川県の屋島という、屋根のような島。琴電屋島駅は、小さな小さな駅。駅を出て、ずーと、右にあるいていき、最後に四国村に向かう、なが-い石畳をのぼっていく。 あの日はまだ夏のようにあつかったなあ~。 初めての夕方からのライブ。 パンや、キャンディー、お茶など鞄にいれると、結構かさばった。 石畳をのぼっていく途中、私のパンパンの茶色の鞄をみて、数人連れのスーツをきた、男性のなかのひとりが、「撮影は禁止ですよ(笑)」って、優しい声で、言葉かけてくださった。ビデオでも入っていると思われたんですね。 今から思えば、あれは、スタッフの方。しかも、チームコブクロの方だったのかなあ? そんなこんなで、一緒に行った友達と、ミニかずら橋を左手にして、なおもつづく、石畳をのぼっていきました。 グッズ売り場では、レターセ
ット、クッションカバーなど、買った記憶が。 席は、いろは順で、つだったから、結構後ろ。長い坂をのぼってきたせいで、暑いこと。うちわで、あおぐ姿があちこちで、見られた。 会場はすり鉢になっていて、ステージもそんなに遠くない。 朝日新聞高松ビル竣工記念とあって、読者の年配の方、小さな子供さん、会場にはいるには、せまい階段を降りていく、不便なとこだったが、いつものライブよりも、たくさんの車椅子の方も参加されていた。しかも、確か最前列近くの黒田サイドのほうで、間近で、聴けるようにかんがえてくださった、関係者の暖かさを感じた。 藁葺き屋根のちいさな、舞台。 農村歌舞伎台という、名前がついている。 ほんとに来てくれるのかな? 初めていった、岡山理科大学ライブにつづいて、二回目のライブの開演待ちに心は、ウキウキしていた。
話には聞いていましたが、ステージと客席の距離が近いこともわかるとてもいい写真ですね
とっても素敵なライブだったんですねぇ。写真を見ると、想像してたより小さいステージなのかな???コブクロのお二人がとっても近そう続きのレポ楽しみにます
万博ライブ、楽しんできてくださいね
そうそう、日曜日にコブクロさんが公開生に来てくれたソレイユのフタバ図書に行って来ましたよ~~~CDの予約コーナーには、ちゃんとコブクロのポップとやらがありました手書きではなかったけれど、歌詞も書いてあって一人見つめてました
四国村は、ストリートに限りなく近かったと思います。
あの感動をもう一度味わいたいです。
メグさん、ソレイユ懐かしい~!
また来てくれるといいですね!
でも、ほとんど万博に行けば心の荷物と一緒に降ろせるもんね
じゃあ!あした。会えるかな~?
思い出いっぱいの季節になりますね!
明日、楽しみましょうね
名前、ちょっとだけ付け足すことにしました。宜しくお願いします。
明日は、楽しみましょうね。
私もコブクロのお2人には 箱のなかより、屋外で歌って欲しいから、チボリのステージに立ってもらいたい
今月は 佐藤竹善さんがいらっしゃいますよ。
いよいよ明日になりましたね。私はお仕事ですが、楽しんできてね。