19日月曜日馬場俊英さんが出演された徳島の美馬市のうだつライブに参加されたsachiさんからの熱いレポがメールで届きました。せっかくなんでBLOGに載せさせて!とお願いして転送させてもらいました。
以下sachiさんの文章です。
一晩たっても興奮さめやらずです!
高松で友人と合流し山あいの道をひたすら車で進み、えっ?こんなところにあるの~?というぐらいの、ややのどかな秘境でした(失礼)。
車は近くのスーパー(立派)の駐車場に置いてくださいと指定あるのもなかなかないことでした。
早くに着いたので会場を確認した時に丁度馬場さんのリハーサルの歌声が聴こえてきたので、このままずっと聴いていたいと思ったのですが、ほぼなんの曲か耳を澄ませなくてもわかるぐらいの音量なので、お楽しみを取っておくためにうだつの町並みの散策に行きました。
えっと~…のどかな…静かな町並みでした。月曜日は定休日でほとんどしまっていたせいかもしれません。
好意的に思うと。
お客さんは300人くらいでしょうか。整理番号順に呼ばれ、靴をビニール袋に入れ 会場にはいると木のにおいと提灯が印象的な芝居小屋でした。せまっ!ちかっ!
城ホールでいうとアリーナは板張りで座布団、両サイドの花道の壁がわにバルコニー席 柱で支えられたスタンド席で二階席は立ち上がらないで下さいとの注意がありました。(落ちそう)
馬場さん登場時に出演者の前二人が盛り上がっていたので 「僕も頑張ります」と言っていたのがかわいかったです。いつものあの椅子に腰かけていつもどおり やや間違えながら丁寧に唄ってくれました。
明日の旅人の曲説は今となっては忘れましたが長めで思い入れが深いんだなあと 最後の込み上げてくる歌い方を聴いてそう思いました。
とにかくオデオン座が気に入ったらしく 楽屋も畳じきでテーブルに揚げ物が並んでて、打ち上げに使うんでしょうが法事みたいと言ってました。とにかくオデオン座がいい!とよほど気に入ったらしく「ここだけの話ですが、来春のアコースティックライブにここを決めました」と教えてくれました。(※馬場さんのブログにもう発表されたので書かせてもらいました。)。
一時間ちょいの密度の濃い満足した楽しい楽しい時間でした。
馬場ちゃんのギターやマイクをあんなに近く見れたのはここのとこなかったです。
アンコールのボーイズオンザランも一度、はけたあと、赤いギターを持って「アンコールまでもらえるとは、…ちょっと思ってました~」の定番で、このときばかりは二階席以外のお客さんは立ち上がってピースピースしました。
馬場ちゃんはかっこいいなぁとあらためて思いました。だらだらと長くてごめんなさい。
雰囲気だけでも伝えたかったです!
~セットリスト~
今日も君が好き
クロノス
スニーカードリーマ-
スタートライン
陽炎
ボーイズオンザラン
以上、sachiさんからのメールでした。
とってもいい感じの会場だ~。
花輪がある~!
脇町劇場って右から読むんだ~。
昭和9年に建てられた木造芝居小屋なんだそうです。一時は映画館になり閉鎖も決まっていたのに、数年前山田洋次さん監督の映画で撮影場所として使われた以来また人気が出て続行となったそうです。
ウキペディアより引用
↓
オデオン座
1934年(昭和9年)に創建された回り舞台や花道のある劇場。別称「オデオン座」は、フランス・パリにある国立劇場「オデオン座」の外観から由来される。戦後は歌謡ショー等が公演され大勢の有名人が訪れており、地域住民にとっては欠かせない娯楽の殿堂だった。
その後、1995年(平成7年)に老朽化などの理由により閉館されるまで主に映画館として利用されていた。閉館後、取り壊し予定であったが1996年(平成8年)に松竹映画「虹をつかむ男」の舞台となりこの映画で一躍注目を集め、後に市指定文化財として修復され一般公開されている
馬場さんがこの会場をすごく気に入られたのがわかります。
ありがとう(*^_^*)
sachiさん。
このメールは私ともうひとり他の方にも、ライブの感想を伝えたくて書いてくれたものでした。
sachiさんはBLOGをされていないし、もっとたくさんの人にライブの生の感想を読んでもらいたくて、こういう形で他の方が書いてくれたものを記事にするのは初めてでしたが、やらせていただきました。
馬場さん半田そうめんとすだちおみやげにもらったかなあ。
この二枚の写真も届きました。
半田そうめんとすだち現物がうちにちょうどありました!
朝ご飯に半田そうめんを作りました。
つけ汁にすだちを絞ります。
半田そうめんはこれひやむぎ?って思うくらい太い麺で腰があります。
~うだつ~
うだつの上がらない息子なんて言いますが、うだつってなんだかご存知ですか?
徳島の池田に行ったときに初めて見たんですが、火事になった時に隣のうちからの延焼を防ぐ防火扉のような役割をした小さな壁みたいなものです。
うだつもつけられないような稼ぎしかできない息子という意味合いもあるみたいです。
ウキペディアより引用
↓
うだつ
うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。
平安時代は「うだち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになる。自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられた。
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていた。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられている。
おまけ
昨晩のゆるあつ情報速報
浅越ゴエさんがアポなしでNHK岡山を訪れ、ちょうど夕方の番組「もぎたて」の打ち合わせ中の魚住アナウンサーと柚木さんに出演交渉をされて、なんとOHKの番組内でNHKが紹介されました!
ちなみに浅越ゴエさんと柚木さんは岡山県芳泉(ほうせん)高校の同窓生だそうです。
名門です。
以下sachiさんの文章です。
一晩たっても興奮さめやらずです!
高松で友人と合流し山あいの道をひたすら車で進み、えっ?こんなところにあるの~?というぐらいの、ややのどかな秘境でした(失礼)。
車は近くのスーパー(立派)の駐車場に置いてくださいと指定あるのもなかなかないことでした。
早くに着いたので会場を確認した時に丁度馬場さんのリハーサルの歌声が聴こえてきたので、このままずっと聴いていたいと思ったのですが、ほぼなんの曲か耳を澄ませなくてもわかるぐらいの音量なので、お楽しみを取っておくためにうだつの町並みの散策に行きました。
えっと~…のどかな…静かな町並みでした。月曜日は定休日でほとんどしまっていたせいかもしれません。
好意的に思うと。
お客さんは300人くらいでしょうか。整理番号順に呼ばれ、靴をビニール袋に入れ 会場にはいると木のにおいと提灯が印象的な芝居小屋でした。せまっ!ちかっ!
城ホールでいうとアリーナは板張りで座布団、両サイドの花道の壁がわにバルコニー席 柱で支えられたスタンド席で二階席は立ち上がらないで下さいとの注意がありました。(落ちそう)
馬場さん登場時に出演者の前二人が盛り上がっていたので 「僕も頑張ります」と言っていたのがかわいかったです。いつものあの椅子に腰かけていつもどおり やや間違えながら丁寧に唄ってくれました。
明日の旅人の曲説は今となっては忘れましたが長めで思い入れが深いんだなあと 最後の込み上げてくる歌い方を聴いてそう思いました。
とにかくオデオン座が気に入ったらしく 楽屋も畳じきでテーブルに揚げ物が並んでて、打ち上げに使うんでしょうが法事みたいと言ってました。とにかくオデオン座がいい!とよほど気に入ったらしく「ここだけの話ですが、来春のアコースティックライブにここを決めました」と教えてくれました。(※馬場さんのブログにもう発表されたので書かせてもらいました。)。
一時間ちょいの密度の濃い満足した楽しい楽しい時間でした。
馬場ちゃんのギターやマイクをあんなに近く見れたのはここのとこなかったです。
アンコールのボーイズオンザランも一度、はけたあと、赤いギターを持って「アンコールまでもらえるとは、…ちょっと思ってました~」の定番で、このときばかりは二階席以外のお客さんは立ち上がってピースピースしました。
馬場ちゃんはかっこいいなぁとあらためて思いました。だらだらと長くてごめんなさい。
雰囲気だけでも伝えたかったです!
~セットリスト~
今日も君が好き
クロノス
スニーカードリーマ-
スタートライン
陽炎
ボーイズオンザラン
以上、sachiさんからのメールでした。
とってもいい感じの会場だ~。
花輪がある~!
脇町劇場って右から読むんだ~。
昭和9年に建てられた木造芝居小屋なんだそうです。一時は映画館になり閉鎖も決まっていたのに、数年前山田洋次さん監督の映画で撮影場所として使われた以来また人気が出て続行となったそうです。
ウキペディアより引用
↓
オデオン座
1934年(昭和9年)に創建された回り舞台や花道のある劇場。別称「オデオン座」は、フランス・パリにある国立劇場「オデオン座」の外観から由来される。戦後は歌謡ショー等が公演され大勢の有名人が訪れており、地域住民にとっては欠かせない娯楽の殿堂だった。
その後、1995年(平成7年)に老朽化などの理由により閉館されるまで主に映画館として利用されていた。閉館後、取り壊し予定であったが1996年(平成8年)に松竹映画「虹をつかむ男」の舞台となりこの映画で一躍注目を集め、後に市指定文化財として修復され一般公開されている
馬場さんがこの会場をすごく気に入られたのがわかります。
ありがとう(*^_^*)
sachiさん。
このメールは私ともうひとり他の方にも、ライブの感想を伝えたくて書いてくれたものでした。
sachiさんはBLOGをされていないし、もっとたくさんの人にライブの生の感想を読んでもらいたくて、こういう形で他の方が書いてくれたものを記事にするのは初めてでしたが、やらせていただきました。
馬場さん半田そうめんとすだちおみやげにもらったかなあ。
この二枚の写真も届きました。
半田そうめんとすだち現物がうちにちょうどありました!
朝ご飯に半田そうめんを作りました。
つけ汁にすだちを絞ります。
半田そうめんはこれひやむぎ?って思うくらい太い麺で腰があります。
~うだつ~
うだつの上がらない息子なんて言いますが、うだつってなんだかご存知ですか?
徳島の池田に行ったときに初めて見たんですが、火事になった時に隣のうちからの延焼を防ぐ防火扉のような役割をした小さな壁みたいなものです。
うだつもつけられないような稼ぎしかできない息子という意味合いもあるみたいです。
ウキペディアより引用
↓
うだつ
うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。
平安時代は「うだち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになる。自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられた。
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていた。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられている。
おまけ
昨晩のゆるあつ情報速報
浅越ゴエさんがアポなしでNHK岡山を訪れ、ちょうど夕方の番組「もぎたて」の打ち合わせ中の魚住アナウンサーと柚木さんに出演交渉をされて、なんとOHKの番組内でNHKが紹介されました!
ちなみに浅越ゴエさんと柚木さんは岡山県芳泉(ほうせん)高校の同窓生だそうです。
名門です。
ぜひ青春時代を思い出し、徳島に出掛けて言ってくださいね。
この記事を読んでくださった方sachiさんの力作なんでよかったらコメント気軽に書いてみてくださいね。
なんか、すごい(笑)ところだったんですね
でも馬場さんが気に入ったっていう事は味のある会場なんでしょうね^^
徳島には青春時代に憧れ続けた女性が暮らしているので機会があればオデオン座にも行ってみたいです
なんのこっちゃ(爆)