昨年は、私の都合で 「休 講」 を、していました
27日(木曜) は、大山方面に、お出掛け~!
エィー! 今日!!
この雨が、降るの にー! と、思いながらも9時過ぎに
我が家を、ごそ ごそ? と、「集合場所」へ お出掛 け~!
✳ この講座はね、
「食事処」 昼食が頼んである為に 「雨天でも 決行!!」
今日の行程 大神山神社本社と尾高城址・岡成周辺の散策。
9:45 安来市役所駐車場集合・出発 ⇒ 十神山登山口駐車場
⇒ 和田団地バス停 ⇒ 島田バス停 ➡ 安来を しゅつぱ~つ ➡
➡ 第一目的地 に
10時30分頃 米子岡成駐車場に着き トイレ休憩 ➡ 米子木材市場付近へ・
降車 ウオーキングを開始 ~ ➡ 岡成池へ方面 ~(岡成池で小休止)
ウオーキングの「道中写真」を、どうぞ!!
自衛隊の 「大型車両」 教習所
学 舎 ・ 車両 ・ 右は、教習コース
※ ハンドルがね、「右 と 左」に、ついて いま した よー!
岡成神社
神社横の 公民館
冬の晴天日なら、ここは、カメラ スポット
逆さ! 「出雲 富士」 が、きれいに!?
グラウンドゴルフ仲間との 「昼食 会場」の、手前です
「体育館」 駐車場で乗車 ➡ 食事処へ
本日の 「食事処」 : はし袋 を、コピペ
これが、本日の昼食で~す
モ・チ・ロ・ン! 完 食で~す!!
昼食・休憩後 ⇒ 13時バスに乗車 移動 ~ 13時15分頃大神山神社本社着 ・
参拝 境内を散策 ・ ウォーキング開始 ~ ⇒ お菓子の寿城へ14時30分着
(休 憩) ⇒ 15時に バス乗車
コースのモロモロのご紹介
米子から大山寺方面に向かう入り口が「岡成」で、小高い丘に
なっており、くろぼくの土によって農業がさかんです。作物を
作るのには、灌漑が重要となりますが、岡成から続く田畑を
潤しているのが、岡成池(大堤)です。周囲450mほどの
岡成池は、はじめは尾高城を守るために造られた堤だったそうです。
また、尾高城の歴史は古く、築城の始まりは明らかではありませんが
戦国時代西伯耆の拠点として山陰の中でも数多くの攻防戦が
繰り広げられた古戦場の一つです。
16世紀前半までは山名氏ゆかりの行松(ゆきまつ)氏が居城として
いましたが、大永4年(1524年)に尼子経久の大軍により落城し、
出雲の尼子氏の城になりました。後には、毛利氏の家臣である
杉原盛重が居城し整備したと考えられます。後には、山中鹿之助が、
毛利に捕らわれ、自分は赤痢だと言って厠から逃げた逸話は、
この城でのことです。
13時にバスで 移動 ⇒ 13時30分頃 大神山神社本社 駐車場に着き
参拝・境内散策 後 ⇒ 寿城へウォーキングを開始
大神山神社本社 参拝 ・ 境内の散策
ここで、またモロモロのご説明です
午後は、大神山神社 (行ったのは本社)で鳥取県の名山、伯耆大山の
麓に鎮座する古社です。「米子市内に本社」 「大山の山中に奥宮」が
あります。もともと大神山は、平安時代に天台宗の大川寺(だいせんじ)
として建立されました。中世には160の院坊と寺領6万石を有する大寺院
でした。多くの僧兵を養い、南北朝時代には大きな勢力を誇ったと
伝えられます
室町時代には、戦乱で荒廃しましたが、江戸時代に再建されました。
明治期の神仏分離令によって、現在のように大山寺と大神山神社に
分かれました。現在の建物は文化2年(1805年)のものと伝えられ
江戸時代後期を代表する神社建築です。
大山は明治までは「神の山」とされて、大川寺の僧のみ登山が
許されていました。
「大神山神社」の名は、この「神の山」からきているとのことです。
時々雨が降るr中を、ひたすら歩いて、歩いて
(14時30分頃) やっーと! お菓子の寿 城 に、 到 着 ➡ (休憩)
きれいな お花が、玄関で お出迎え!!
中では、お土産を見て歩く人、おみやげを買う人、
試食めぐりの人、私は、試食と 暑いだけん抹茶味 ソフトクリーム
ブログにアクセス、誠に有難うございます。
またの ご閲覧を 心よりお願い 申 し上げます。
じゃー! 寿 城 ~よ! さ ら ば じゃー
15時 バス 発車 ~ ⇒ 一路 安来へ 15時40分頃無事 到着!!
みなさん!
少しづつでも、蒸 し暑さに、慣れんと、いけんや な ね~!?
では、みなさん また ね ~