ちょっと1日遅刻しましたが、今からもう13年前になります。
夜遅く家族が寝静まり、和室で、ボーッとテレビを見ていました。
ちょうど筑紫哲也さんのNES23をつけていました。
ニュースではなく、急にあるコーナーに私のアンテナが向きました。
なにやら大阪で、ストリートというのをやっている二人組のことを関西のローカルで放送したのだが、興味があるので、今日はこの番組でも紹介します。
というフリだったような気がします。
フォークデュオ「コブクロ」
名前の由来は
小渕(こぶち )と黒田(くろだ)でコブクロ。
「へーおましろい!
小渕さんておぶち総理大臣と同じ漢字なんだ!」
完全にチューニングが合いました!
ストリートをしているが、人が集まりすぎて、最近は思うようにできなくなっている。
警察官にとめられることも。
二人は歩道橋を指差し、「あそこに人がたくさん集まり、みんながゆれると歩道橋がしなるのがわかった。
折れる~(>_
「ますますおもしろいなあ。」
どんどん引き込まれていきました。
ナレーションの方がこういいました。
「彼らが多くの人の心を捉える最大の理由はその歌の歌詞にあります」
ある教会で行われた50人ライブの様子が映し出されました。
企画したファン以外の人はみんなコブクロをしらない幼児からお年寄りまで様々。
オープニングの「太陽」の美しいハーモニーのうたいだしから、観客の心をとらえている様子でした。
そして「桜」
歌詞がテロップで映し出されました。
私は涙がつーって流れて引き込まれていきました。
ちょうど近くの内科医院で、看護師を募集していて、働いてみないか?と誘われていた時期に、わかった直後、3人目の子が宿っていることがわかりました。
自転車でその医院の外まで行きふたt日ナースキャップをかぶる日をちょっと楽しみにしていた時期でした。
本当は喜ぶべきことなのに、「また何年か社会からおいて行かれるような」ちょっとした疎外感のような不安を感じて心から喜ぶことができませんでした。
このコブクロの『桜』をきいて、なんだか自分がずっと歩いてきた道。これから歩こうとしている道がそれでいいんだよ。と背中をさすってもらえたような気分になりました。
ですから、私はずっとこのときの曲は「YELL」だと思い込んでいました。
知り合いの人がテープを送ってきてくれて番組を見返すことができたのは。3年もたってのことでした。
その時『桜』だったということがわかり、涙が止まらなかったことを覚えています。
そうか私をここに連れてきてくれたのは『桜』だったんだと。
その感動はちりとてちんの喜代美ちゃんがずっと子供のころから聞いていた落語のテープの声は草若師匠だった。ということが分かった時の感動と似ていると思います。(すみません。ちりとてちんファンにしかわからない感覚だと思います」
筑紫さんはこのように話されていました。
「コブクロは今の音楽の流れとは逆を行っている。できるだけ複雑な音、できるだけ多くのお客さんの前で歌いたい歌手の多い中、この二人はできるだけ少人数で回数を多くライブを開く、ギター一本と歌声。しかもマイクを使わない。音楽業界の先祖がえりをしているような感じ。」と表現されていました。
筑紫さんはあれからまさか紅白歌合戦の出場、レコード大賞受賞、爆発的な人気の出ることになったコブクロを想像できたでしょうか?
2006年再びあの番組に二人を読んでくださって金曜深夜便の中でインタビューと風を歌わせてくれました。筑紫さんはあいにく大分からの中継で、実際にスタジオで共演ではなかったのですが、オールベストについて熱く語る小渕さんと横で黙ってきいている黒田さんを見て「黒田さんいつもこうだよね。」とテレビで大事なことは小渕さんが話され、当時テレビの出演時には今と違ってほとんどしゃべっていなかった黒田さんの様子をずっと見守ってこられていたんだなと思いとてもうれしい想いでした。
きっとコブクロの歌がNHKのソチオリンピックの公式応援ソングになったことも天国で喜んでいてくださるんじゃないかって思います。
天国の筑紫さんへ。
あの時コブクロに出会わせてくださってありがとうございました。
そして、2001年の日韓共同でひらかれたワールドカップサッカーで東京海上火災で、CMに使われたコブクロの「YELL」で再びコブクロに出あい、ツタヤで、コブクロのCDを借りることになったのでした。
そして、「YELL」のCDを何度も何度も聴き、とうとうシングルやらアルバムやら、CDのコブクロのコーナーにあったものを全部大人買いしたのでした.
「Roadmade」の初回盤に秋の学園祭ツアーの案内があったのでした。
筑紫さんの番組で出会ってからちょうど一年後。2001年、11月24日が私のコブクロ初ライブになったのでした。
「Roadmade」が初回盤ではなかったら特別パッケージではなく、もしかして、学園祭の案内はいんっ刷されていなかったかもしれません。
いくつかの偶然が重なりコブクロに出会えたような気がします。
もしコブクロに出会っていなかったら今とは全く違った人生だったのかな?
いやきっと出会うのが数年遅れるだけで、やっぱり桜に連れてきてもらっていたのかなあと思います。
おまけ
久々にくーちゃんです。
夜遅く家族が寝静まり、和室で、ボーッとテレビを見ていました。
ちょうど筑紫哲也さんのNES23をつけていました。
ニュースではなく、急にあるコーナーに私のアンテナが向きました。
なにやら大阪で、ストリートというのをやっている二人組のことを関西のローカルで放送したのだが、興味があるので、今日はこの番組でも紹介します。
というフリだったような気がします。
フォークデュオ「コブクロ」
名前の由来は
小渕(こぶち )と黒田(くろだ)でコブクロ。
「へーおましろい!
小渕さんておぶち総理大臣と同じ漢字なんだ!」
完全にチューニングが合いました!
ストリートをしているが、人が集まりすぎて、最近は思うようにできなくなっている。
警察官にとめられることも。
二人は歩道橋を指差し、「あそこに人がたくさん集まり、みんながゆれると歩道橋がしなるのがわかった。
折れる~(>_
「ますますおもしろいなあ。」
どんどん引き込まれていきました。
ナレーションの方がこういいました。
「彼らが多くの人の心を捉える最大の理由はその歌の歌詞にあります」
ある教会で行われた50人ライブの様子が映し出されました。
企画したファン以外の人はみんなコブクロをしらない幼児からお年寄りまで様々。
オープニングの「太陽」の美しいハーモニーのうたいだしから、観客の心をとらえている様子でした。
そして「桜」
歌詞がテロップで映し出されました。
私は涙がつーって流れて引き込まれていきました。
ちょうど近くの内科医院で、看護師を募集していて、働いてみないか?と誘われていた時期に、わかった直後、3人目の子が宿っていることがわかりました。
自転車でその医院の外まで行きふたt日ナースキャップをかぶる日をちょっと楽しみにしていた時期でした。
本当は喜ぶべきことなのに、「また何年か社会からおいて行かれるような」ちょっとした疎外感のような不安を感じて心から喜ぶことができませんでした。
このコブクロの『桜』をきいて、なんだか自分がずっと歩いてきた道。これから歩こうとしている道がそれでいいんだよ。と背中をさすってもらえたような気分になりました。
ですから、私はずっとこのときの曲は「YELL」だと思い込んでいました。
知り合いの人がテープを送ってきてくれて番組を見返すことができたのは。3年もたってのことでした。
その時『桜』だったということがわかり、涙が止まらなかったことを覚えています。
そうか私をここに連れてきてくれたのは『桜』だったんだと。
その感動はちりとてちんの喜代美ちゃんがずっと子供のころから聞いていた落語のテープの声は草若師匠だった。ということが分かった時の感動と似ていると思います。(すみません。ちりとてちんファンにしかわからない感覚だと思います」
筑紫さんはこのように話されていました。
「コブクロは今の音楽の流れとは逆を行っている。できるだけ複雑な音、できるだけ多くのお客さんの前で歌いたい歌手の多い中、この二人はできるだけ少人数で回数を多くライブを開く、ギター一本と歌声。しかもマイクを使わない。音楽業界の先祖がえりをしているような感じ。」と表現されていました。
筑紫さんはあれからまさか紅白歌合戦の出場、レコード大賞受賞、爆発的な人気の出ることになったコブクロを想像できたでしょうか?
2006年再びあの番組に二人を読んでくださって金曜深夜便の中でインタビューと風を歌わせてくれました。筑紫さんはあいにく大分からの中継で、実際にスタジオで共演ではなかったのですが、オールベストについて熱く語る小渕さんと横で黙ってきいている黒田さんを見て「黒田さんいつもこうだよね。」とテレビで大事なことは小渕さんが話され、当時テレビの出演時には今と違ってほとんどしゃべっていなかった黒田さんの様子をずっと見守ってこられていたんだなと思いとてもうれしい想いでした。
きっとコブクロの歌がNHKのソチオリンピックの公式応援ソングになったことも天国で喜んでいてくださるんじゃないかって思います。
天国の筑紫さんへ。
あの時コブクロに出会わせてくださってありがとうございました。
そして、2001年の日韓共同でひらかれたワールドカップサッカーで東京海上火災で、CMに使われたコブクロの「YELL」で再びコブクロに出あい、ツタヤで、コブクロのCDを借りることになったのでした。
そして、「YELL」のCDを何度も何度も聴き、とうとうシングルやらアルバムやら、CDのコブクロのコーナーにあったものを全部大人買いしたのでした.
「Roadmade」の初回盤に秋の学園祭ツアーの案内があったのでした。
筑紫さんの番組で出会ってからちょうど一年後。2001年、11月24日が私のコブクロ初ライブになったのでした。
「Roadmade」が初回盤ではなかったら特別パッケージではなく、もしかして、学園祭の案内はいんっ刷されていなかったかもしれません。
いくつかの偶然が重なりコブクロに出会えたような気がします。
もしコブクロに出会っていなかったら今とは全く違った人生だったのかな?
いやきっと出会うのが数年遅れるだけで、やっぱり桜に連れてきてもらっていたのかなあと思います。
おまけ
久々にくーちゃんです。
わたしも「桜」につれてきてもらいました
卒業式の後に流れた 想いでの写真と一緒にです
いろいろな偶然が重なって
でも。。。
出会うべくして出会ったのでしょうね
ステキなお話をありがとう
くーちゃん
久しぶり~~^^
もう大人ですよね
でも こうさぎみたいにかわいい~~
ぶっちいさんも『桜』に連れてきてもらったんですね!!