弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

改悛

2009-02-06 21:20:00 | 弐千円札/論説
月日が流れ,私はどこかで,二千円札について書かれた記事を目にした.そして,二千円札の存在を,それに対して私が抱いていた感情を思い出した.

しばし私は考えた.手にしたこともない二千円札を
- 時の暗愚な政権により導入された
- 千円札や五千円札と紛らわしく
- 額面が中途半端で
- 使いにくい
- 不要な
であると決め付けた理由は何だったのか.

時の政権が愚かだったかどうかなど,軽々しく評価するほどの見識が自分にあるのか.たとえそうであっても,その施策すべてが愚かであるとする根拠はない.また,二千円札は,千円札や五千円札とは色合いからして異なる.書かれている数字も違えば透かしの位置も違う.そして,2と5は共に10の約数であり,互いに素である.2が中途半端で5が中途半端でないのは何故か.何より,慣れてもいないのに,使いにくいと結論付けるのは短絡的に過ぎる.二千円札が不要ならば,五千円札も同様なのではないか.

そして,ある結論に達した.二千円札に対しあのような感情を抱いたのは,私が変化に対応できなかったからである.二千円札の登場という変化を受け入れ利用するのではなく,それを拒み無視する理由を探していただけだったのだ.

私は,変化を拒み続ける人間ではなく,変化を受け入れ利用できる人間になりたいと思っていた.だが,二千円札ごとき使いこなせずして,どうしてそんな人間になれようか.そう思って,私は二千円札を使い始めることにした.
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懺悔

2009-02-06 19:45:17 | 弐千円札/論説
二千円札が発行されたころ,私はそれを
- 時の暗愚な政権により導入された
- 千円札や五千円札と紛らわしく
- 額面が中途半端で
- 使いにくい
- 不要な
紙幣であると思っていた.便利だと言われても使う気にはならなかった.2のつく貨幣が海外では多いと言われても,日本にそれは馴染まないと思っていた.とにかく二千円札が忌々しかった.実際それを手にしたことなどなかったのに.

二千円札は普及せず,私はしばらくして,その存在すら忘れた.
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