先月、
伯母(母の姉)が亡くなりました。
享年76才・・・。
愛情深い人で、
変な話、親よりも親らしく心を寄せてくれた、
私の大事な伯母でした。
とても悲しくて、
でも、何か夢のような、嘘のような、
そんな現実逃避を、脳がチラチラと試みていたり・・・。
一緒に暮らしていないと言うことは、
脳にとっては好都合なのでしょう。
だけど、
もうあの笑顔に会えないと思うと、悲しいです。
昨日は、四十九日にあたる法要でした。
5人の娘(従姉妹)は、
遠方に嫁いだ順から、落ち着きを取り戻しつつありました。
でも、夫である伯父は、
葬儀の時と同じ様に、堪えきれず、泣いていました。
母の四十九日の時、
私は、葬儀以上に泣きました。
天へ旅立つ時、
母は私の頭を撫でて行きました。
葬儀の時は、めまぐるしくて、
そして、有難いことに賑やかで、
形式に従って時間が流れ、
「送る」と言うより、「導かれる」という状態でしたが、
この先、節目であったり、日常生活でふとした時、
また別の悲しみと向き合う事になり、
悲しさや寂しさに、終わりは無いのだろうと思います。
子供はさることながら、
長年連れ添った相手となると・・・。
伯父の気持ちを思うと、いたたまれません。
納骨後、
誰の案なのか、その地方の風習なのか、
全員で、色とりどりの風船を飛ばしました。
空高く上がっていく風船を見ていたら、
伯母も、「綺麗だね」とほほえみながら、
ゆっくりと天国へ上がっていく様な気がして、
涙が溢れました。
伯母(母の姉)が亡くなりました。
享年76才・・・。
愛情深い人で、
変な話、親よりも親らしく心を寄せてくれた、
私の大事な伯母でした。
とても悲しくて、
でも、何か夢のような、嘘のような、
そんな現実逃避を、脳がチラチラと試みていたり・・・。
一緒に暮らしていないと言うことは、
脳にとっては好都合なのでしょう。
だけど、
もうあの笑顔に会えないと思うと、悲しいです。
昨日は、四十九日にあたる法要でした。
5人の娘(従姉妹)は、
遠方に嫁いだ順から、落ち着きを取り戻しつつありました。
でも、夫である伯父は、
葬儀の時と同じ様に、堪えきれず、泣いていました。
母の四十九日の時、
私は、葬儀以上に泣きました。
天へ旅立つ時、
母は私の頭を撫でて行きました。
葬儀の時は、めまぐるしくて、
そして、有難いことに賑やかで、
形式に従って時間が流れ、
「送る」と言うより、「導かれる」という状態でしたが、
この先、節目であったり、日常生活でふとした時、
また別の悲しみと向き合う事になり、
悲しさや寂しさに、終わりは無いのだろうと思います。
子供はさることながら、
長年連れ添った相手となると・・・。
伯父の気持ちを思うと、いたたまれません。
納骨後、
誰の案なのか、その地方の風習なのか、
全員で、色とりどりの風船を飛ばしました。
空高く上がっていく風船を見ていたら、
伯母も、「綺麗だね」とほほえみながら、
ゆっくりと天国へ上がっていく様な気がして、
涙が溢れました。