7月25日(木曜) は、奥出雲 ・ 仁多方面へ
本日の行程
9:45 迄に集合場所の
安来市役所 駐車場へ で、 即! しゅつ ぱ~つ
11:00頃に 仁多の阿井着 ・ バス降車、ウオーキング開始 ➡
広場から ウォーキングスタート ➡ 通過点
対岸にある表示板を見ながら ➡ 通過点 ➡ もう 少しだぞ!!
➡ 上阿井 11:10 ➡ ➡ 上阿井着
左の道を ここ迄 ウォーキング ➡ バスに乗車
この記念碑手前の
分岐路で 再度 バスを「降 車」
ウオーキングの開始! ➡ 石碑 ・ 立札 : 通過点
この大橋 も 横目で見ながら ➡➡ 案内板の数字! 頑張ろう ~!!
11:40 着 可部屋集成館 (桜井家) へ
11:45 ~ 館内の説明 ・ 見学 ~
詳 しいご説明は、あとでさせてね
ワァー! す~ばらしい! お庭です ね~!! 「維持管理」お手入れが大変ですね~
「一の間」、右の掛け軸は 「松平不昧公」の書
12時35分 ~ 隣接の「そば処 清聴庵」で
お楽しみの 昼 食で~す!!
本日は 「割り子 そば」 でした
十割そば!
お味! それなり! 普通!!
かたさ! わたし好み!(少しかため)
休憩 13:25バス乗車 移動 ➡ 13:40 阿井
小学校付近着 ・ ウオーキングの開始
通過点 ⇒長榮寺 ⇒ 奥出雲町 阿井 消防格納庫 : ここ三叉路で
猛暑の為! グループ の 約半数が
リタイヤ!! バスへ あとは 行程通り 八幡神社へ
八幡神社に参拝 石碑の彫り ⇒ 八百八拾年碑
猛暑のなか バスまで
阿井集落 バスに乗車 ➡ 奥出雲 「道の駅」で 休憩、15:05 ~
「道の駅」15:25 ➡ 16:20頃 無事に安来着
遅くなりました!
みなさん方、良くご存知ですが、
マァ! 読んでみちゃって ください
桜井家は、島根県東部仁多町の南端部の山間にあり、戦国武将 塙直之の
遺族が芸備領主の福島正則により、可部(現 広島市可部)に、匿れ桜井と
改姓、のちに出雲で「たたら」を、経営した。(屋号は可部屋)江戸時代には
鉄師頭取として奥出雲で鉄山業を営み、宝暦5年(1755年)には
鉄師仲間の代表である鉄師頭取を松江藩より拝命し、鉄山業を取り仕切った。
桜井家の
主屋は元文3年(1738年)竣工、古蔵が少し前の享保20年(1735年)の建設
その他の建物は主屋より遅れて順次建造をされた。主屋に接続される座敷は
藩主御成りが行われるようになった19世紀の初期に増築をされた。
桜井家住宅は、
近世におけるたたら製鉄の中心地奥出雲にあって、狹隘(きょうあい)な谷間に
鉄師頭取の屋敷構え全体を伝える遺構として、貴重であるが、特に主屋は
この地方の民家のなかでもひときわ大型で、上質なつくりになり、保存も良好である。
御成りの座敷は、江戸時代後期の数寄屋風書院の好例を示している。
住宅と隣接した「可部屋集成館」は、桜井家と松江藩の関わりを示す資料や
鉄山師としての資料が豊富に展示をされています。
また、阿井の集落は、備後と出雲を結ぶ街道沿いにあるが、宿場と言うより
良質の砂鉄が取れたことから、この地域は「たたら」で、栄えたと考え0られます。
特に、桜井家の隆盛に伴い、阿井も水田の干拓が進み江戸初期の検知では
概に屋敷数が50余りを数え、※ 目代や町役人も置かれ一つの独立した
町場を形成していました。
現在に残る阿井の集落も、規模は小さいが切妻平入りの家々が軒を
接しており各家は商店だったと思われ、往時の繁栄が偲ばれます。
※ 「目代」 ⇔ 「代官」のことです。
前回の
6月シルバー講座のウォーキングの午後は、雨降りの天気で、
本日の午後は、一転! 猛暑! 酷暑!! 道路標示が
31~34℃を、表示 していました
※ 帰途の亀嵩が、最高の、34℃!!
〈おまけ〉
一部かぶりますが 「桜井家」 玄関のご説明
じゃー!みなさん また ね~
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