午前五時前目が覚めてテレビをつけたら、「葛西金メダル!」と聞こえたような気がして、いきなりテンション急上昇!
正確には銀メダルでした。
金メダルの選手より元気よくみえました!
男子ラージヒル。
葛西選手41歳。
七回目の冬季オリンピック。
個人としては初めてのメダルだそうです。
怪我 所属の度重なる変化 、ルールの変化、お母さんを亡くしたり、度重なる苦難を乗り越えてきた、不屈のヒーローだそうです。
東日本大震災直後から支援を続け、それは今も続いているそうです。
私の記憶ではかなり昔、再生不良性貧血の妹さんのために。飛ぶ。という話を聞いたことがありました。
20年前のリレハンメルオリンピックでは団体で、金メダルを期待されていたのに、三人までは完璧なジャンプをして、あとは原田選手が105メートル飛べば、金メダルなはずでした。
しかし、原田選手のまさかの失速。
「原田落ちた!」のアナウンサーの言葉が残ります。
立ち上がれない原田選手のもとに、岡部 葛西 西方の3人が駆け寄りました。
この日から原田選手は重い十字架を背負ってしまいました。
必ず次の長野では金をとろうと、目標をたてました。
舟木という若きエースが現れました。
長野のジャンプ団体の代表に岡部選手はいましたが、葛西選手と西方選手は選ばれませんでした。
とくに西方は25人のテストジャンパーの一人に選ばれました。
完全に黒子、裏方です。
西方選手は「何で俺がテストジャンパーをやらないといけないんだ」という気持ちだったそうです。
25人の中には耳に障害を持ちながら健常者とともに闘っていた、高橋竜二選手もいたそうです。
女性選手も一人。
ジャンプ台に向かう原田選手の姿を西方はみていたそうです。
「あれ?」原田選手は試合前「アンダーシャツか手袋貸してくれない?」と聞いてきたそうです。
西方は「忘れてきたのか」と思い、着ていたアンダーシャツを脱ぎ、原田選手に貸したそうです。
原田選手はリレハンメルオリンピックの団体のメンバーだった、西方のアンダーシャツ、手袋は葛西選手のものをはめて臨んでいたそうです。
西方はこのとき、テストジャンパーとしての複雑な想いが消えたそうです。
原田選手がとぶまえに天候が悪くなり、一本目は距離が出ず、日本は4位でした。
吹雪で競技は一時中断。テストジャンパーのジャンプをみて、再開か、一回のジャンプの順位で終了のどちらかになりました。
テストジャンパーはとにかく、矢継ぎ早にとび、降り積もる雪を固め、最後に距離を出す大ジャンプをして、安全を証明する。というストーリーを考えたようです。
前も見えないような中、テストジャンパーたちは転ばないようにしようと飛び続けました。
ジュリーという審判団がラストのテストジャンパーとして指名したのは、選手と同じ力をもつ、西方でした。
西方はK点を越える大ジャンプ。
これをもって競技は再開されました。
原田選手は二回目のジャンプに向かう前にテストジャンパーたちに「行くぞ!」とこえをかけたそうです。
雪は小降りになっていたそうです。
そして日本は金メダル!
何年か前に放送された、番組をソチの前にみて感動しました。
ソチで葛西選手が金メダルをとるまで原田選手の十字架をおろすことはできない。と思いました。
テストジャンパーとして大仕事をした西方は長野の金メダルをみて、その一員になれたようで、複雑な想いはふっきれたそうです。
だから葛西選手の今日の銀メダルはほんとに嬉しいです。
ぜひ団体で金メダルをとって欲しいです。
今日のうちの手作りのカレンダーにはまたいい言葉が書かれていました。(字きれい!)
「チャンスというのは、多くの場合、つらい経験に姿を変えてやってくる。 だから、ほとんどの人はそれを気づかない。」
馬場さんの♪スタートライン♪も心に浮かぶ葛西選手にさりげなくピース!
追記
今日は末っ子の13歳の誕生日でケーキを食べました~!
ハッピーバースデー♪を無理矢理歌ってあげたら、「やめてくれ~!」とめちゃめちゃ恥ずかしがってました。
正確には銀メダルでした。
金メダルの選手より元気よくみえました!
男子ラージヒル。
葛西選手41歳。
七回目の冬季オリンピック。
個人としては初めてのメダルだそうです。
怪我 所属の度重なる変化 、ルールの変化、お母さんを亡くしたり、度重なる苦難を乗り越えてきた、不屈のヒーローだそうです。
東日本大震災直後から支援を続け、それは今も続いているそうです。
私の記憶ではかなり昔、再生不良性貧血の妹さんのために。飛ぶ。という話を聞いたことがありました。
20年前のリレハンメルオリンピックでは団体で、金メダルを期待されていたのに、三人までは完璧なジャンプをして、あとは原田選手が105メートル飛べば、金メダルなはずでした。
しかし、原田選手のまさかの失速。
「原田落ちた!」のアナウンサーの言葉が残ります。
立ち上がれない原田選手のもとに、岡部 葛西 西方の3人が駆け寄りました。
この日から原田選手は重い十字架を背負ってしまいました。
必ず次の長野では金をとろうと、目標をたてました。
舟木という若きエースが現れました。
長野のジャンプ団体の代表に岡部選手はいましたが、葛西選手と西方選手は選ばれませんでした。
とくに西方は25人のテストジャンパーの一人に選ばれました。
完全に黒子、裏方です。
西方選手は「何で俺がテストジャンパーをやらないといけないんだ」という気持ちだったそうです。
25人の中には耳に障害を持ちながら健常者とともに闘っていた、高橋竜二選手もいたそうです。
女性選手も一人。
ジャンプ台に向かう原田選手の姿を西方はみていたそうです。
「あれ?」原田選手は試合前「アンダーシャツか手袋貸してくれない?」と聞いてきたそうです。
西方は「忘れてきたのか」と思い、着ていたアンダーシャツを脱ぎ、原田選手に貸したそうです。
原田選手はリレハンメルオリンピックの団体のメンバーだった、西方のアンダーシャツ、手袋は葛西選手のものをはめて臨んでいたそうです。
西方はこのとき、テストジャンパーとしての複雑な想いが消えたそうです。
原田選手がとぶまえに天候が悪くなり、一本目は距離が出ず、日本は4位でした。
吹雪で競技は一時中断。テストジャンパーのジャンプをみて、再開か、一回のジャンプの順位で終了のどちらかになりました。
テストジャンパーはとにかく、矢継ぎ早にとび、降り積もる雪を固め、最後に距離を出す大ジャンプをして、安全を証明する。というストーリーを考えたようです。
前も見えないような中、テストジャンパーたちは転ばないようにしようと飛び続けました。
ジュリーという審判団がラストのテストジャンパーとして指名したのは、選手と同じ力をもつ、西方でした。
西方はK点を越える大ジャンプ。
これをもって競技は再開されました。
原田選手は二回目のジャンプに向かう前にテストジャンパーたちに「行くぞ!」とこえをかけたそうです。
雪は小降りになっていたそうです。
そして日本は金メダル!
何年か前に放送された、番組をソチの前にみて感動しました。
ソチで葛西選手が金メダルをとるまで原田選手の十字架をおろすことはできない。と思いました。
テストジャンパーとして大仕事をした西方は長野の金メダルをみて、その一員になれたようで、複雑な想いはふっきれたそうです。
だから葛西選手の今日の銀メダルはほんとに嬉しいです。
ぜひ団体で金メダルをとって欲しいです。
今日のうちの手作りのカレンダーにはまたいい言葉が書かれていました。(字きれい!)
「チャンスというのは、多くの場合、つらい経験に姿を変えてやってくる。 だから、ほとんどの人はそれを気づかない。」
馬場さんの♪スタートライン♪も心に浮かぶ葛西選手にさりげなくピース!
追記
今日は末っ子の13歳の誕生日でケーキを食べました~!
ハッピーバースデー♪を無理矢理歌ってあげたら、「やめてくれ~!」とめちゃめちゃ恥ずかしがってました。
先日この記事にコメントしようとし
途中でどこかにいってしまいショックで・・
今日は頑張ってリベンジしますね
葛西選手 本当によかった!!
いろいろなことを乗り越え
銀メダル・・おめでとう
西方さんのこと
わたしもTVでみました
彼が一定の距離を飛んだら競技を再開
そのプレッシャーのなか
飛ばれましたよね
いろいろ複雑な思いもあっただろうに
完全に裏方ですものね
原田さんの「貸してくれない?」にも
感動しました
ライバルであるけれど仲間
そんな感じがします
きょうちゃんのブログを読んであらためてそう思いました
ステキな話をありがとう
あの番組ぶっちいさんも見られたんですね。
ほんとに感動でした。
葛西選手、まだ頑張ってほしいですね!!