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月の輪まつり (^_^.)

2011年08月15日 | 日記
8月14日から「安来伝統の月の輪まつり」がスタートをしました。(17日まで4日間)

私は、近所の好青年・森田君とコンビで「祭礼のお神酒つぎ役」で参加をしました。

 神事のだしの前でパチリ!!

昔、むかしその昔、神代の昔の「出雲国風土記」のお話を一つ
この地(安来)に語臣猪麻呂(かたりのおみのいまろ)と言う有力者が
住んででいたそうです。
時は天武天皇三年(西暦674年)7月13日安来の郷北の海岸に毘売埼(ひめさき)と
言う所で猪麻呂の娘が波打ちぎわを散歩している時、突然、和爾(ワニ・
今風に言えば人食い鮫のジョーズ)が現れ、あろうことか、娘さんはこの鮫に
咬みつかれ、黄泉の国(よみの国)へ行くことになってしまいました。

愛娘を失った猪麻呂の嘆きは尋常でなく、さながら「立てば号泣、座れば悲嘆、
歩く姿は夢遊病」のありさまで、数日が経ち気を取り直した猪麻呂は娘の
敵討ちを心に誓い、磨いて鋭くした鉾をを手に海岸へ赴き、鎮座して八百万(やおよろず)の神々に
自分の心情を切々と訴えました所、神様に願いが通じ百匹余りの鰐鮫が静かに一匹の鰐鮫
(多分こいつが娘に噛み付いた鰐鮫)を取り囲み、おもむろに連れ寄って来たかと思うと、
猪麻呂のいる場所から動こうとしなかったと言う伝説、この一説がかの有名な「猪麻呂伝承」です。

そして月の輪まつりは、地元の人々がこの娘の御霊を慰めるため始まった慰霊祭が起源とされ、
江戸時代元禄の世に入ると、家内安全無病息災を祈願した神仏混交の神事になりました。

「月の輪」の語源は、串刺しにした和爾(ワニ)の形をとって三日月形の紙燈を
捧げたことからこの神事を「月の輪神事」と呼び、それが今日にいたっている。
ちなみに山車を曳く時の掛け声は「エンヤエンヤ、デゴデットーヤー」といい
(曳けや曳けや、皆出て手伝えや)の意味だそうです。

出雲風土記とは、都を平城京に定めていた奈良時代和銅六年(西暦713年)
時の政府指令により編集が始められたとされています。
編集責任者は出雲国造(いづものくにのみやつこ)であった出雲臣広島
(いづものおみひろしま)で、執筆には神宅臣金太郎(みやけのおみかなたり)と言う
学者が関わっています。(勿論、風土記にも明記されています)

じゃ~ おやすみなさ ~ !! 
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