月日が流れ,私はどこかで,二千円札について書かれた記事を目にした.そして,二千円札の存在を,それに対して私が抱いていた感情を思い出した.
しばし私は考えた.手にしたこともない二千円札を
- 時の暗愚な政権により導入された
- 千円札や五千円札と紛らわしく
- 額面が中途半端で
- 使いにくい
- 不要な
であると決め付けた理由は何だったのか.
時の政権が愚かだったかどうかなど,軽々しく評価するほどの見識が自分にあるのか.たとえそうであっても,その施策すべてが愚かであるとする根拠はない.また,二千円札は,千円札や五千円札とは色合いからして異なる.書かれている数字も違えば透かしの位置も違う.そして,2と5は共に10の約数であり,互いに素である.2が中途半端で5が中途半端でないのは何故か.何より,慣れてもいないのに,使いにくいと結論付けるのは短絡的に過ぎる.二千円札が不要ならば,五千円札も同様なのではないか.
そして,ある結論に達した.二千円札に対しあのような感情を抱いたのは,私が変化に対応できなかったからである.二千円札の登場という変化を受け入れ利用するのではなく,それを拒み無視する理由を探していただけだったのだ.
私は,変化を拒み続ける人間ではなく,変化を受け入れ利用できる人間になりたいと思っていた.だが,二千円札ごとき使いこなせずして,どうしてそんな人間になれようか.そう思って,私は二千円札を使い始めることにした.
しばし私は考えた.手にしたこともない二千円札を
- 時の暗愚な政権により導入された
- 千円札や五千円札と紛らわしく
- 額面が中途半端で
- 使いにくい
- 不要な
であると決め付けた理由は何だったのか.
時の政権が愚かだったかどうかなど,軽々しく評価するほどの見識が自分にあるのか.たとえそうであっても,その施策すべてが愚かであるとする根拠はない.また,二千円札は,千円札や五千円札とは色合いからして異なる.書かれている数字も違えば透かしの位置も違う.そして,2と5は共に10の約数であり,互いに素である.2が中途半端で5が中途半端でないのは何故か.何より,慣れてもいないのに,使いにくいと結論付けるのは短絡的に過ぎる.二千円札が不要ならば,五千円札も同様なのではないか.
そして,ある結論に達した.二千円札に対しあのような感情を抱いたのは,私が変化に対応できなかったからである.二千円札の登場という変化を受け入れ利用するのではなく,それを拒み無視する理由を探していただけだったのだ.
私は,変化を拒み続ける人間ではなく,変化を受け入れ利用できる人間になりたいと思っていた.だが,二千円札ごとき使いこなせずして,どうしてそんな人間になれようか.そう思って,私は二千円札を使い始めることにした.