今日の日本経済新聞「春秋」に興味深い記述があった.多くの日本人が二千円札に対して抱くイメージも,いわゆる「使い残した外国の紙幣」と似たようなものではないだろうか.
春秋(7/5) - NIKKEI NET
この記事に以下のような一節がある.
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紙幣には「信用」という名の魔法がかかっている。本当は精巧な印刷物にすぎないのに、価値ある通貨に化けるのは、政府や中央銀行が立派な働きをしているという暗黙の了承があるからだ。その効力が及ばない場所では、お札は途端に色あせる。そんな微妙な信用の構造が金融危機で狂ってきたのは間違いない。
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二千円札の価値を否定することは,政府と日銀の信用力を部分的ながら否定することにつながる.政府や日銀の信用力が否定された先には,いわゆる通貨危機が待っている.もちろん,二千円札が流通しないからといって,それが通貨危機に直結するというのは暴論であるが,通貨が国内外の厳粛な信用の上に成り立っていることが忘れられていることは想像に難くない.
日銀にとっても,景気の先行きを占うことに地道を挙げることよりは,通貨の価値を守ることの方が本来の任務に近いであろう.蟻の穴から堤も崩れるということにならぬよう,二千円紙幣の流通を促進させてほしいものである.
春秋(7/5) - NIKKEI NET
この記事に以下のような一節がある.
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紙幣には「信用」という名の魔法がかかっている。本当は精巧な印刷物にすぎないのに、価値ある通貨に化けるのは、政府や中央銀行が立派な働きをしているという暗黙の了承があるからだ。その効力が及ばない場所では、お札は途端に色あせる。そんな微妙な信用の構造が金融危機で狂ってきたのは間違いない。
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二千円札の価値を否定することは,政府と日銀の信用力を部分的ながら否定することにつながる.政府や日銀の信用力が否定された先には,いわゆる通貨危機が待っている.もちろん,二千円札が流通しないからといって,それが通貨危機に直結するというのは暴論であるが,通貨が国内外の厳粛な信用の上に成り立っていることが忘れられていることは想像に難くない.
日銀にとっても,景気の先行きを占うことに地道を挙げることよりは,通貨の価値を守ることの方が本来の任務に近いであろう.蟻の穴から堤も崩れるということにならぬよう,二千円紙幣の流通を促進させてほしいものである.